第二十五章:警報とプロパガンダ
草稿の公開と川崎での演説を受け、与党・自民党本部では異例の緊急会合が招集された。会場は永田町の一室──報道管制室とも言うべき場所には、党の幹部たちが顔を揃えていた。席には、官房長官、総務会長、外交族、選対本部長らの名が並ぶ。
議長役の官房長官が冒頭で語った。
「今、わが党が取るべき最優先事項は、これ以上“主権貸与論”が拡散しないようにすることです。政策云々以前に、日本国の軸が揺らぐこと自体が観測されてはなりません」
言葉の一つひとつに緊迫が籠もっていた。外交族の重鎮は低く呟く。
「海外との“アウトソーシング”と誤解されると、主権の根幹が揺らぎます。対米関係にも根深い影響を及ぼす恐れがあります」
別の幹部は、堅い表情で続けた。
「与党議員は、地方支部への説明に全力を。党の下部組織は、地元メディアを使って『売国・国家転覆の危機』という構図を支えてください」
号令が紙に刻まれる音が聞こえ、会は整然と閉じられた。だが、その瞬間から、党内には「異様な焦燥」と「徹底的な対策」が走りはじめていた。
一方、全国を席巻しつつあったメディア各社が挙って対応を始めていた。まず飛び込んできたのは、翌朝の一面で躍った見出しの数々。
•「主権を売るのか——“国民主権乗っ取り計画”」
•「アメリカ依存主義の亡命提言・元政治家が叫ぶ」
•「地方の安心を脅かす思想の拡散」
いずれもセンセーショナルな言葉が並び、「主権貸与」を「売国行為」にすり替える形で構成されていた。テレビのワイドショーも、街頭インタビューやコメンテーターの「怒り」を煽る構成に集中した。
•著名保守コメンテーターA:
「これがまかり通れば、安全保障も外交も全部相手に任せることになる。これは主権放棄です」
•野党系文化人B:
「なぜこの発想が、若者の間で共鳴しているのか理解に苦しみます」
映された街頭の声も一様に、「主権貸与=売国」への恐怖を強調するものばかりだった。政府寄りの報道機関は、番組内の意見も「一致団結の必要性」を説く論調が中心だった。
この偏向報道の構造は巧妙だった。
1.言葉の切り取り編集
榊原の丁寧な前提や条件が削除され、「主権貸与すべき」とだけ報じられる。
2.恐怖・不安の煽動
「安全保障がどうなるのか」「地方の自治はどうなるのか」と、漠然とした不安を取り上げる。
3.専門家コメントの偏向配置
安全保障・憲法学者を取り上げず、あえて保守色の強い識者を選び、「反対」という結論ありきの専門家意見を流す。
4.感情的演出
街頭インタビューでは「腹が立つ」「一体何考えてるんだ」という声だけを時間をかけて映し、本質的な議論を封じてしまう。
こんな状況下、海藤仁は静かに苦笑した。彼はメディアの表層を見抜いていた。
「ニュースは“情報”じゃない。人々の恐怖と安心を操るエンターテイメントだ」
だが逆に言えば、そこに隙間が生まれていた。偏向報道に煽られた世論の中で、静かに別の声を届ける余地も生まれていた。
海藤は綾子と相談し、以下の戦略を決断した。
•リアルな討論会の公開:ネット配信では、司会者とパネリストに非偏向的人物を選び、討論内容を可視化。
•文字による正確な対話:一問一答、論理構造を記したジャーナル記事を地方紙などにも配信。
•匿名質問箱の設置:SNSとウェブ上で視聴者が匿名で質問できる環境を用意し、メディアが取り上げない声を拾う仕組みを提供。
与党関係者からも、地方選挙区支部へ圧力が入り始めた。支部長は取り巻きに告げられていた。
「海藤の地元メディアには触れるな。連中を取り上げれば、地方票が割れる」
同時に、国会では与党議員が公聴会で次々に揃って主権貸与構想を「国体への挑戦」として糾弾した。それを受けてNHKは、ニュースで党派を超えた反対声明をわざわざ取り上げ、しかもVTRを流した後に解説までつけて放送した。
だがその一方、ネット上ではメディアの論調に対する疑問が広がっていた。
•「彼らは何を恐れてるんだ? 話すことすら許されないのか」
•「売国なら具体的に誰が利益を得るの? 何も説明がないじゃないか」
•「怖くて聞かないだけで、主権って本当はそんなに大事か?」
こうしたコメントが草の根的に広まり、若者の間では「まずは聞こう」という雰囲気さえ芽生えていた。
与党の敵対姿勢とメディアの偏向報道は、それ自体がこの運動の新たな燃料になっていた。恐れられ、非難されるほど、逆説的に希望も増す。その構図こそが、草の根的に始まった運動の「静かな蓄積」として機能しはじめていた。
海藤は静かに頷いた。
「嵐の中には、必ず光がある。それを見失わなければ、この国の問いはまだ、終わっていない」




