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守城の名将:袁崇煥:第3章:遼東の章④

◯1622年 遼東りょうとうの風にて


冬の遼東――北の果てを吹き抜ける風は鋭く、まるで刀のようでした。その寒さのなか、ひとりの男がじっと地図をにらんでいました。男の名は、袁崇煥えん・すうかんみんという国の将軍です。


将軍しょうぐん、お体が冷えてしまいます。せめて少しだけでもお休みを……」 副官のひとりが声をかけましたが、袁崇煥は答えません。ただ黙って、かじかむ指先で地図をなぞり続けていました。


その瞳は鋭く、まるで夜の空を貫く雷のようでした。


そこへ――。 軍営の門が突然、轟音と共に! と音を立てて開きました。


雪風をぶち破るように飛び込んできたひとりの男。その男は背が高く、肩幅も広い。ですが、その足取りには無駄がなく、まるで嵐の中を突き進むいのししのようでした。


袁将軍えん・しょうぐん! お待たせしました! 満桂まん・けい、推参!」


そう言って、ド派手な大声をあげて礼をした男の名は、満桂まん・けい。当時30代の若き将軍です。彼の出身は建州けんしゅう女真――すなわち、後金こうきんの支配下にあった地域です。つまり、満桂はもともと女真じょしん族の生まれで、後金の支配地域で育った人物でした。


かつては後金に仕えていた満桂ですが、後に明に降伏し、遼東防衛軍の一員として戦うことを決意しました。そんな異色の戦士が、袁崇煥のもとを訪れたのです。


「誰だ?」 袁崇煥は冷たく一言だけ返しました。その眼差しは、ほんの少しだけ驚きを帯びているようにも見えました。


「誰だって!? こいつは一本取られましたな! まさか、この俺を知らないとは! よし、これから嫌というほど覚えていただきますぜ! 満桂! この遼東りょうとうの地を、共に守るためにやって来ました!」 その声は力強く、風をもはね返すようでした。


袁崇煥は、じっとその男を見つめます。 「……ほう。君が噂の戦士か。」


「戦士と呼ばれるのは光栄ですが、まだまだ序の口! 何せ、この地を守りたいという情熱なら、誰にも負けませんからね! いやぁ、将軍、あなたの噂もあちこちで聞いてますぜ! こいつは、面白そうだ!」 満桂は豪快に笑って答えました。


その時、軍営の奥からさらに何人かの将軍たちが姿を見せました。 祖大寿そ・たいじゅ趙率教ちょう・そっきょう――皆、遼東で名を知られた歴戦の武将たちです。


「ほう、満桂。おぬしが来たか。相変わらず騒々しいな。」 祖大寿が手を広げて笑いましたが、その目にはどこか警戒の色が見えました。


「遼東を守る戦いに、新しい助っ人か。しかし、随分と景気の良い声じゃのう。」 趙率教が、やや呆れた口調で言いました。


将たちの言葉に、満桂はひとつ大きく胸を張り、ニヤリと笑みを浮かべました。


「ははは! 口で戦うより、手と体、そして魂で戦うのが俺の流儀でしてね! 見ててくださいよ、この満桂、きっと皆さんの想像を超えてみせますぜ!」


その場に、ふっと笑みが広がりました。氷のように張り詰めた空気が、わずかにやわらいだようでした。


「……満桂まん・けい殿。北方出身の騎馬の冴え。戦場で見せてもらおう」


袁崇煥の一言に、場がまた静まります。その静けさの中、満桂はすっと姿勢を正しました。その表情は一瞬で真剣なものに変わっていました。


「袁将軍、もし力を試す場があるなら、どうぞ命じてください。戦場こそが、私の本分でございます。この命、遼東のために惜しみません!」


袁崇煥は頷きました。 「では、その目で見せてみろ。お前の真の力を。」


その後、彼らは幕舎に集まり、遼東の戦略について話し合いを始めました。北より迫る後金の大軍――ヌルハチ自らが率いる強勢を、いかにして迎え撃つか。智と胆が試される時は、すでに目前に迫っていました。


