守城の名将:袁崇煥:第5章:北京の章④
◯1629年の冬、凍えるような夜でした。
遠くにかすかに北京の城壁が見えます。しかし、その手前の広々とした荒れ地で、戦の太鼓がゴォンと鳴り響きました。
この日は、後金という国が大軍を率いて、明の都である北京を攻めた「己巳の変」と呼ばれる激しい戦いの日です。
後金は、今の中国東北地方を拠点に急に強くなった民族で、そのリーダーであるホンタイジは、とても冷酷な征服者として知られています。彼は、後金の初代皇帝であるヌルハチの息子で、敵軍の先頭に立っていました。
「都までは、あと一歩だ!潰して、燃やして、奪い尽すのだ!」
ホンタイジの隣には、戦いの鬼神とも呼ばれるダイシャンがいました。また、ものすごい力持ちで有名なマングルタイ、そして若き将軍ドルゴンも勢いよく馬を走らせていました。
しかし、そこに勇敢な男が立ちはだかります。
――明軍の有名な将軍、袁崇煥です。
遼東の荒れた土地で、たくさんの戦いに勝ち続けてきた男です。鉄のように強い心を持ち、口数が少なく冷静な戦士でした。
「都は、我らが守る!」
彼のその言葉に、明軍の兵士たちは背筋を伸ばしました。
「袁将軍!敵の数、多すぎます!どうやって数えようか考えて諦めてました!」
面白くて、いつも笑っているような雰囲気の趙率教が叫びました。
「囲まれていますね!頼れる味方の部隊がいれば、後ろの補給路を断って活路が見いだせるんですが。それもできない。これはもうダメですかね」
お腹の大きな祖大寿は、顔をしかめて頭を抱えました。彼は体が大きいですが、戦い方は冷静で計算高いのが特徴です。
「ま、なんとかなりますかな!袁将軍がいますし!生き残る確率は……寧遠の戦いと同じくらいでしょうな!」
「それって、低い低い!絶望的じゃないですか!グォ~~~!」
ハイテンションで破天荒な性格の副将、満桂がハイテンションに言いました。
「ですが、敵は正面から来ます。これは間違いない。だから、恐れずに迎え撃ちましょう!ワォ~~!」
「……わかっている」
袁崇煥は静かに馬を一歩前へ進めます。その黒いマントが風になびきました。
その姿はまるで氷のように冷たく、彼の鋭い眼光は戦場を切り裂いているようでした。
「奴らに、北京の土は一寸たりとも渡さぬ!」
突然、敵軍が一斉に突撃を開始しました。
槍が激しくぶつかり合い、馬が地面を蹴り、空を切り裂く矢が飛び交います。
ホンタイジは歯をむき出し、ドルゴンも叫びます。
「突破すれば、明の都が落ちるぞ!」
「全軍、前へ!押し返せ!」
まるで天地が怒り狂うかのような地鳴りが起きました。
「祖大寿、横に広がって迎え撃つのだ!趙率教と何可綱は真ん中をしっかり守れ!」
「はっ!」
「満桂、好きに暴れろ!」
「ひやっほ~~~!そういうの大好き!任せてください!」
雪が舞い、冷たい風が兵士たちの顔を刺しましたが、明軍は一気に反撃に出ました。
大砲が轟き、槍を持った兵士たちが敵を押し戻します。
満桂の兵士たちは敵の横側を突き、趙率教の騎兵は敵の後ろに飛び込みました。
「いけええええぇぇぇ!」
満桂が笑いながら突撃します。
「閣下、こっちは任せてください!一暴れしてきます!いくぜぇぇ!」
いつもにこやかなムードメーカーの趙率教が叫びました。
「敵の数がアリの大軍のようですな。今夜はいい悪夢が見れそうです!」
袁崇煥は馬上で静かに目を閉じ、深呼吸を一つしました。
そしてまっすぐ前を見据えます。
「……来い、ホンタイジ。お前の軍は、この都に絶対に入れん!」
刀が空に交わる音が高く響きました。
血が飛び散り、火が燃え上がるような激しい戦いが夜まで続きました。
「袁将軍!お待たせしました!準備ができました!」
ここで、袁崇煥が待ち望んでいた報告が来ました。
「待ちかねたぞ!よし、撃て!我らの怒りを、火龍の咆哮に変えて!」
ついに、北京の城壁に、当時最新鋭だったポルトガル製の紅夷砲が配置されたのです。
紅夷砲が次から次へと轟音を轟かせます。
かつて、ヌルハチを倒した紅夷砲は、満州軍にとってもトラウマの兵器でした。
「あぁ…この音は、悪魔の大砲だ」
「俺たちは地獄の業火で焼かれてしまう」
紅夷砲の轟音は命中するより早く、満州軍の心を折っていきます。
ホンタイジが叫びます。
