未来の日本軍輜重科は超巨大馬を使った。 - 輜重科実験部隊「龍王号」の台湾戦争
未来の日本軍輜重科は超巨大馬を使った。輜重科実験部隊「龍王号」の台湾戦争
1
台湾中部山岳地帯のモンスーン期の雨は凄まじい。この日も降り続く激しい雨の登り道で、あらゆる軍需物資を満載した牽引車を曳いた品種名「黒王」、個体名「龍王号」は、全身から濛々たる湯気を漂わせていた。
「黒王」は、日本軍が最近、明治以降の日本で曳き馬・農耕馬として使われたばんえい種や、フランス北西部ペルシュ地方原産のペルシュロン種などを遺伝子操作で改良した体高2.7メートル、体重1.8トンにもなる超々大型種だ。サラブレッドの体重の4倍近くある。
それが台湾中央部の険しい山岳地帯で巨大な牽引車を曳いているのは、日本と欧米各国、そして台湾独立派と中国の台湾独立戦争のためである。
中国が台湾を自らの政治体制に組み込んで久しい。日本は中国との摩擦が激しくなり、とうとう南シナ海シーレーン封鎖の事態となった。
「世界の工場」である中国からの輸入品も途絶え、石油まで押さえられた日本。プラスチック製品は民生品は何とか完全バイオマス製品に置き換える目途はついた。内燃機関の自動車は滅びて久しいが、電気自動車に使う重要材料も入ってこなくなった。軍事用途には内燃機関が未だ要る。最先端用途にもなお石油製品が必要不可欠なのだ。
欧米は中国に気を使い、日本への支援には積極的ではない。石油が無い日本の息の根が止まる日は近い。とうとう日本は台湾奪回に乗り出した。名目上は「台湾独立派の支援」だが。
2
話は1年前に遡る。
「輜重科」司令官、角川少将は神奈川県横浜市保土ヶ谷の司令部に近藤大尉を呼び出した。
角川司令官は昔、日本軍が「自衛隊」と呼ばれていた頃から「武器科」「需品科」「輸送科」といった「職種」で兵站業務を担当していた。それらは現在、日本陸軍の「輜重科」として一括管理されている。
「急に呼び出してすまないな、大尉。」
「いえ、どうせ暇な給料泥棒ですから。」
「ハハ、まあそう言うな。これから忙しくしてやるから。」
「はあ?」
「まあ、座れ。」
少将は大尉をソファーに座らせた。
「中国だ。もう日本は持たん。」
「…。」
大尉は無表情のまま聞いている。
「このままではジリ貧だ。上はそう考えてる。そこでだ。日本は中国を台湾から追い出す。」
「不可能です。」
「まあ、聞け。アメリカ、イギリス、フランス、インド、オーストラリアとは話が進んでいる。」
「アメリカさんが動くのですか? インドも?」
「日本を獲られたらアメリカはグアムまで、その後はハワイまで後退せざるを得ない。それは西太平洋を中国に譲る、という事だ。とうとう決断したようだ。西ヨーロッパ各国はアメリカが引きずり出す。インドも中国との融和路線をこの際捨てるようだ。アメリカには相当頑張ってもらうしかない。燃料、弾薬、航空支援も確約済みだ。まだ内密だがな。勝算はアメリカとインドの本気度次第だな。どうも、相当腹をくくっているらしい。」
「日本は?」
「首相は賭けに出るつもりだ。総力を挙げて国難に立ち向かう、との言質はとった。」
「朝鮮はどうなのです?」
「あてには出来ん。まあ、当然だが。」
「台湾の政情は?」
「台湾独立派ゲリラに相当手を焼いている。我々はその独立派の支援を行う、という名目だ。」
「…なら、やれるかもしれません。」
天井を見据えたまま大尉は言った。
「問題が一つある。…それでお前を呼んだ。」
「何でしょうか?」
「輜重科実験部隊を戦線に出す。」
「私どもを使うのですか?」
「前面火力に機動力を投入したいそうだ。燃料不足だ。兵站の分は二の次だそうだ。」
「何処かで聞いた話ですな。」
