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第三十五章:問いの継承者たち

「思想の春」と呼ばれたあの日から、まだ数週間しか経っていない。

だが、国家の動きは迅速だった。むしろそれは、「春」を待ち構えていたかのようだった。


•与党内では特別立法チームが立ち上げられ、

「思想秩序安定化措置法案(仮)」の草案が急ピッチでまとめられていた。

•公安庁では“思想再地上化”を危険視する分析レポートが次々と作成され、

特定地域の思想会議体や読書会ネットワークが「扇動対象群」に分類された。

•内閣官房長官は記者会見でこう述べた。


「公共空間の“過度な思想的占有”は、市民生活の安定に支障をきたす。

これは言論の自由の問題ではなく、秩序維持の問題である。」


言葉は柔らかかった。

だがその背景で準備されていたのは、**“第二段階の統制”**だった。


構想された「思想秩序安定化措置法案(S.O.A.法案)」は、表向きは公共空間の「混乱防止」や「過激思想からの青少年保護」を掲げていた。

だが、その条文には以下のような曖昧かつ危険な規定が含まれていた。


•「政治的影響力を伴う非公認団体の情報発信を制限できる」

•「反制度的思想の意図的流布を、治安事案として勧告・是正対象とする」

•「思想再教育措置(教育的指導)を、必要に応じ義務化できる」


この法案が成立すれば、思想会議体は事実上解体・摘発の対象となる。

さらには、榊原の草稿を引き継ぐすべての運動が「制度外思想」として分類され、

出版・発表・集会の自由すら根拠を持って規制される。


海藤仁はこの動きを察知していた。

だが同時に、法案提出が「国家側の焦り」であることも、彼は読み取っていた。


「彼らは、あの思想が“管理不能”であるとようやく気づいたのだ。

抑えるためではなく、封じ込めるために。

それは敗北の兆しでもある。」


会議体の解体を恐れた一部の支部は、再び“地下”へと戻る決断を下した。

だがそれは、もはや「逃げ」ではなく、「選択された戦略」だった。


•一部の都市では、“思想演説”の代わりに**ノンバーバル・インスタレーション(非言語展示)**として、公園に象徴物が置かれた。

•地方では、農村部における「思想を語らぬ読書会」が始まり、発言せずにただ草稿を読み続ける会が増えていった。

•市民思想会議の音声記録は分散型ネットワークに匿名化保存され、AIを用いて架空発言者を生成する「思想人格プロジェクト」も立ち上がった。


語ることは制限できても、問い続けることまでは止められない。

それが、再潜行した人々の合言葉だった。


思想統制は、言論封殺だけでは終わらなかった。


内閣府下の特別機関「社会調整局」は、ある教育的試行プログラムを打ち出す。

それが、思想的適合性テスト――通称「Cコンパス」だった。


これは、就職試験や教職試験、公務員登用時に使用される新しい適性評価であり、

受験者の“潜在的制度共感傾向”を測定するというもの。


•設問例:「あなたは制度に不備を感じた時、どのように行動しますか?」

•選択肢:「制度を信じて受け入れる」「議論を提案する」「沈黙する」「制度の意図を疑う」


一見中立的だが、AIが解析するのは**「制度への忠実度」**であり、

榊原草稿の精神に共鳴する回答は「逸脱傾向」としてマークされるよう設計されていた。


教育機関の一部はこれに反発したが、国は補助金と引き換えに導入を進めた。

思想は、声ではなく“傾向”として選別されはじめていた。


再抑圧の中でも、“語る者”は消えなかった。

彼らは、もはや草稿を声にするのではなく、生活そのものを思想として示す道を選び始めた。


•ある元公務員は、退職後に自宅を開放し、毎週“無音の対話会”を開いた。

•離島の教師は、授業で一切の教科書を用いず、生徒たちに「自分の問い」を板書させた。

•元公安官僚の一人は匿名で回想録を書き、「私は思想を監視していた。だが今、私はそれに救われている」と記した。


そして、海藤仁。

彼はもはやメディアに姿を見せなかった。だが、各地の会議体に回される定期的な思想小冊子には、常に同じ末尾の署名があった。


〈語られぬ声は、集まり、歩く〉――GJ.


“GJ”とは誰か?

榊原の別名か? 海藤か? それとも、集団の象徴か?

