第二十三章:土の下に広がるもの
読書会が始まった当初、それは東京の一角――中野、吉祥寺、神保町のカフェや大学の一室で開かれる、ごく小規模な集まりにすぎなかった。
参加者は多くて十数人。学生、若い非常勤講師、脱サラした30代の男、子育てが一段落した主婦、そして社会運動には一度も関わったことのないフリーランスのエンジニア。
議題は単純だった。「《主権の猶予:試論》を、読み解く」――ただそれだけ。
だが、そこには空気の違いがあった。
“是非を問う”のではなく、“理解しようとする”空気。
断定せず、怒らず、ただ静かに言葉を重ねる姿勢。
その誠実さがある日を境に都市の外へと、静かに浸透を始める。
発端は綾子の発案だった。
「思想は、中央で育たない。真に試されるのは“地方”なの」
そう語った彼女は、首都圏での対話集会を映像記録としてまとめ、それを短く編集した動画を制作。
“どこの誰でも始められる読書会マニュアル”とセットで、ネット上に無料で公開した。
たった三日で、動画の再生数は三万を超えた。
最初に地方で読書会が開かれたのは、意外にも岡山県高梁市だった。
人口三万人。古い城下町の面影が残る、小さな盆地の町。
発起人は、地元の高校で非常勤講師をしている若い社会科教員・新井悠真。
彼は大学時代に榊原鷹彦の論文を読んで衝撃を受け、密かにその思想を追ってきたが、就職後は忙しさに流されていた。
ある日、偶然ネットで“読書会動画”を見つけた。
「これなら、自分でも……」そう思ったとき、自分の中にくすぶっていた何かが、ようやく輪郭を持った。
新井は、高梁図書館の一角にある市民交流室を借り、チラシを刷り、地元の書店に張らせてもらった。
集まったのは、わずか五人。
だがその中には、市の職員、若い農業従事者、老舗旅館の女将、そして一人の中学生がいた。
彼らは、新井のもとにこう言った。
「このまま町が、国が、空気のように縮んでいくのを、黙って見てるのは……しんどいんですよ」
一度目の読書会の帰り道、新井は涙が出そうになった。
「何も起きていないようでいて、誰もが“問い”を抱えていたんだ」
次に読書会が立ち上がったのは、秋田県湯沢市。
主催者は地元の書道教室を営む女性、堀川奈津子。60代。
彼女は、榊原の構想には最初強い拒否感を抱いていた。
「主権を貸す? 馬鹿げてるわ。そんなのは“心”が抜けた政治よ」
だが、ある夜、町の公民館で読書会を主催していた知人に誘われるかたちで参加。
冷え切った空気のなか、十人ほどがストーブを囲んで草稿を声に出して読んでいた。
「一部だけでも、読んでみませんか」
そう手渡された紙に目を落としたとき、彼女の心に引っかかったのは、こんな一節だった。
“主権とは、誰がそれを保持するか、ではなく――
どうやって他者の視線にさらしながらも、保ち続けるか、という選択の連続である。”
堀川は、しばらく黙ってから言った。
「……これは、書道に似ているわね」
誰も言葉を返さなかった。だがその瞬間、読書会の空気が変わった。
その翌週、彼女は教室のチラシ置き場に、“主権読書会”の案内を自ら掲げた。
都市部では、情報は速く、形になるのも早い。
だが地方には、“言葉が沈殿する時間”がある。
新潟・三条、佐賀・武雄、北海道・岩見沢、香川・坂出――
地名さえニュースに出ることの少ない町で、少しずつ、草稿は読み継がれ始めた。
そこに共通していたのは、「対立しない集まり方」だった。
反対の意見が出ても、誰も遮らなかった。
肯定する者も、どこか慎重だった。
それが、綾子の狙いでもあった。
「“旗”を立ててしまえば、賛否に引き裂かれるだけ。
今はまだ、旗ではなく、“場”をつくること」
彼女は、これら地方の読書会を密かに観察し、記録し、編集チームとともに「読書会アーカイブ」としてまとめていく。
SNSでは可視化されない、だが確かにそこにある“言葉の温度”が、記録されていった。
草稿の公開から二ヶ月が過ぎたころ、海藤は一枚の地図を眺めていた。
綾子が管理している「読書会発生地」のプロットが記されたものだ。
赤い点は、すでに四十を超えていた。
そして、そのいくつかは、榊原が一度も訪れたことのない土地だった。
「風は……吹いている」
そう呟いたとき、海藤は思った。
榊原の言葉を“思想”としてではなく、“自分のこと”として語り始める人々が、確かに生まれている。
それは、“地下茎”だった。
表の世論には表れず、メディアにも注目されず、
だが土の下で広がる根のように、静かに社会の構造を揺さぶりはじめていた。