「使える者は皆使え、と上から言われた。お前の馬もだ。」
大尉の皮肉を無視して少将は話を続けた。
「無理は承知だ。お前たちが行っても何の役にも立たんかもしれん。…実験部隊は陰で『バフン部隊』と呼ばれているそうだな? だが行ってもらう。もし台湾が獲れたら、馬のお役は御免だ。獲れなくても同じ。だから今、実戦投入する。こういう時に備えて創ろうとした部隊だ。」
「…今使えるのは1頭だけですよ?」
「そうか。しかし燃料は要らない。必要なのは路端の草と水だ。…まあ、もう少し数を大きくしてから使いたかったが。」
「…わかりました。拝命します。」
「うん、正式にはまだ動けん。しかし極秘に準備に取り掛かってくれ。」
3
輜重科実験部隊は神奈川県の西、丹沢山地の麓にある。近藤大尉はクルマの後席で先程の角川少将の話を思い出していた。近藤は輜重科実験部隊で投入する戦力を考えていた。
なるべくなら少ない員数で行きたかった。万が一だが危険な運用をされるかもしれない。先ずは俺が部隊長。それは決まり切っている。近藤は後方に残るつもりは無かった。そして「黒王」の御者。これも近藤の頭の中で決まっていた。
かつてばんえい競馬の天才騎手として名を馳せた宮崎洋子二等兵。ばんえい競馬が廃れて突然職を失った彼女をリクルートしたのは近藤自身だった。あと、宮崎のパートナー的厩務員、水野二郎二等兵。彼が居なければ「黒王」の丁寧な管理は不可能だ。
「黒王」の生物学的実験に携わって来た先島幸太郎一等兵。まだまだ「黒王」は生物学的に安定した品種とは言えない。先島も必要だ。
プロの軍人も欲しい。特殊戦闘実験団にいた春日部龍次伍長。今は実験部隊で様々な雑用をしているが、彼も連れて行きたい。
「5人か…。」
近藤は呟いた。
騎手だった宮崎と厩務員だった水野以外の履歴は汚れていた。自分も含めて。そうでなければこんな実験部隊に転属になるはずが無い。
近藤は昔の事を思い出した。彼は陸軍士官学校出身で将来を嘱望された人物であった。ある部署に配属された時、直接の上官が業者と癒着しているかもしれない事を知ってしまった。近藤は直接上官に事実関係を質した。
「これは俺の一存で動いてる関係じゃない。お前、ここに居れなくなるぞ?」
その上官は逆に近藤を脅した。近藤は微塵も逡巡せず監察部に伝えた。その上官は依願退職したが、彼の言った通り、近藤の居場所もなくなった。
先島幸太郎も履歴の上では奇麗に見えるが、上官の違法薬物の使用を知ってしまったらしい。春日部龍次は山岳地帯での訓練中、誰も見ていない場所でザイルパートナーを死なせてしまった。その後、部隊内で暴行事件を起こした。
「吹き溜まりだな…。」
近藤は丹沢山地に落ちる夕日を見つめていた。
4
次の日、近藤は4人を部隊長室に呼んだ。10時きっかりに全員が出頭した。
「先日俺は角川司令官に呼ばれて保土ヶ谷に行った。ここからは極秘だ。近いうちに台湾で戦争がある。日本軍はアメリカ、イギリス、フランス、インド、オーストラリア軍と共に台湾独立派を支援する為、戦闘に参加する。」
皆一様に無表情のままだ。これが「台湾独立派の支援」の為の戦争でない事ぐらい判っていた。近藤は続けた。
「恐らく我が輜重科実験部隊も実戦投入される。」
そこまで聞いて4人は、初めてこの戦争が他人事ではないことを真に悟った。
「質問があります。」
宮崎が静かな、しかし確かな声で言った。
「まだ話の途中だが、許す。」
「我が実験部隊は創設から間がありません。ご存じでしょうが、使える『黒王』は5頭です。」
「1頭だけで良い。そしてお前ら4人に付いて来て貰いたい。」
「それは命令ですか?」
