幕間四:その原稿が、世界を割った
一枚の原稿が、机の上に置かれていた。
いや、正確には「叩き台」だった。
まだ推敲も不十分で、段落のつなぎも荒い。タイトルすら仮のまま。
——《国家再設計への提言:主権貸与政策草案》。
文字列そのものには飾り気がなかった。だが、それを目にした瞬間、俺の背筋に何かが走った。
これは、ただの政策文書じゃない。
一線を越えるものだ。境界を、踏み越えてしまうものだ。
「……本気で、これを出すのか?」
それが、俺の第一声だった。
問いかけたのは何度目だろう。
ここ数ヶ月、同じ問いを何度も繰り返していた気がする。
そのたびに、彼は言葉で返すことはなかった。ただ、窓の外を見ていた。
この日もそうだった。
都心の高層ビルの隙間に、冬の夕日が沈みかけていた。
ビルのガラスに反射した橙色の光が、事務所の天井に薄く滲んでいた。
「お前が編集しろ、海藤」
榊原は言った。
目を逸らしたまま、まるで書類の再提出でも求めるように、あっさりと。
「冗談だろ……?」
俺の声は、少しだけ震えていたと思う。
あのときの俺は、まだ信じていた。
この男の理想は、最後の最後で“常識”の中に留まると——
「こんなもの、出した瞬間に終わる。政治生命どころか、物理的に危ないぞ。
国家を他国に“貸し出す”なんて発想、まともな国民が理解すると思ってるのか?」
榊原は、その時、初めて振り返った。
そして、静かにこう言った。
「それでも、書かなきゃならない。
言葉にしなければ、誰にも届かない。
黙ってるだけじゃ、“存在しない”のと同じだ」
俺はしばらく沈黙した。
原稿に手を伸ばし、ページをめくる。
そこに記されていたのは、言葉の“爆弾”だった。
『我が国は、現在、自立的な主権運営能力を喪失しつつある。
それは制度疲労ではなく、政治的遺伝子の断裂であり、
従来型の立て直しでは再起不能であると考える。
よって、限定的かつ協定的な“主権貸与”を通じ、
外圧による制度改革を断行する必要がある。』
信じられない理論だった。
だが、信じてしまいそうになるロジックだった。
常軌を逸している。だが、整然としていた。
狂気と理性が、同じ鉛筆の線で結ばれていた。
「……これは報道じゃない。これは……暴動の火種だ」
俺は思わずつぶやいた。
記者だった頃の勘が、全力で警告を発していた。
榊原は、静かにうなずいた。
「そうかもな。でも、これが俺の“革命”なんだよ」
その言葉を聞いて、俺は決定的に覚悟を問われた。
編集者として、政治秘書としてではなく——
“人間として”、どこまでこの男に関わる覚悟があるのか、と。
俺は震える指でWordファイルを開いた。
かつて記者として原稿を書き、校閲し、世に送り出した無数の文章たち——
そのすべてが、この一行に押しつぶされそうだった。
「……俺は、お前を止められる立場にあった。
でも今、これは……止められない。
誰かがこの文章を残さなきゃ、きっと何も変わらない」
送信ボタンを押した。
その瞬間、なにかが音を立てて終わった気がした。
同時に、なにかが静かに始まった気もした。
数日後——最初の波紋
反応は、想像以上に速かった。
最初に反応したのは、保守系の全国紙だった。
翌朝の見出しが、俺の顔を青くさせた。
「前代未聞の売国構想——“主権貸与”という国家自傷の提言」
続いて、テレビのワイドショーがこぞって榊原の映像を使い回し始めた。
選挙演説のワンシーンや、切り抜かれた言葉が、嘲笑の文脈で再構成される。
ナレーターが言う。
「一部で注目される“極論政治家”——その過激な思想とは?」
だが一方で、予想もしなかった層が、ざわつき始めた。
若い有権者、シンクタンクの研究者、現役の官僚たち——
SNSの小さな波紋が、やがてメディアの外側で静かに広がっていった。
「この人……本気だ」
「誰も言わなかったけど、本当はこういう“外圧”しか効かないんじゃないか?」
「賛成できない。でも、黙って見過ごせない」
そして、数日後——
海外から一本のメールが届いた。
「日本における“国家主権と制度疲労”の関係について、
あなたの主張に関心があります。
スタンフォード大学アジア研究センターより」
誰かが、目を覚ましたのだ。
この国の“外”で。
インタビュアーが問いかける。
「……あの原稿を、編集すべきではなかったと、後悔していますか?」
俺は、答えられなかった。
ただ一つ、あの夜を思い出す。
夕焼けの差し込む事務所で、狂気と理性を同居させたあの男の目を——
誰にも理解されなくても構わない、
だが世界のどこかで誰かに届くはずだと、確信する目を。
「あの目を見たら……止められなかった」
沈黙が落ちた。
だが、その沈黙は後悔ではない。
それは、記憶という名の火種だった。
机の上には、あのときの“草稿”のコピーが置かれていた。
未だにインクの匂いが残るような感覚。
そこに刻まれていたのは、確かに一つの“反逆”だった。
だが、それは同時に——
ある男が命をかけて託した、“本気の希望”でもあった。




