守城の名将:袁崇煥:第3章:遼東の章②
1620年:遼西の新たな始まり
遼東の地には冷たい風が吹いていました。
その風は、ただの風ではありませんでした。明の軍が戦いに負け、兵士たちの心から希望が消えかけている――そんな depressing な空気そのものだったのです。
このとき、明軍のリーダーは孫承宗という人物でした。彼はもともと学者でしたが、武官となり、礼儀正しく、兵士たちの命を大切にする人として知られていました。しかし、戦いの状況はなかなか良くありませんでした。
「…こんな状態でどうやって戦えばいいんだ」
孫承宗はため息まじりに、自分の軍の兵士たちを見回しました。彼らの多くは南の地方から遠く離れてやってきた若い兵士たちで、言葉も文化も違うこの土地に慣れず、やる気も体力も限界に達していました。
そのとき、静かに近づいてきた男がいました。彼の名は――袁崇煥。
広東出身で、役人の試験に合格し、若くして軍の政治に関わっていた、頭のいい将軍でした。
「指揮官…」 袁崇煥は、低い声で静かに話しかけました。
「お前、何か考えがあるのか?」 孫承宗はその瞳を見つめました。その目には、鋭い光と確かな自信が宿っていました。
「――遼人をもって、遼人を制する」
袁崇煥は、短くはっきりと言い放ちました。
「遼人を…?」 孫承宗は眉をひそめましたが、すぐに気づきました。「つまり、遼西の地元の人々を、兵士として使うということか」
「はい」 袁崇煥はうなずきました。
遼西というのは、現在の中国東北部にあたる地域で、女真族などの侵略から逃れてきた多くの漢民族が住んでいました。土地のことをよく知っていて、自然とも戦ってきた彼らは、十分な可能性を秘めていました。
「彼らを農業に従事させ、同時に兵士として鍛えるのです。生活を支えるとともに、守りの戦力として組み込む。それによって、彼らの暮らしにも希望が生まれ、兵士の数も自然と増やせます」
「…ふむ」 孫承宗はしばらくじっと考え込みました。
「――だが、現地の民を兵士にするだけでは、心がついてこないだろう。どうやって、やる気を高めるつもりだ?」
「彼らの土地を守らせ、その成果を彼ら自身のものとするのです」 袁崇煥はきっぱりと言いました。「自分の畑、自分の村を守るためなら、誰だって命をかけます」
「…面白い」 孫承宗は目を細めて笑いました。
「やってみろ、袁崇煥。お前に任せよう」
________________________________
数ヶ月後。
遼西の地には、見違えるような活気が戻ってきていました。 地元の人々は耕し、狩りをし、汗を流して収穫したものを分け合っていました。 同時に、彼らは棒を持ち、弓を引き、少しずつ戦いの訓練も始めていました。
「…お前のやり方、なかなか見事だな」
孫承宗は、現地の訓練所で笑いました。 かつて疲れ切っていた土地には、今、まばゆい光が射していました。
「ありがとうございます、指揮官」
しかし、どんなに準備が整ったとしても、戦いは冷酷で容赦ありません。次の瞬間に何が起こるかは誰にもわかりませんでした。しかし、今はただ、兵士たちとともにその時を待つのみでした。
〇1621年、新しい時代が始まる
春、中国の都から広東という場所へ、急ぎの知らせが届きました。その知らせは、**袁崇煥**という学者の家に飛び込んできました。彼は昔、国の北の境を守るためにがんばった人で、また国のために働きたいと願っている、志の高い人物でした。
「袁先生! 袁先生!」
玄関先で、泥だらけの使いの人が叫びました。
「万暦帝が… 万暦帝がお亡くなりになりました!」
この知らせを聞いた瞬間、袁崇煥は、まるで時間が止まったかのように動きを止めました。しかし次の瞬間には、落ち着いた声で、
「そうか…」
とだけ言いました。
心の中で何度も「万暦帝がお亡くなりになったのか」と繰り返しました。しかし彼の顔には、驚きも悲しみもありませんでした。なぜなら袁崇煥にとって、万暦帝は、もはやただの象徴にすぎなかったからです。自分の理想を支えてくれる存在ではなかったのです。
しばらくして、彼は部屋の奥に目を向けました。
「青桂、少し来てくれ」
そう呼ばれてすぐに現れたのは、袁崇煥の奥さんである黄青桂でした。落ち着いた上品な雰囲気の彼女は、夫の冷静な顔を見つめながら、そっと尋ねました。
「どうなさいました…?」
袁崇煥は、少し眉をひそめながら、奥さんに話し始めました。
「万暦帝が、とうとうお亡くなりになった。長い間、皇帝として国を治められていたが、熱心な君主ではなかった」
彼はゆっくりと、でも迷いなく語り始めました。
「皇帝が位につかれたのは、今から54年前、1567年のことだった。若い頃は、やる気のある皇帝だったのだがな。しかし、後半生は、政治を動かす役人たちや、皇帝のそばで働く宦官という連中にまかせっきりになってしまった。やがて、奴らに権力を握られてしまい、政治は腐敗した。このせいで人々は苦しんだのだ」
青桂さんは眉を寄せながら、そっと聞き返しました。
「…でも、あなたはそれでも皇帝にお仕えしてきたのでしょう?」
「仕えてきたのは、皇帝というよりも、国と国民のためだな。感情で政治を見るのではなく、冷静に歴史を見つめること。それが、役人の大切な務めだ。」
袁崇煥ははっきりと、そう言い切りました。
「…しかし、皇帝がお亡くなりになった今、明の国は、とても大切な転換点を迎えている。今の国の中心には、まともな政治を行う力が残っていない。宦官も役人も、お互いの足を引っ張り合ってばかりだ。ここから先は、誰が国を背負っていくのか、それが問われることになりるだろう」