「いや、違う。これは俺の頭の中で一番最初に選抜した人員だ。」
「1頭の『黒王』を連れただけで何をするのですか?」
「物資を運ぶんだよ。決まってるじゃないか。」
「我々が投入されても戦局は変わらないと思います。」
「わが軍は投入できる全てのリソースをこの戦いに投入する。全てだ。…何か他に質問は?」
「時期はいつ頃ですか?」
「それは俺なんかには分からん。まあ、俺の読みで良ければ1年以内だな。これは志願者だけで行く。行きたくない者は後でこの部屋に出頭してくれ。…以上だ。」
出頭した者はいなかった。
宮崎が5頭の「黒王」の中から「龍王号」を選んだ。一番の体躯、牽引力を持つ。そして丈夫で辛抱強く従順だった。牽引車は満載重量3トンある。しかし坂路・泥濘地を行かなければならない場合を考えれば2トンが限界だった。
5
戦闘開始はあえてモンスーン期に行われることになった。足が鈍る雨季の攻勢は味方に不利だ、というもっともな反対意見もあったが、中国軍の卓越した装備と味方のやや貧弱な装備の戦力差から言って、戦略的奇襲を行いたい、という意見が辛うじて反対を上回った。山岳戦に長ける台湾独立派のゲリラ部隊も雨季の攻勢を支持した。
7月初旬、連合軍は「台湾独立派を支援する」との宣言の元、台湾南部の港湾都市・高雄に上陸するべく作戦を開始した。
中国軍への戦略的奇襲は成功した。しかし、初動は遅れたが、すぐに巻き返しを図るべく中国軍は動き始めた。高雄周辺の戦闘は苛烈を極めた。航空、海上共にどちらも優勢は獲れなかった。どうにか多大な犠牲を払いながらも連合軍は高雄上陸に成功した。連合軍は橋頭保を固めつつ、北にある台南に向けて一部は既に進発した。
輜重科実験部隊は橋頭保が確保された港湾部に輸送船で上陸した。船中でも龍王号は大人しく、食欲も落ちなかった。しかし、人間達の一部は落ち着きがなく、食欲も少し落ちている者がいた。
高雄の空は暗く低い雲が立ち込めていた。やがて激しい雨が降りだした。埠頭から約400メートル離れた倉庫で近藤が全員に集合をかけた。
「これから我が輜重科実験部隊は輜重科隊の後方から台南方面へ北進する。物資の積み込みは輜重科の隊員が行うが、全員どこに何が入っているかチェックリストと照合しろ。進発予定時刻1500時。」
と、近藤が下達している時、近藤たちが乗船していた輸送艦が大爆発した。衝撃と音は後からやってきた。皆一斉にその場で伏せたが、宮崎だけは龍王号の手綱に飛びついた。龍王号は激しく動揺して、宮崎の制止を振り切らんばかりであったが、宮崎は身体全体でその巨大な馬の体躯にしがみついて何か叫びながら離れなかった。やがて10秒程で龍王号は落ち着いた。
「皆立て。始めるぞ。それから宮崎、よくやった。」
近藤は無表情に言った。
6
台南までの舗装道路の状況はひどい有様だった。いや、道路というか地形そのものが変わっていた。輜重科のトラックも進行自体がなかなか難しい状況だった。その中で輜重科実験部隊だけが、ゆっくりとだが着実に歩みを進めていた。
「よし、大休止。」
近藤は言った。
「輜重科本隊がアレでは。このまま我々だけで進む訳にもいかん。」
低い雲から降りしきる雨の中、近藤は後方を見た。雲間から激しいジェットエンジンの轟音が鳴り響く。北の方角から、遠雷の様な爆発音が時折こだまする。
「春日部は周辺監視を厳としろ。空もだ。水野は龍王号に水を与えろ。」
近藤はどうやらエアカバーが効いているな、とは思いながら隊員には言わなかった。
「水野、龍王号の様子は?」
「少し疲労が見られますが、まだ脚は行けます。大丈夫です。」
「そうか、ご苦労。龍王号が水を飲み終えたら宮崎と交代してお前も休め。」
「いいえ、私がここで龍王号を見ながら休みます。」