「くそっ!やつらどこから紅夷砲を運び込んだのだ。引け!ここはいったん撤退するのだ」
こうして、後金軍はついに退きました。
その夜、兵士たちは焚き火を囲んで疲れを癒しました。
「閣下、俺たちかっこよすぎました……ヒーローみたいでした。俺、泣きながら戦ってました……」
趙率教が鼻をすすりながら言いました。
「黙って飯を喰え。冷めるぞ。」
「はい!」
祖大寿も頷きました。
「紅夷砲を事前に準備しておいたのが功を奏しましたな。訓練は不十分でしたが、轟音だけでも効果大だった。」
満桂は小さく微笑みました。
「我ら遼東英雄団がいる限り、都は決して落ちません!いやっほ~~~い!」
袁崇煥は、誰にも聞こえないようにそっと呟きました。
「都は守った……今日のところはな。だが、この戦いは、まだ終わっていない」
その鋭い眼差しは、すでに次の戦場を見据えていたのでした。
◯1629年
その日、北京の空は、鉛のように重く、今にも雪が降り出しそうでした。
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・広渠門の攻防
午後、都の南の端にある**広渠門**では、まるで炎のような怒号が響き渡っていました。
それは、後金という国の大軍が攻めてきたからです。敵のリーダーはホンタイジ。彼は、後金の初代皇帝であるヌルハチの息子で、とても冷酷で頭の切れる将軍として知られています。彼の下には、たくさんの戦いを経験してきた強い武将たちがいました。
ホンタイジの兄である代善は、ぶっきらぼうですがとても勇敢です。もう一人の兄、マングルタイは口数が少なく、武骨な男でした。そして、若き天才将軍ドルゴンは、虎のように素早く動き回ります。
都へと続く門、広渠門は、まさに突破されようとしていました。
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・袁崇煥、立つ
しかし、そこに一人の男が立ちはだかります。
――明の有名な将軍、袁崇煥です。
彼は、かつて遼東という場所を守り抜いた名将です。鋼のように固い意志と冷静な眼差しを持ち、心にはただ一つ、「都を守る」という固い決意がありました。
「やはり、また来たな……奴らを通すな」
その一言に、兵士たちは背筋を伸ばしました。
彼の部下たちも、それぞれ個性豊かな強い者ばかりでした。
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・激戦の始まり
戦いが始まったのは、昼過ぎでした。
「閣下!こっち、敵がすごく多いですよ!っていうか、多すぎます!死ぬ気で攻めてくるアホみたいな連中です。」
趙率教が叫びました。彼は面白くて、いつも笑顔のおじさんです。
「……わかっている」
袁崇煥は、落ち着いて答えます。
「マジですか!?もう少し心配してほしいですよ!?今、私、死にそうなんですよ!」
「生きろ。それが命令だ」
「うわあ!カッコいいけど、ツッコミを入れる人がいませんよ!」
その横で、祖大寿が皮肉っぽく笑いながら槍を振るいます。
「うおっしゃあ!敵軍は食料が不足しているんじゃないか?攻め方が必死すぎる」
袁崇煥が応じます。
「ならば、あと一息だ。ヤツらの物資が欠乏するまで耐えれば勝ちだ」
さらに、満桂が怒鳴ります。彼はハイテンションで破天荒な性格です。
「俺の火槍、爆発しますよ!へへへっ、雷槍って名付けようかな?燃えろ!爆ぜろ!」
「またあなた、テンションにまで火をつけちゃってるじゃないですか!やめてくださいよ!城内まで燃えたら大変だ」
何可綱が低い声で呟きました。彼は気弱で、いつもお腹を空かせている補給担当です。
「……真ん中に敵が集中していますな。二手に分かれて、私たちを囲もうとしているようです」
「さすが祖大寿さん!安定の冷静さですね!」
何可綱は胃薬をかじりながら頷きました。
「よし、俺が右側の部隊を誘導する。趙は真ん中で時間を稼げ。大寿と満桂は左側だ。何可綱、おまえは予備の部隊を率いろ」
袁崇煥の指示が、静かに飛びました。
「了解しました!」
「はい!袁将軍のためなら、突撃します!」
「待って、待って!突撃って言ってませんよ!」
敵軍が波のように押し寄せます。その先頭には、ホンタイジがいました。
