第十二章:言葉の監視者達
公安庁警備局第四課──通称「思想対策課」の主任・白石弘貴は、机に並べられた講演記録のテープを再生しながら息を呑んだ。
旧大学時代に共産党系学生運動をかじり、公安内で「思想を知る者」として重用された異端の官僚だった。
再生音声の中で、榊原はこう語っていた。
「この国の政治は、もはや“独立”を名乗れる段階にない。限定的にも主権を外部に預け、再構築の基盤とすべきだ」
単なる失言ではない。主権の再設計を提唱する思想──国家にとって、これは警報だった。
白石は即座に、「対象人物ファイル」を作成した。以後、榊原は「レベルII思想監視対象」に位置付けられた。
「思想には火が点く前に摘まなければならない段階がある」
白石は自身に言い聞かせるように呟いた。
第一回国際講演から3週間後、榊原は赤坂某所、かつての内閣情報調査室のビルに呼び出された。
白石は公安四課を代表し、形式的には「政策調査機関との意見交換」として接触した。
室内は薄暗く、机ひとつ。二人きりの、非公式の場だった。
白石は静かに切り出した。
「あなたの構想は、極めて面白く、同時に危険だ」
榊原は微笑し、ゆっくり返した。
「思想が危険だという判断は、国家側から始まることが多いですね」
白石は冷静に続けた。
「思想そのものは自由だ。しかし、それを信じる者が増えたとき、それは社会的行動へと広がる。国家は、その火種を黙って見過ごせない。私たちは、その芽を潰すために存在している」
この応答を聞いた瞬間、白石は確信した。榊原には「国家を壊す意志」がある──信念として。
白石による圧力が強まる中、海藤仁は秘書として、ある行動に打って出た。
それはこの非公式面談の録音だった。机上に置かれたスマートデバイスが静かに光る。
この録音は、数週間後にメディアに流出し、国会内で議題となった。
「公安が思想家を恫喝した」「政府の言論統制だ」と報じられ、世論は激しく揺れた。
白石は、後にこう呟いた。
「まさか秘書がそこまで“見届け人”になるとはな。しかし、味方のふりをした記録者こそ、最も厄介な敵だ」
その夜以降、公安は海藤への個別監視を開始した。ペンは思想の武器になる──そう判断されたからだった。
榊原と公安、そして海藤の三者が対峙したこの場は、声明も記録も残さない“表に出ない戦い”の最前線だった。
思想家と国家権力が交錯し、秘書による録音がその構図を赤裸々にした。
国家とは、時に思想の牢獄にもなり得る。
その牢獄の光景を、自らのペンで記す者が、再び公安の監視対象となる構図は皮肉としか言いようがなかった。
公安による思想監視、メディア圧力、密録と流出──あらゆる圧力がかかる中でも、海藤は立ち止まらなかった。
彼はもはや秘書ではない。記録者、証言者として新たに立つことを選んだ。
「この国が思想を怖れ、排除し始めたとき、それは真に国家の敵と交わった瞬間だった──“彼”とは、榊原ではなく、この国自身だったのかもしれない」
そうして、彼は歴史の走者となる決意を胸に秘め、次章へと向かっていった。