若き満桂、そして冷静沈着な袁崇煥。 二人の出会いが、のちの激戦にどんな嵐を巻き起こすかは、まだ誰も知りません。


ただ――。


この凍てつく大地に立つ彼らの足音が、確かに未来を変えるものになる。そのことだけは、風の音が告げていました。



◯1623ねん


遼東りょうとうの風にて


冬の遼東――北の果てを吹き抜ける風は鋭く、まるで刀のようでした。その寒さのなか、ひとりの男がじっと地図をにらんでいました。男の名は、袁崇煥えん・すうかんみんという国の将軍です。


将軍しょうぐん、お体が冷えてしまいます。せめて少しだけでもお休みを……」 副官のひとりが声をかけましたが、袁崇煥は答えません。ただ黙って、かじかむ指先で地図をなぞり続けていました。


その瞳は鋭く、まるで夜の空を貫く雷のようでした。


そこへ――。 軍営の門が、ギイィ……と、まるで悲鳴のようにゆっくりと開きました。


遠慮がちに、まるで幽霊のように入ってきたひとりの男。 その男は背が高く、肩幅も広い。ですが、その足取りにはまったく覇気がなく、まるで雪の中をふらつく迷い犬のようでした。そのお腹からは、ぐぅ~という頼りない音が聞こえてきます。


「す、すみません、あの、袁将軍えん・しょうぐんにお目にかかりたくて……」


そう言って、おずおずと声をかけた男の名は、何可綱か・かこう。当時30代の文官ぶんかんです。彼の仕事は、軍に食料や物資を届ける補給担当。いつも兵糧の心配ばかりしていて、自分のお腹も常に空っぽでした。


「誰だ?」 袁崇煥は冷たく一言だけ返しました。その眼差しは、警戒というよりは、少しばかり訝しげな色を帯びているようにも見えました。


「だ、誰って……えっと、何可綱と申します……。あの、遼東に赴任しまして……」 何可綱は縮こまるように答え、お腹をさすりました。


袁崇煥は、じっとその男を見つめます。 「……ほう。君が噂の補給担当か。」


「は、はい……噂ってほどでもないんですが……。ええと、兵糧は、こ、これで足りるんでしょうか? 私、いつも心配で心配で……夜もろくに眠れないんです……お腹も空くし……」 何可綱は眉をハの字にして、弱弱しい声で答えました。


その時、軍営の奥からさらに何人かの将軍たちが姿を見せました。 祖大寿そ・だいじゅ趙率教ちょう・そっきょう――皆、遼東で名を知られた歴戦の武将たちです。


「ほう、何可綱。おぬしが来たか。相変わらず腹の音がすごいな。」 祖大寿が手を広げて笑いましたが、その目にはどこか呆れの色が見えました。


「遼東を守る戦いに、新しい補給担当か。しかし、随分と頼りない声じゃのう。」 趙率教が、やや呆れた口調で言いました。


将たちの言葉に、何可綱はひとつ深呼吸をし、泣きそうな顔で言いました。


「ひぃ! す、すみません! でも、腹が減っては戦はできませんから! 食料は絶対、絶対に、切らさないようにしますから!」


その場に、ふっと笑みが広がりました。氷のように張り詰めた空気が、わずかにやわらいだようでした。


「……何可綱か・かこう殿。北方の戦は厳しい。兵糧は命綱だ。」


袁崇煥の一言に、場がまた静まります。その静けさの中、何可綱はびくっと体を震わせながらも、すっと姿勢を正しました。その表情は一瞬で真剣なものに変わっていました。


「袁将軍、もし私にできることがあるなら、どうぞ命じてください。お腹が空いて倒れそうになっても、必ず兵糧は運びます! この命、遼東のために惜しみません!」


袁崇煥は頷きました。 「では、その目で見せてみろ。お前の真の力を。」


その後、彼らは幕舎に集まり、遼東の戦略について話し合いを始めました。北より迫る後金の大軍――ヌルハチ自らが率いる強勢を、いかにして迎え撃つか。智と胆が試される時は、すでに目前に迫っていました。