「明の守りは弱い。あの門を壊せば、都は落ちる!」
ドルゴンが牙をむいて笑いました。
「北京なんて、すぐに火の海です!」
しかしその時――火の中から、袁崇煥が現れました。
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・決着
黒い鎧に煤をまみれさせ、一本の剣を携えています。
「都には……入れん」
袁崇煥の目に宿るのは、炎よりも熱い怒りでした。
「敵将、ホンタイジか。ならば、俺が相手をする」
剣が唸り、槍が唸り、火花が散ります。まるで天地がぶつかるような衝撃が、広渠門を揺らしました。
満州軍の伝令が叫びます。「馬を駆り突入する一団があります」
その一段はまっすぐにホンタイジの陣営を目指していました。
ホンタイジは先頭の将をじっと見つめます。
「見覚えがあるぞ…以前あった事があるな。ヤツこそが袁崇煥だったか!」
先頭の将は絶叫します「袁崇煥見参!ホンタイジの首をもらう」
疾風のように駆ける一団はまっすぐ満州軍の本営に突入しました。
「落ち着け、こいつら、少数だぞ。落ち着いて迎え撃て!」
「ホンタイジ様を守れ!」
満州軍の本営は混乱します。
この混乱を利用して、袁崇煥は馬上から弓を引き絞ります。
「ホンタイジ!我らの怒りを喰らえ!」
放たれた矢は、ホンタイジの前に立ちはだかった兵の体を貫きます。
さらに、袁崇煥は馬上で短銃を取り出します。
「日本で手に入れた馬上筒だ!これで仕留める!」
銃弾はホンタイジに命中します。しかし、ホンタイジの兜を跳ね飛ばしただけです。
彼に傷を負わせることはできませんでした。
「袁崇煥よ。矢玉を使い果たしたな?逃がさんぞ。こやつらをとらえよ!」
ホンタイジは親衛隊に袁崇煥の一団の捕縛を命じます。
ここで、趙率教が絶叫します。
「ここは私が囮になります。閣下たちはお逃げください!」
「馬鹿をいうな!俺はここでホンタイジと刺し違えるのだ!」
「祖大寿殿、閣下を連れて逃げろ!」
「承知した!趙率教!貴様の犠牲に感謝する!」
祖大寿達は袁崇煥を連れて退却しました。
そこへ、残酷な矢が放たれます。
「ぐわっ!」
趙率教の首に矢がささります。
しかし、それでも、彼はそのまま槍を振り回して追撃を封じます。
「見事なり。」
矢を放ったドルゴンが敵を称賛します。
「この勇敢な兵に免じて追撃は控えよ。どの道、もう追いつかん。おい、貴様名を名乗れ。ほめてつかわす」
ホンタイジは、趙率教に声を掛けます。
「我が名は袁崇煥なり。この場に攻め込んだ全員が袁崇煥だったと思うがいい!」
「いい度胸だ。ドルゴン、とどめをさしてやるがいい」
「了解しました」
勇敢なる将にさらなる矢が射かけられました。
「総大将のいる本営まで攻め込まれてしまったな。この戦いは負けだ。本国に引き上げるぞ」
ホンタイジは全軍に退却を命じました。
そして、夜。 後金軍はついに退却を始めました。
都は、守られたのです。
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・戦いの後
「すまぬ…趙率教。すまぬ。」
袁崇煥が茫然自失で言うと。祖大寿が声を掛けました。
「満州軍は全軍引き上げましたな。この勝利は趙率教の功績ですな。」
「うぅぅ、趙率教どの……」
何可綱が短く嘆きました。
「敵は撤退しました。ですが、次はもっと深く、もっと鋭く攻めてくるでしょう」
満桂がポンと火薬袋を握りしめます。
「燃える生き様でしたぜ。趙率教殿!おれもアンタみたいな死に様をしたい」
袁崇煥は、静かに立ち上がりました。
夜空を見上げ、ただ一言。
「趙率教のお陰で勝てた……しかし、戦は、終わっていない」
その声は、星よりも鋭く、広渠門の夜に響きました。
◯1629年:広渠門に風が吹く──将軍たちの帰還──
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・広渠門の戦い、終結
風が、ぴゅうと音を立てて吹きました。とても冷たい風です。
血と煙、そして焼けた土の匂いが、まだ空気の中に残っています。石畳に染みついたそれらの匂いは、簡単には消えそうにありませんでした。
──しかし、戦いは終わりました。
明という国を守る軍隊は、ついに北から攻めてきた強い敵、後金の大軍を追い返したのです。