青桂さんは少しだけうつむき、そっとつぶやきました。
「そう…これからの明の国は、どうなってしまうのでしょうね」
袁崇煥は、答えませんでした。その代わりに、遠くの空に視線を向けました。彼の瞳には、燃えるような光が宿っていました。
しばらくの静けさの後、青桂さんは、くすっと笑いました。
「でも、まさかアナタが、こんなに冷静に皇帝の死を聞くとは思いませんでした。少しは、動揺するかと…」
袁崇煥は、きょとんとした顔で問い返しました。
「意外だったか?」
「はい。だって、大変な出来事でしょう? 万暦帝がお亡くなりになったなんて」
少し考えてから、袁崇煥は静かに答えました。
「私は、感情に流されて生きるつもりはないのだ。それが、私の選んだ道だからな」
青桂さんはその言葉に、ゆっくりとうなずきました。そして、少しだけ困ったような笑顔で尋ねました。
「それで…これから、どうするおつもりですか?」
「どうするか…?そうだな」
袁崇煥は、その言葉を何度も心の中で繰り返すようにつぶやきました。
「これからの明の国を、どう導いていくのか。私のような人間にも、やるべきことはあるさ。皇帝がいなくなっても、国は終わらない。いいえ、これからが本番なのだ」
その瞬間、窓の外から一陣の風が吹き抜けました。それは、まるで新しい時代の始まりを告げる風のようでした。
◯1621年──遼東の若き将、新たな一歩
はい、承知いたしました。祖大寿の年齢を42歳に設定して、物語を修正します。
________________________________
1621年──遼東の将、新たな一歩
春、まだ肌寒い季節、都で静かに勉強していた袁崇煥のもとに、思いがけない声がかかりました。
「おい、袁崇煥。会わせたい男がいる。」
そう言ったのは、昔、遼東という場所を治めていた有名な家臣、孫承宗でした。彼は袁崇煥の先生でもあり、その腕前と忠実さをとても高く評価していました。
「紹介ですか?」と、ペンを止めて顔を上げた袁崇煥が、少し眉をひそめました。「新しい部下でしょうか?」
「いや、そうとも言えるが…まあ、会ってみればわかりますよ。」
しばらくして、廊下の向こうから、ゆっくりと歩いて現れたのは、経験を積んだ落ち着きと、しかし衰えを知らない力強さを感じさせる武士でした。日に焼けた顔に精悍な眼差し。数々の修羅場をくぐり抜けてきたかのような落ち着きが宿っていました。
「初めまして、袁崇煥殿。」その男は、腰をかがめて、きちんとしたお辞儀をしました。「祖大寿と申します。」
袁崇煥は相手の名前にすぐに反応しました。
「ほう、祖大寿ですか? …遼陽の、あの副総兵の息子さんですか。」
「はい、父は祖承訓と申します。文禄・慶長の役、つまり朝鮮での戦いでも明の軍の将軍の一人として参加し、戻ってからは遼東で長年、国の境を守ってきました。」
「ふむ…。」袁崇煥は相手をじっと見つめながら、腕を組みました。「そのお父上にして、この立派な雰囲気。ご経験も豊富とお見受けしますが、おいくつになられますか?」
「42になります。」祖大寿は静かに答え、その声には迷いがありませんでした。
「42…そうですか。」袁崇煥はゆっくりとうなずきました。「お若い頃から、随分と場数を踏んでこられたようですね。」
「はい。私は、物心ついた頃から父の背を見て育ち、兵として戦場を駆け始めております。遼東の厳しい冬も、瀋陽の凍った土地も知っています。」祖大寿の言葉には重みが加わりました。「ですが、戦いというものは年数で語れるものではありません。時には、一瞬の油断がすべてを台無しにしてしまいます。」
「…ふっ、なるほど。」袁崇煥は思わず口元を緩めました。「あなたは、実際の戦いをよく知っていますね。頭で考えるだけでなく、体で覚えている方だ。」
祖大寿は目を細め、やわらかく笑いました。
「過去にどれだけ戦で手柄を立てていようとも、役に立たなければ意味がありません。その思いだけで今日まで来ました。」
「そうですか…。」袁崇煥の表情が少しだけ和らぎました。「ですが、遼東の状況はこれまでとは違います。ヌルハチの勢いは止まりません。兵士をただ集めただけでは勝てませんよ。」
「承知しております。戦いとは、数ではなく、良いタイミングを見極めることです。」祖大寿は一歩、袁崇煥に近づき、やや声を低めました。「だからこそ、袁殿と共に動きたいのです。時を読み、人々を動かす──今度こそ、遼東を守りたいと願っています。」
しばらくの沈黙が流れました。
「…あなたは、ただ元の仕事に戻るのではないですね。」袁崇煥がつぶやくように言いました。「命をかけに来たのですか。」
祖大寿は黙ってうなずきました。
その様子を見ていた孫承宗が、にやりと笑って口を挟みました。
「ほら見ろ、相性は悪くないでしょう。」
祖大寿が少しだけ肩をすくめました。
「私はただ、袁崇煥殿ほど知恵はない。無学者です。足手まといにならねばよいが」
「…私にとっては実践経験は黄金のように貴重です。私が頭でっかちと言われないようにしなければ」
袁崇煥は軽い冗談をいいました。どこか嬉しそうでもありました。
「戦場でのあなたの働き、見せてもらいますよ。遼東に再び、光を灯しましょう。」
「はい、お命じとあらば、命が尽きるまで努めます。」
──遼東の将、ここに再び立ち上がりました。 その目には、熟練の武士にしか持ちえないほどの、燃えるような炎が宿っていました。