守城の名将:袁崇煥:第4章:寧遠の章⑥
◯1626年──「ヌルハチの死と、四大ベイレの誓い」
国を作ったすごいリーダー、ヌルハチは、後金という国を立ち上げ、明という国と戦い続けてきました。しかし、1626年、ついにその命を終えました。
彼の死は、後金という国に大きな衝撃を与えました。
「新しい王様は誰になるんだろう?」
これが、国中の大きな関心事でした。
ヌルハチにはたくさんの息子がいました。一番年上の息子はチュイン(褚英)といいます。彼は本当は次の王様になるはずでした。しかし、チュインは戦で手に入れたものを公平に分けなかったり、他の兄弟に悪い呪いをかけようとしたりしたため、ヌルハチからの信頼を失ってしまいました。
結局、ヌルハチはチュインを牢屋に入れ、彼は数年後に亡くなってしまいました。こんなことがあったので、チュインは王様になれなかったのです。
才能があったのに、兄弟との争いに負けて、かわいそうな最期を迎えてしまったのですね。
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・新たなリーダーたち
そこで次に名前が挙がったのが、ヌルハチの二番目の息子、ダイシャンでした。
ダイシャンは、長い間戦場で手柄を立ててきて、家臣や部族の人々からもとても信頼されていました。
一方で、その弟であるヌルハチの八番目の息子、ホンタイジも、静かに王様の座を狙っていました。ホンタイジは戦いがうまいだけでなく、政治にも詳しく、若い頃からその才能を見せ始めていたのです。
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・四大ベイレの話し合い
ヌルハチのお葬式が終わった後、後金の都である瀋陽のお城の中に、四大ベイレと呼ばれる四人の偉い人たちが集まりました。
ベイレというのは、女真族の言葉で「王子」や「貴族」という意味です。中でも家臣たちに信頼されていた四人とは、
ダイシャン
アミン
マングルタイ
そして、ホンタイジ
この四人は「四大ベイレ」と呼ばれ、国の運命を決める力を持っていました。
その場で、重たい沈黙を破って、ダイシャンが立ち上がりました。
「お父様の意思を継ぎ、この後金を治めるべきは私だ。たくさんの戦を共に戦い、父のそばで学び、ここまで来たのだからな」
その言葉に、部族のリーダーたちもうなずきました。
しかし、その時──静かに口を開いた者がいました。
「俺は、一人で国を治めることを望まない。今は、四人で力を合わせてこの国を治めるべき時だ」
それが、ホンタイジの言葉でした。
彼は全員の目をまっすぐに見据え、続けました。
「今ここで誰か一人が王となれば、他の者たちに不満が生まれ、内乱の火種にもなりかねない。ならば、俺たち四人が力を合わせ、後金を導くべきだ」
これは、みんなで話し合って決める「合議制」というやり方の提案でした。
その提案に、一番年上のダイシャンは、しばらく目を閉じました。しかしやがて、まっすぐにホンタイジを見て、静かにうなずきました。
「……お前の言う通りだ、ホンタイジ。今は国を一つにする時だ。俺も、その考えに賛成する」
他のベイレたちも、順番にうなずきました。
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・若き王の誕生
こうして、後金は四大ベイレによる合議制で治められることが決まりました。
しかし──その中でもっとも信頼を集めたのは、やはりホンタイジでした。
1626年10月20日、ホンタイジはついに王様の位につきました。
こうして、若い王様が誕生したのです。
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・大清の誕生
その翌年、1627年。ホンタイジは新しい時代の始まりとして、年号を「天聡」と決めました。
そして、さらに国を良くしていく改革を進めていきました。
女真族だけの国にとどまらず、色々な民族を一つにまとめ、本当の王朝としての仕組みを作ろうとしたのです。
その集大成とも言えるのが──1636年、国号を変えたことでした。