「わかった。頼むぞ。」
近藤は輜重科本部の連絡無線に聞き入った。
「…時速4キロか。歩いたほうが早いな。」
まだ台南までは12キロはある。もう夕暮れだ。今夜はここで泊まるのか? 強行するのか? それは主力部隊が台南をいつ陥せるかにかかっている。近藤には輜重科本部に様子を伺うしか手はない。
その時、無線から輜重科実験部隊宛てのコールサインが聞こえた。
「ロホ6、こちらロバ1。オクレ。」
「ロバ1、こちらロホ6。ロンドン橋。ロバ1はPE3まで移動せよ。オクレ。」
「ロホ6、ロバ1はPE3まで移動する。オクレ。」
「ロバ1、以上。」
台南は陥ちた。
7
台南市街は高雄以上にひどいありさまだった。本当に日本軍がこの街をここまで破壊したのか? と近藤は一瞬思った。しかし、日本はアメリカ、イギリス、フランス、インド、オーストラリア連合軍の一部でしかないし、敵による破壊もこの残骸の中には含まれるだろう。
会合地点に到着して20分、装軌車両が接近する音が聞こえた。
「AT戦闘用意!」
近藤が叫ぶのと同時に、春日部がカールグスタフ4携帯無反動砲を構えた。100メートル前方の瓦礫と化した交差点の角からアメリカ軍の歩兵戦闘車が現れた。ブラッドレー2だ。
“We are allies!”
と叫ぶ声が聞こえた。
「…どうやらアメリカ軍だ。私が確認するまでATは構えていろ。」
近藤は春日部に命じた。
“Approaching now!”
近藤は歩兵戦闘車に向けて叫んだ。
ブラッドレー2から降りて来た1名の歩兵が近藤に向かって歩いてくる。ヨーロッパ系の兵士は少尉だった。手には電子パッドが握られている。兵士はサッと敬礼した後、電子パッドに英語で話しかけた。近藤は英語は解る。
「我々はアメリカ陸軍第31師団第6歩兵連隊第3大隊です。あなた方は日本軍の兵站科実験部隊ですか? 我々は物資を受領しに来ました。」
電子音声が電子パッドから流れた。
「その通りです。しかし、我々はあなた方に物資を譲渡せよ、との命令は受けてはいない。」
電子音声に聞き入っていた少尉は困惑した様子だった。「そんな筈はない。」と英語で小さく呟いたのが近藤に聞こえた。
その時、近藤の無線機が実験部隊をコールしたのが聞こえた。
「失礼。」
近藤は少尉に日本語で断って、無線の呼び出しに答えた。
「ロホ6、こちらロバ1。オクレ。」
「ロバ1、こちらロホ6。命令を下達する。オクレ。」
「こちらロバ1。命令を送信せよ。オクレ。」
「ロバ1。貴部隊の展開ポイントPE3にアメリカ陸軍第31師団第6歩兵連隊第3大隊から物資の譲渡要請が届いた。該当部隊にデータリンクで送るリストの物資を譲渡せよ。」
近藤は苦笑いしながら命令を受け取った旨を送信した。そして既に状況を把握して同じように苦笑いしている少尉に話しかけた。
「どうも今夜は霧が深いらしいな。」
少尉には近藤のジョークは通じなかった。
8
翌日、前線は台中方面へ伸びて行った。実験部隊は後方に取り残された。雨は相変わらずの勢いで降りしきっている。
「これで一応お役御免では?」
ポンチョのフードを少し上げて先島が水野に言った。
「そうですね。我々、かなり役立ちましたね。」
水野も同意した。
「まだまだ戦闘は続く、気は抜かないほうが良いと思う。」
その2人を春日部が軽くたしなめた。果たして、春日部の言う通りであった。
仮の指揮所テント内で近藤は角川少将と直接オンラインで話していた。
「見事な活躍じゃないか? 本物の輜重隊より機動力で勝ったな。」
「ありがとうございます、少将。部下が懸命に働いてくれました。龍王号も。」
「うん。…そこで話がある。」
近藤は嫌な予感がした。