戦場となったのは、都・北京の城門のすぐ外にある広渠門です。城壁の上には、敵も味方も関係なくたくさんの矢が突き刺さっていましたが、それでも門は少しも揺らがず、最後まで立ち続けていました。
「……勝ったな。喜ぶには犠牲が大きかったが…」
ぽつりとつぶやいたのは、明の将軍である袁崇煥です。彼は広東出身の文官でしたが、その実、頭の良さと強い覚悟を武器にする冷静な戦士でした。無駄な口はきかず、剣よりも鋭い目で戦場を見通すその姿から、兵士たちはいつしか彼を「火龍の将軍」と呼ぶようになりました。
「趙率教殿のお陰ですよね!?献杯しましょう!」
声を張り上げたのは、満桂という武将です。 彼は、真っ先に突撃していく大胆な男ですが、今日ばかりは神妙にしています。
「勝利を喜んだ方が趙率教は喜ぶかもしれんな。……だが、“勝った”と思った時がいちばん危ない」
袁崇煥は、肩をぐっと押さえました。鎧の下には、まだ治っていない矢傷が残っていたのです。
「むむ、そうやってすぐ悲観的なことをおっしゃって!趙率教殿に勝利の美酒をささげましょうぞ」
満桂の横で、祖大寿が笑っていました。 祖大寿は、長い間、関外──つまり北の防衛線──を守ってきた、たくさんの戦いを経験してきた将軍です。戦場では厳しいですが、今日は勝利の後です。
今も、片手に壺に入ったお酒を振っていました。
「ほら、将軍。一口どうですか?勝利のお酒というやつで!」
「いらん。酔えば、斬る手がにぶる」
「さすが不敗の将軍!では、趙率教殿のために一口。」
「そうだな。勇敢な戦士のために献杯だ」
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・悲しみと、皇帝からの使者
そうふざけ合う兵士たちのそばに、袁崇煥の補佐を務める若き文官、何可綱が顔を出しました。彼は真面目ですが、少しあがり症で、心配性なところもあります。
「将軍……」
何可綱の顔には、はっきりと悲しみが浮かんでいました。
「……趙率教殿が……亡くなったのですね」
その言葉に、袁崇煥の表情が少し曇ります。趙率教は、いつも面白くて、兵士たちを和ませる存在でした。しかし、この広渠門での激戦で、彼は命を落としてしまったのです。
「……そうだ。あいつは、最後までよく戦った。この勝利は彼に捧げたい。」
袁崇煥は静かに目を閉じ、胸に手を当てました。兵士たちも、趙率教の死を悼むように静まり返ります。
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・次なる戦いへ
その時、広渠門の外から駆けつけてきた兵士がいました。
「しょ、将軍っ……!崇禎帝より、じ、じきじきのお言葉がございますっ!」
「内容は?」
「ええっとぉ……『忠勇にして国を守る』、えー、『これ、まことに国士なり』──とのことでしたぁっ!」
「……ほう。ありがたいことだ。大変な思いをして、一気に駆けつけた甲斐があった」
袁崇煥の目が、少しだけ細まりました。 崇禎帝は、皇帝になったばかりの若い皇帝です。やる気はありますが、まだ経験が少なく、役人たちの言葉に左右されてしまうような人物でした。
「ありがたい話だが……できれば言葉より、兵士たちの食料を送ってくれたほうが助かるな」
「えええっ!?せっかくの皇帝陛下のお言葉なのに!」
「お腹が空いては、戦はできない。名誉だけでは、お腹は満たされないからな」
横から祖大寿が苦笑しながら、壺のお酒をごくりと飲み干します。
「そういうところ、本当にブレませんね、将軍は」
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袁崇煥は、一人で門の向こう側を見つめていました。
敵の大将、ホンタイジは一旦退きました。 ──しかし、あの男がこれで諦めるはずがありません。
また来るでしょう。もっと大きな軍勢を率いて。もっとずる賢くなって。
だからこちらも、強くならなければならないのです。
「戦が終わったと思うな。……始まったばかりだ」
ぴゅう、と風が吹きました。
それは、勝利の風ではありません。戦いのただ中にいる者たちが、ほんの短い間に吸い込む、嵐の前の静けさのような風でした。




