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第十七章:火種は画面の向こうに

その動画は、最初、誰にも気づかれなかった。


サムネイルは地味で、再生数は数百にも満たなかった。動画のタイトルはただの英数字の羅列――まるで“隠されること”を前提とした投稿だった。


だが、閲覧者の一人が、ツイートにこう書いた。


「これは……現実に対する“黙示録”じゃないか?」


瞬く間に、アルゴリズムが動いた。


一晩で再生数は1万を超え、48時間後には35万回再生を突破していた。


投稿された動画の中身は、榊原鷹彦によるかつての非公開講演を編集したものであった。登壇者の顔は光でぼかされていたが、声はそのまま残されており、聞く者が聞けばすぐに本人とわかる。


講演は冒頭、淡々と始まる。


「日本という国は、近代という制度ゲームの“終了条件”に、今まさに足をかけています。

主権の存続が、自動的な正当性を持ち得る時代は終わった。」


単なる問題提起にとどまらず、その講演は極めてロジカルに、「主権貸与政策」の必要性を訴える構成となっていた。


──選挙制度の硬直性、官僚機構の高齢化、政治的無関心の蔓延、外交的孤立、そして社会保障費の肥大化。


すべてが一本の線でつながり、ついに彼は言う。


「私たちは、“主権”という概念を一度“手放す勇気”を持たねばならない。

それは敗北ではない。再起動の条件だ。」


その静かで、だが異様に整った言葉は、聞いた者の脳裏に“焼きつく”ような印象を残した。


最初に反応したのは、SNS上の政治談義クラスタだった。


「主権を貸す?狂気の沙汰だ」

「いや、合理的な部分もある。内容を読んでから否定すべきでは?」

「思想というより、政策案。問題はその“実行主体”だろう」

「こいつ、誰なんだ? 榊原って……まだ生きてたのか?」


議論は次第に過熱し、まとめサイトが取り上げる。


その夜、ある大手ネットニュースが見出しを打った。


「“主権貸与論”動画、急速拡散 背後に元議員の影」


それが引き金だった。


ワイドショーが「危険思想」特集を組み、週刊誌が「国家を“貸す”という発想の狂気」を特集し、論壇誌が「主権の再定義」という特集号を出す。


面白おかしく、あるいは怒りと侮蔑を込めて取り上げられた榊原の講演は、奇妙なかたちで「流行」になった。


否定されることで、火は拡がった。


数日後、次に話題の中心に押し出されたのは――海藤仁だった。


かつての議員秘書として、榊原の最も近い位置にいた人物。


ネット上には彼の過去の発言、旧SNSの投稿、大学時代の卒論すら掘り返され、次々と「榊原への思想的共鳴の痕跡」として晒された。


「この男が編集したらしい」

「裏で火をつけたのは彼だ」

「海藤は“黒幕”か、それとも共犯者か?」


だが、海藤は沈黙を貫いた。

口を開けば、すべてが政治劇に取り込まれてしまう。そう知っていたからだ。


とはいえ――耐え難い時間だった。


彼の自宅には郵便受けに「売国奴」と書かれた紙が入れられ、勤務先には無言電話が相次いだ。


ある夜、古いメールアドレスに匿名のメッセージが届く。


「あなたが信じていたあの思想、今、ようやく届き始めている。」


差出人は明らかではなかったが、文体には見覚えがあった。


高村匠――かつて公安の異端児だった男。

読書会の「唯一の国家側参加者」だった男。


彼もまた、姿を消していた。


国家は沈黙を装っていた。

だが、沈黙とは「言葉を使わない攻撃」に他ならなかった。


公安庁内では、動画の発信源の特定作業が進行していた。


・IPアドレスの追跡

・関係人物の交友記録の洗い出し

・元公安職員の「非公式活動歴」照会

・草稿の文体パターンから投稿者を逆引きするAI分析


そして「監視対象」として、海藤、そしてかつての読書会の数名がリストアップされた。


「公に出るのはまだ早い」

「だが、水面下では包囲を固める」

それが、公安内部の判断だった。


その中で、あの男――石神重明いしがみ・しげあきは言った。


「思想は殺せない。だが、語る口は封じられる。」


だが、国家の封殺より早く、火は地下に潜り込んでいた。


動画を見た地方の大学生が、講演を文字起こしし、自らのブログで連載を始めた。

草稿を翻訳し、英語版として配信するアカウントも現れた。

フリーターたちが立ち上げたDiscordの「政策読書会」では、「主権貸与の妥当性」について毎夜討論が続いた。


そして、地方都市である若者がこう投稿した。


「『主権を貸す』という言葉は怖い。でも、『主権を持たされているだけ』という現実は、もっと怖い。」


ある晩、海藤は地下書庫に眠る草稿の原本を読み返していた。


そこに書かれていたのは、「政策案」ではなかった。

それは、国家という器に向けた**“哲学的な問い”**だった。


「われわれは、国家を“信じる”ことに慣れ過ぎた。

だが本来、国家とは“構想”であり、“更新されるべき設計図”である。」


「主権を貸与するとは、主権を“所有”から“責任”へと移す試みだ。」


国家の再設計。

思想の亡霊。

情報戦の始まり。


そして、誰もが気づいていなかった。


この一連の騒動は、まだ「前哨戦」にすぎなかったのだ。

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