「東海岸の都市、花蓮にヘリボーンで入った小隊が敵に包囲された。」
「我々にそこへ行けと?」
「お前たちのいる台南から花蓮まで一旦、高雄まで戻って東海岸を北上すると380キロある。花蓮の部隊はあと一週間と弾薬も食料も持たない、と言ってきている。」
敵の中枢である台湾北部、台北まで。南部港湾都市・高雄から台北までは、殆ど大きな都市・道路網は西海岸側に集中している。台湾中央部は峩々たる標高2000メートルから3000メートル以上の中央山脈が南北に340キロに渡り縦断していた。最高峰の秀姑巒山の標高は3825メートルもあった。横断する幹線道路は無い。いや、厳密には平時の横断道路が存在する一方、モンスーン+戦闘で寸断され“実質無い”に等しい。東側海岸に出るまで約50キロの行程の非常に険しい山路だ。しかし西海岸側の台南から東海岸側の花蓮に陸路で一週間以内に向かうには、中央山脈をどうしても超える必要がある。
「空輸は出来ないのですか?」
「東側のエアカバーにまで手が回らんそうだ。ヘリも今の所飛ばせない。私も色々手は尽くした。」
「…わかりました。拝命します。」
「うん。そして中央山脈で活動している反政府ゲリラとの連絡がついた。道案内は彼らに頼む。それと歩兵2個分隊がお前たちの護衛に着く。」
「ありがたいですね。」
近藤は皮肉では無く素直にそう思った。
「準備でき次第、直ぐに出てくれ。」
「了解しました。」
「それからゲリラの情報では機動装甲歩兵が出てきてるらしい。」
「例のパワードスーツですね。」
「うん。車両が入れない所に投入されている。」
「気を付けます。少将、例のブツは戦線に届いていますか?」
「ああ、試作品だが間に合った。ただし、1発のみだ。」
「助かります。」
「スマンが頼む。…近藤、生きて還れよ。」
少将の声には以前の張りはなかった。
9
近藤は部隊員全員の前で、少将から下達された命令と情報を元にブリーフィングを行った。
「ここまでで何か質問は?」
「護衛は2個分隊だけなのですか?」
宮崎が聞いた。
「どうもそれ以上は出せないようだ。」
「パワードスーツの詳細が聞きたいです。」
春日部が発言した。
「うん。詳細と言えるかわからんが、高さ約2.3メートル、重量は不明、行動動作・スピードは空身の訓練された軍人と同じだそうだ。おそらくマスタースレイブ方式のパワードスーツなのだろう。武装は重機関砲1、グレネードマシンガン1、対戦車ミサイル3だそうだ。装甲は12.7ミリ対物ライフルでもどこも抜けないらしい。まあ、物凄く素早く歩く重装甲戦闘車両だな。」
部隊員は静まり返ってしまった。
「…数は?」
やがて春日部が再び聞いた。
「わからん。しかし、ゲリラの情報によると山岳地帯全体に多数が展開していると思われる。我々はゲリラ部隊の先導により、なるべくそいつとのコンタクトを避け間道を行く。間道と言えども龍王号が通れなければならない地形が必要だ。会敵するやもしれん。進発は明朝0500時。以上だ。よく寝ておけ。」
10
翌朝0500時、雨はやまない。独立派ゲリラ数名、歩兵2個分隊に守られて輜重実験部隊は進発した。台南郊外から北東に進路をとった。道は既に舗装されていない泥濘地だった。しかし龍王号は辛抱強く着実に歩みを進めた。
昨晩、近藤、歩兵曹長、ゲリラのリーダーとで簡単な打ち合わせを行った。曹長もゲリラも初めて見る巨獣に圧倒された様だった。
「噂には聞いていましたが、まさかこんなに大きいとは…。」
「2トンの荷を運べる。車両が動けない地形や路面でもな。」
ゲリラのリーダーが英語で呟いた。
“It's like a mythical beast of God.”