「これより後金は、『大清』と名乗る!」
その宣言には、ホンタイジの強い決意が込められていました。
女真族だけの小さな国ではなく、明王朝に代わる新しい大きな国として、中国全体を治める未来を見据えていたのです。
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こうして、昔はただの部族の集まりにすぎなかった後金は──若い王様、ホンタイジのもとで、新しい大きな帝国「大清」へと生まれ変わったのです。
その一歩は、亡くなった父ヌルハチの夢を受け継ぎ、兄弟たちとの仲良く話し合うことで築かれた、まさに歴史を変える大きな決断でした。
◯1626年・遼東
――明と後金の戦乱、終わりなき血戦のただなかに、ある一人の将軍が帰還した。
1626年、中国の遼東という場所で、明という国と後金という国の間で、終わりのない激しい戦いが続いていました。そんな中、一人の将軍が故郷に戻ってきました。
その人の名前は祖大寿といいます。彼は明の武将で、遼東を守るために命を懸けてきた勇敢な人です。長い戦いでたくさんの手柄を立てたので、彼の名前は戦場で戦う人なら誰もが知っていました。
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・久しぶりの再会
その日、祖大寿は久しぶりに休みをもらい、妹の祖夫人の家を訪ねていました。妹は、遼東の偉い将軍である呉襄に嫁いでいました。呉襄も、袁崇煥と並んで遼東を守る重要な将軍で、明の東北地方を守る中心人物でした。
門をくぐると、祖夫人が笑顔で迎え入れてくれました。
「兄上、お帰りなさいませ。戦が終わって、やっとお顔が見られました」
「久しぶりだな、妹よ。お前の笑顔を見ると、戦場の疲れが洗い流されるようだ」
祖大寿は、妹の手を取り、優しく握りました。ごつごつした手に、ふんわりと温かさが伝わってきます。
客間には、すでに呉襄が座っていました。50歳とは思えないほど若々しい顔に、優しい笑顔を浮かべていました。
「お疲れさまでした、義兄上。ご無事で何よりです。手柄は、もう都にも伝わっていますよ」
「いやいや、戦は一人で勝てるもんじゃない。兵たちの忠実な心があってこそだ」
お酒を酌み交わしていると、話は戦のこと、仲間のこと、そして──**袁崇煥**のことにも及びそうになりました。
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・少年、呉三桂
そのとき、ひょこっと一人の少年が顔をのぞかせました。
「父上、お客様は……あっ」
祖大寿が目をやると、少年はすっと背筋を伸ばしました。
「叔父上! お聞きしてもよろしいでしょうか。僕、袁崇煥将軍のことを知りたいんです!」
その少年の名前は、呉三桂。呉襄の一人息子で、のちに歴史を大きく変えることになる人物です。
まだ14歳ですが、その目は獣のように鋭く、父親譲りの強いオーラが体全体からあふれていました。
祖大寿は、少年の目を見て、一瞬、胸の奥がざわめきました。
「袁崇煥か……そうだな、彼は本当にすごい男だな。後金の大軍を前にしても決して引かず、ヌルハチを倒した男だ。」
そう語りながら、祖大寿は言葉を止めました。
それ以上は語れませんでした。袁崇煥は今、都で、権力争いに巻き込まれようとしています。輝かしい成功と疑いが入り混じる未来を、少年にはまだ知らせるべきではないと思ったのです。
「だがな、英雄というのは、強いだけじゃダメだ。国を思い、人を思い、そして――孤独にも耐える心を持ってこそ、本当の英雄になれる」
呉三桂は、黙ってうなずきました。何かを感じ取ったように、口を閉ざしてその場を下がりました。
呉襄は笑いながら言いました。
「三桂には、いずれ父を越える器があると信じております。きっと、将来は兄上にも匹敵する男になりますよ」
「うむ……楽しみにしていよう」
そのひととき、家には久しぶりに家族団らんの時間が戻っていました。
しかし、戦いの記憶はまだ色濃く残っています。
そして、この少年がこれからどんな運命をたどるのか、誰もまだ知らなかったのです。
◯1626年 満洲の冬、決意の灯