気弱な何可綱、そして冷静沈着な袁崇煥。 二人の出会いが、のちの激戦にどんな嵐を巻き起こすかは、まだ誰も知りません。


ただ――。


この凍てつく大地に立つ彼らの足音が、確かに未来を変えるものになる。そのことだけは、風の音が告げていました。



◯1623年


寧遠ねいえん城―― 遼東りょうとう半島の西端にそびえる、この辺境の要塞にて、ひとりの男が静かに立っていました。


袁崇煥えん・すうかん。 南の広東かんとん出身。進士として科挙に合格し、遼東の混乱に志願して赴任した変わり者。冷静沈着、言葉少なで、やたらと苦い茶ばかり飲みます。


その男が、堅く凍った土の上で、じっと風を感じていました。


「……補給線がもたないか。あの峠道、荷車が通るたびに壊れる。」


地図の上をなぞりながら、袁崇煥はぽつりとつぶやきました。


「将軍! またですか、その道の話は! 我々には、もっと他に考えるべきことがあるでしょうに。」


背後からひょこっと現れたのは、祖大寿そ・だいじゅ。 遼東の古株で、見た目は大男ですが、口からは常に皮肉が飛び出します。いつも軽口を叩いては袁の無言に撃沈されています。


「そりゃそうとですね、俺は昨日、兵士の飯に虫が入ってたって報告を受けました。しかも、煮てあったそうです。あれって…食っていいもんなんすかね? まぁ、将軍なら『栄養があるから食え』とか言いそうですが。」


「黙って食え。」袁崇煥は言いました。


祖大寿は口をあんぐりと開けたまま固まりました。そこへ、**満桂まん・けい**がどしどしと現れます。


「おーい袁将軍えん・しょうぐん! 俺んとこの連中が、雪の中でもう三回も凍傷ですってさ! いやぁ、こりゃ盛り上がってきましたねぇ! こういう逆境こそ、燃えるってモンじゃないですか!」


満桂は、かつて敵だった満州まんしゅう系出身の猛将。いまや遼東軍の要ですが、豪放磊落ごうほうらいらくでハイテンション、口調も荒っぽいのが特徴です。


「凍傷に気を取られる兵は、敵の矢にも気を取られる。」


「へぇへぇ、そう言うと思いましたよ! まったく、あんたは風より冷てぇや! でも、そのおかげで俺らはますます燃えるってわけだ! 火傷には気をつけろよ、将軍!」


満桂がぼやいた横で、また別の男がふらふらと登場しました。


「やあやあ、やっぱりここにいたか。わたくし趙率教ちょう・そっきょう、今日も寒くて指がかじかみましてな! いやぁ、この歳になると、どうも骨身に応えますわい!」


趙率教は、かつて北京城の守備に携わったこともある文官崩れの参謀。皮肉と茶番が大好きな面白いおじさんです。にやにやしながら袁に近づきました。


「将軍、飯炊き兵が焚き火の火を持ち出して風呂を沸かそうとしたそうですぞ。まぁ、たまには温かい湯につからねば、兵士の士気も上がりませんし、わたくしの腰も冷えちまうってもんでしてな!」


「好きにしろ。」袁崇煥は言いました。


趙は小さく肩をすくめました。「いやはや、ご無体な!」


そこへ、重たい皮の外套がいとうを着た男が現れました。何可綱か・かこう。 いつも気弱で、空腹に悩む補給担当の文官です。その顔色も、どこか青白いように見えます。


「ひ、ひぃ……報告します。あの、歩兵百名が、槍術と隊列訓練を完了した……そ、そうです……ぐぅ……」


何可綱は、お腹の虫を鳴らしながら、震える声で報告しました。


「うむ。」袁崇煥は一言。


その声に、何可綱はうっすら頬を赤く染めました。


「さ、さらに今夜から、野営訓練を開始するとか、しないとか……。その、寒さ慣れには、夜の冷気が最適……だ、そうです……。でも、お、お腹が空いては死んでしまう、と……。」


「死ぬなよ。」


「はっ、死ぬ前に食べさせてください……。」


これには満桂が吹き出しました。「堅物のお前がそんな冗談言えるとはなあ! いや、冗談じゃないのか!?」


兵士たちの笑い声が遠くで響きます。ですが、袁崇煥の目は曇っていません。


――あと一年もすれば、ヌルハチ(ぬるはち)の軍が、必ず動き出す。


その時、ここ寧遠が戦場になる。 その覚悟を胸に、彼は再び、地図の上に指を走らせました。


冷たい風が吹きます。 ですがその風の中で、静かに火が燃えていました。 ――それは、遼東を守る男たちの、決意の火でした。

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