そうだな、神獣か。近藤もそう思った。
道は勾配がどんどんきつくなっていく。既に10パーセントはあるだろう。0900時、部隊は大休止をとった。
「龍王号は?」
近藤は宮崎と水野に聞いた。
「多少の疲労がありますが、まだまだ。」
水野が答えた。
「先島、どうだ?」
近藤は生物学的観点からの情報を先島に求めた。先島は携帯型バイタルメーターで診断した。
「そうですね。循環器、消化器、筋組織、全て異常はありません。『黒王』種にしばしばみられる脱水の気配も今はありませんが、この湿度です。ミネラルの量は多少多めにした方が良いかと。」
「聞いての通りだ。水野、頼む。」
「はい。しかし龍王号は『黒王』の中でもとりわけ丈夫ですから。」
「油断して管理を怠るな。」
「わかりました。」
水野はミネラルの錠剤を、龍王号用に梱包した医薬品類の中から取り出した。
近藤はGPSで現在位置を確認した。ルートマップによるとこの先の勾配が一番きつい。間道を外れ森林の中を行く。歩兵隊は十分に訓練された兵のようで、大休止の最中も神経を緩めている者はいなかった。ゲリラのリーダーと曹長がマップを見ながらルートの話をしている。
休憩は終わった。進発だ。
「宮崎、頼むぞ。この先が難所だ。」
手綱を執る宮崎は前を見たままうなづいた。
11
龍王号が足掻く。道は斜面というより泥濘の断崖の様だった。
「龍王、頑張って!」
宮崎が叫ぶ。龍王号の全身からは濛々たる湯気が立ち上った。8人の歩兵を割いて牽引車の後ろを押させた。勿論、実験部隊の4人も荷物を牽引車に載せて力の限り曳いたり押したりした。
最後の絶壁を登り切った時、東側遥かに海が見えた。
「絶景ですな。」
曹長は近藤に言った。
「次回は観光で来よう。」
近藤が応じた。
12
登り切り、山の中腹まで森を行き、そこで林道に出た。
「麓まで10キロだ。気を抜くな。」
曹長が部下に命じていた。
突然、曹長の身体が血煙と化し霧散した。
「敵襲っ!」
歩兵部隊は林道脇の樹木の陰に散らばり、敵の位置を探した。味方歩兵が隠れた樹木の周辺で連続した爆発音がして、近距離の重機関砲の音がそれに続いた。
「機動装甲歩兵だ!」
歩兵の誰かが叫んだ。
「位置は!」
最先任となった軍曹が叫び返していた。
「270度方向!」
「270度、至近、AT戦用意!」
軍曹は怒鳴った。
近藤は真西を見た。居た。機動装甲歩兵だ。深い緑色のボディーは艶が全くない。林道から歩兵が隠れていそうな場所にグレネードマシンガンを打ち込んでいる。爆発音の連続。
「曹長KIA!」
誰かが怒鳴った。軍曹が指揮を引き継いだ。もはや2個分隊の護衛兵は3分の2以上が戦闘不可能だった。
近藤は牽引車のほうへ這って行き、赤く塗られたアルミの箱から赤い円筒体を取り出した。そして龍王号と牽引車を木陰に退避させようとしている宮崎に怒鳴った。
「龍王号を牽引車から外せ! 龍王号に騎乗しろ! 俺が合図したらあいつに北から全力でぶつかれ! 南は崖だ!」
近藤はそう言った途端に南側の断崖に小走りに近づいた。そして牽引車から持ってきたハンドグレネードを機動装甲歩兵に向けて投げた。爆音が響き土煙が舞い立った。…だめだ。やはり効かない。機動装甲歩兵は重機関砲を向けて近藤の方へ近づいてくる。
「宮崎っ! 今だ!」
近藤は赤い円筒体のピンを抜いた。2秒後、人間の可聴域すれすれの重低音が円筒体から大きく鳴り響いた。…しかし何も起こらない。いや、機動装甲歩兵が沈黙した。
そこへ龍王号にまたがった宮崎が機動装甲歩兵へ全速力でぶつかった。鈍い音と共に装着者が放り出され、機動装甲歩兵は遥か崖下へ落下していった。数秒後、酷い衝突音と何かが激しく裂ける音が鳴り響いた。
13