誰も答えず、誰も問わなかった。


S.O.A.法案は、ついに国会提出が決まった。

反対派の議員たちは人数で劣り、世論も恐怖と無関心のあいだで揺れていた。


だが、ある報道が世間を再び激震させる。

それは、榊原の“最後の草稿”が、ついに流出したという報だった。


草稿には、こう記されていた。


「もし私が語ることを禁じられたならば、

あらゆる場所で、あらゆる他者が、それぞれの“問い”を語るだろう。

それがこの国の未来である。私が語らずとも、語り継がれる問いこそが、主権なのだ。」


この一節が報道されると、全国で市民による“語り返し”運動が始まる。



S.O.A.法案――正式名称「思想秩序安定化措置法案」は、

与党が過半数を確保する中、衆議院での強行採決が目前となっていた。


法案提出の本会議当日、永田町周辺には仮設の警備バリケードが張り巡らされ、

報道関係者の取材も制限されていた。与党幹部のひとりはこう言った。


「あれは“秩序の法律”であって、“言論封殺”ではない。

語りたいなら、制度の外で勝手に語ればいい。だが“制度”に入ってくるなら、制約は必要だ。」


まるで制度そのものが一種の感情的な境界線になったかのようだった。


その日、法案は午前中の委員会で可決され、

午後には本会議に付された。


午後1時17分、国会本会議場。

S.O.A.法案の討論時間はわずか3時間。反対演説の多くは却下され、

わずか数名の野党議員だけが短い持ち時間でマイクに立った。


そのうちの一人、若手の女性議員が発言する。


「この法案は、国家にとって“秩序”であっても、

国民――いえ、市民にとっては“沈黙の強制”です。」


「榊原鷹彦が語らないのは、恐怖ではありません。

私たちが語らなかったことの“問い”を、私たちに返しているのです。」


マイクが切られた。

その瞬間、傍聴席の一角から小さく声が上がった。


「問いに、答えよ。」


それは、草稿第一章の一文だった。

議場警備が即座に制止に動く中、再び別の声が重なる。


「主権は制度に属さない。市民に宿るのだ。」


最終的に傍聴席から計7人が排除された。

全員が、思想会議体に関与していた市民だった。


午後4時29分。S.O.A.法案、採決。

与党は圧倒的多数で賛成票を投じ、法案は可決された。


その瞬間、議場は一瞬の静寂に包まれた。

勝ち誇る声も、抗議の怒声もなかった。

ただ、国家がひとつの境界を越えたことが、すべての者に理解されたからだった。


そのとき、採決の速報を中継していたNHKのスタジオキャスターが、

ごく短い沈黙の後、こう口にした。


「……この法案が、どのような歴史的意味を持つのか、

私たちはこれから、じっくりと向き合っていく必要があるでしょう。」


それは中立でも擁護でもなかった。

ただ、国家と市民のあいだに“言葉の裂け目”が生まれたことだけが、明確だった。


その同日夕方、榊原鷹彦に対する「思想犯」裁判が、

最終弁論の段階に入った。


東京地方裁判所第一号法廷。

法廷内は厳重な警備が敷かれ、記者の入廷は認められなかった。

だが、傍聴席には抽選で選ばれた市民30名が座った。


榊原はいつも通り、法廷で一言も発しなかった。

だが、その代わりに、彼の弁護団が「被告の思想的立場を代読する」として、

榊原草稿の一節を提出した。


裁判官は一度、黙して資料に目を通し、許可を出した。

代読者となったのは、元大学教授であり、読書会の初期参加者でもあった人物だった。


「国家は沈黙を求め、社会は同調を求める。

だが私は、問い続ける者を“反社会的”とは呼ばない。」


「むしろ、“問いを発せぬ社会”こそが、反国家であり、反人間的である。」


「主権とは、制度の内側に閉じられたものではない。

主権とは、“語る権利”を手放さぬという、その一点にある。」


「私が語らないのは、あなたたちが語るためだ。

私が立たないのは、あなたたちが歩くためだ。」


読み終えたとき、法廷は静まり返っていた。

裁判官は視線を伏せ、原告席の検察は沈黙し、

被告席の榊原は、ただ座っていた。


目を閉じていた。

だが、それは「閉じた目」ではなく、

**「開かれる未来を見ている目」**であった。


S.O.A.法案の可決と榊原公判の最終弁論が報じられるや否や、

全国で突発的な“語り返し”運動が発生した。


•地方大学の学生自治会が突如として中庭で草稿を朗読

•地元商店街で「対話券」として、店主と顧客が一言だけ思想について語るイベントを実施

•小中学校で教師が「沈黙とは何か?」というテーマの授業を開始(後日処分された例多数)


SNSでは、「#問う権利」「#沈黙と語りのあいだ」がトレンド入り。

数万人が匿名で、自身の“言えなかった問い”を投稿し始めた。


「私は“国家とは何か”と聞きたかっただけだった」


― ある教員


「私は“なぜ信じるのか”を誰にも問えなかった」


― 自衛官志望の青年


「私は、語らぬ父の沈黙を、今ようやく理解できた」


― 榊原の娘(偽名)


この日を境に、世論は再び動き出した。

支持か、反対かではない。

“問い直す”という行為が、日常の中に戻ってきたのだ。


その動きは、与党内の若手、官僚、教師、医師、農業者、学生など、

それぞれの場所で、静かに始まっていく。


そして、ある噂が広まる。

榊原が、最後にひとつだけ手紙を残していたという。


差出人不明、日付も署名もないその便箋には、ただ一行、こう書かれていた。


「誰が語るかではない。誰が問い続けられるか、それだけが国家を決める。」


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