厳しい寒さが続く満洲という土地でのことです。雪が舞う静かな夜、ヌルハチの後を継いで、後金という国の新しい王様になったホンタイジは、一人、黒い服のままテントの中に立っていました。
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ホンタイジの決意
彼の目は、じっと東の遠い場所、つまり明(みん*という国の境を見つめているようでした。
「袁崇煥……次こそ、決着をつけなければならない」
低い声は、焚き火の炎と一緒に震え、夜空に消えていきました。
袁崇煥は、明の重要な家臣で、遼東を守る名将です。鉄壁のような守りで何度も満洲の軍隊を追い返し、ヌルハチを苦しめた男でした。頭が良くて、とても勇敢なこの将軍は、後金にとって一番警戒すべき存在だったのです。
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若きドルゴンとの対話
その晩、ホンタイジはある少年をテントに呼び入れました。
「ドルゴン、来い」
呼ばれたのは、まだ13歳の少年です。しかし、ただの少年ではありません。彼はヌルハチの一番下の息子で、ホンタイジとは母親が違う弟です。幼い頃から剣術や馬術に親しみ、すでに戦場の空気を知っていました。人々の間では「小さき虎」と噂されるほどの才能を持っていたのです。
ホンタイジは、兄というよりは王様のように、まっすぐな目で彼を見つめました。
「お前に聞きたいことがある」
「……はい」
「――袁崇煥という男、どう思う?」
ドルゴンは少し考えてから、はっきりと答えました。
「恐ろしい将軍です。戦い方も、軍をまとめる力も、明の中では飛び抜けています。彼が遼東にいる限り、私たちが前に進むのは難しいでしょう」
「そうか。やはり、お前にもそう見えるか」
ホンタイジは焚き火の前に座りました。負けた悔しさを味わった者にしか出せない、重く暗い雰囲気が漂っていました。
ドルゴンもその隣に静かに膝をつきました。
「ですが、袁崇煥にも隙はあります」
「言ってみろ」
「彼は明の政府の中で孤立しています。あまりにも真面目すぎて、かえって仲間を作れないのです。いずれ彼は明に見捨てられるでしょう」
ホンタイジはわずかに笑いました。
「ふっ……年若いお前の目にも、そう見えるとはな」
そして、突然、焚き火の炎に照らされた横顔が、凍える風のように厳しくなりました。
「――もう一つ、聞きたいことがある」
ドルゴンは一瞬、兄の目を見ました。炎の揺らめきの中で、その視線は異常なほど澄んでいて、まるで刀のようでした。
「お前の母を殺したのは、この俺だ」
静かに、しかしはっきりと、言葉が放たれました。
その場の空気が変わりました。
焚き火の爆ぜる音さえ止まったように感じられました。
ドルゴンの母、アバハイは、ヌルハチの側室で、穏やかで気高く、子供たちに深く慕われた女性でした。彼女の死は突然で、そして謎が多いものでした。しかし、兄のホンタイジが王としての力を安定させるために、彼女に死を迫ったという噂が密かに囁かれていたのです。
ドルゴンは長い沈黙の後、答えました。
「なぜ、母を殺したのでしょうか?」
「お前の母親は身分が高く、賢かったからだ。お前の母親が『ドルゴンを皇帝にせよ』と父ヌルハチにお願いしたら。私は殺されていただろう。
私は自分の身を守るために先手を打って殺した…恨んでいるか?」
ドルゴンははっきりと首を振りました。
「恨んではおりません」
ホンタイジは驚いたように目を細めました。
「なぜだ」
「母は、満洲のために命を捧げたのです。兄上が皇帝になるとき母の命を必要としたのなら、それもまた運命です。……私は、兄上を偉大な王として支えたい。そのために生きていきます」
その言葉は、少年の口から出たにしては、あまりにも重く、深いものでした。
ホンタイジは静かに立ち上がり、弟の肩に手を置きました。
「……我が弟よ。いずれは俺の右腕となれ」
「はい。兄上の剣となり、盾となります」
焚き火の灯が揺れ、テントの布に二人の影を濃く映し出していました。
それは兄と弟の誓いであり、満洲という小さな国の運命を背負う者たちの、確かな決意の夜だったのです。




