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第十章:外圧の種子

2027年1月、榊原鷹彦はワシントンD.C.に降り立った。空はくすんだ鉛色で、冬の冷気が肌を刺す。だが彼の眼差しは、むしろ澄んでいた。


会場は、ジョージタウン大学構内にある国際戦略研究センター。構内の芝生にうっすらと霜が降りるなか、長いコートに身を包んだ各国の政府関係者、国際問題を扱う研究者、外交官、シンクタンク職員、そしてメディア関係者が静かに席に着いていた。


壇上に上がった榊原は、質素なスーツのままマイクに向かい、深々と一礼する。そして言葉を選ぶように、ゆっくりと語り始めた。


「本日は、“非対称主権論”という、やや不穏なテーマについてお話しします。国家主権とは何か、そしてなぜ日本という国がいま、機能的自立を喪失しつつあるのか——」


その声には震えも力みもなかった。ただ淡々と、言葉は構築されていった。


「これは敗北の提案ではありません。むしろ、日本という国家が自己修復能力を失いかけている現状において、構造的外圧を通じた“再設計”の可能性を問うものです」


「それは従属ではなく、統治のリースであり、主権の猶予期間です」


聴衆の目が揺れた。驚き、困惑、時にあからさまな反発。そのすべてを受け止めながら、榊原は言葉を重ねた。


「われわれが未来世代に残すべきは、“主権の神話”ではなく、“制度の運用権”です」


40分にわたる講演が終わったとき、場内は静まりかえっていた。だが最初に拍手を送ったのは、後方にいた白髪の老教授だった。拍手はやがて連鎖し、会場全体に波及していく。


「This man is not crazy… He is articulating what we all fear.」


——この男は狂ってなどいない。我々が恐れて口にできなかったことを、彼は言葉にしたのだ。



翌日から、榊原の演説は米国内の論壇を震撼させた。


**ブルッキングス研究所、カーネギー国際平和財団、外交問題評議会(CFR)**などの主要シンクタンクが次々と榊原の構想に反応を示した。各機関が独自の分析を発表し、彼の思想を「実験的かつ挑発的な国家理論」と位置づける。


「主権貸与構想」は、若手外交官の間で「Sakakibara Doctrine(榊原ドクトリン)」と呼ばれ始め、知的なシミュレーションやケーススタディとして使用される。


雑誌『Foreign Affairs』は彼の講演を要約し、特集記事の巻頭に掲載することを発表。同誌の副編集長はこう記した。


「榊原の理論は、日本の特殊例でありながら、近代国家という制度自体への静かな挑戦である」


さらに、ハーバード大学ケネディスクールでは、翌月から「ポスト主権的ガバナンス」特別セミナーが開講されるに至った。



ところが、その熱狂的な反応は、日本国内に激震をもたらした。


保守本流の与党幹部はテレビでこう吼えた。


「これは明白な主権侵害思想だ! 彼は即刻、国家反逆罪に問われるべきだ!」


一方、革新系野党ですら「立憲主義への侮辱」として連名で抗議声明を出す。


各局の報道番組では、「ワシントンで何を言ったのか」「なぜこの男が海外で称賛されているのか」といった不安と疑念の声が繰り返された。SNSでは「#売国奴」「#令和の東条英機」などのタグが炎上し、榊原の発言は断片的に切り取られ、罵詈雑言と嘲笑の的となる。


だが、すべてが否定的だったわけではなかった。


官僚機構の中間層、あるいは大学や地方自治体の実務者レベルから、匿名ながらも共感の声が漏れ始めていた。


「正直、我々も制度疲労の中で限界を感じている」

「もはや、外からの刺激がなければ動かないのが今の日本だ」



その頃、東京の一室で海藤仁はニュース番組を見つめていた。


インタビューの音声が響く。

ワイドショーのナレーターが揶揄する。

画面の右下には小さく「Sakakibara」と名前が踊っていた。


その瞬間、海藤は確信した。


「……ああ、これは狙ってやっていたんだな」


榊原は最初から、国内を説得しようとしていなかった。

日本という“自閉的な制度国家”を内側からではなく、外から動かす。


「国内を焚きつけるには、外圧しかない。

そして、俺はその導火線に火をつける手伝いをした」



その夜、海藤のスマートフォンが鳴った。


着信画面に映った名前は一文字だけ。


——「榊原」


「海藤、アメリカでの反応は想定以上だった。

次は、日本国内での具体的な“移行設計”に入る。

近いうちに草案を送る。タイトルは……そうだな、


《主権貸与政策・実行段階ロードマップ》——とでもしておいてくれ」


海藤は無言でうなずいた。

新しい戦いが、始まろうとしていた。

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