近藤が使った円筒型の装備は角川少将と話していた「例のブツ」であり、ある種のEMP兵器で、つまり電磁パルスで半径500メートルの電子機器を機能不全にする。しかし生体には影響がない、という、輜重科実験部隊のためにあつらえたような特性を持つ兵器だった。
死者はゲリラ全員と護衛の歩兵13名、無傷で助かったのは実験部隊5人と2名の歩兵。3名の歩兵は軽傷だった。龍王号と牽引車は無傷だった。
近藤は生き残りの歩兵と負傷者に言った。
「ここにお前たちを残して行く。救難信号は発信した。食料と水も置いていく。スマン。ご苦労だった。感謝する。」
「花蓮の連中を助けてください。私事ですが、あそこに弟が居るはずです。」
歩兵の最先任らしき伍長が言った。
「必ず助けて見せる。」
近藤はそれ以上言わなかった。
「進発! 敵に見つかる前に移動するぞ。」
海岸線まで出ることは避け、森林内を20キロ北上した。山の中腹から花蓮の街が見えた。情報によると小隊が立てこもっているのは港湾部の倉庫らしい。敵の重囲が見て取れた。ならばあそこの倉庫が小隊の位置か? 台南を進発して7日が経っていた。時間がない。
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近藤は4名の部隊員に向けてブリーフィングを行った。
「明日払暁、0400時に花蓮の敵包囲陣地に突貫する。ルート選考は概ねしたが、何があるかの詳細は予測できない。後は運だ。」
皆黙って聞いていた。
「もう我々を『バフン部隊』などと陰口をたたく日本軍人は存在しないだろう。十分に貴官らは職分を果たした。ここで降りたいものは名乗り出ても良い。後は龍王号と俺だけで始末は着く。」
誰も名乗り出なかった。
「龍王号が行くなら私も当然行きます。龍王号を上手く操るなら私が適任です。」
宮崎は言った。
「そういうことなら私も同じ気持ちです。」
水野も言った。
「ここに置いて行かれる場合の生存率と栄誉、あそこまで突貫して生き残る生存率と栄誉、なかなか難しい命題ですが、後者を選ぶべきだと私の勘が言っています。」
先島が答えた。
「私独りでここに残るわけないでしょう? 冗談じゃない。」
春日部は断言した。
「全員の志願を受理した。」
近藤は答えた。
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敵包囲網は内側にのみ指向し、外部を警戒していなかった。突然現れた巨獣に訓練された敵の兵士達が恐慌をきたした。
牽引車の中から4人は自動小銃、ハンドグレネード、スモークグレネード、カールグスタフ4を乱射した。宮崎は鮮やかな手綱さばきで龍王号を、小隊が立てこもっていると思われる倉庫へ向けて突進させた。
「…おい、何か外が騒がしいな?」
「幻聴か。お前ももうおしまいだな。」
「いや! 確かに戦闘音だ!」
「味方か?!」
「味方、なのか?…あれが?」
巨獣の突貫を見て敵も味方も肝を潰した。
16
戦闘は終わった。連合軍は中国を台湾から追い出し、独立派ゲリラが臨時政府の樹立を宣言した。
台北近郊の農村に輜重科実験部隊は駐屯していた。
「いつになったら日本へ帰れるのでしょう?」
水野が誰ともなしに聞いた。
「臨時政府が連合軍の軍事力で支えられてる間はムリでしょうね。」
先島が答えた。
「本国の実験部隊はどうなるの?」
宮崎が心配そうに先島に尋ねた。
「あのパワードスーツが出てきた時の近藤部隊長の新兵器の威力を見ましたか? あれは我が実験部隊が『黒王』の新しいアドバンテージを示したことになりはしないでしょうか?」
「俺は戦争のない所で『黒王』に乗って目いっぱいはしゃぎたいなぁ。」
春日部が言った。
「何だ? お前らだらけてるのか? まだ戦争中だぞ?」
近藤が入ってくるなり皆を軽く叱責した。
「ハイ!」
それぞれ近藤の様子にどきりとしながら表情を引き締めた。
「まあ、戦争中と言っても当分はこのバランスは崩れんよ。日本も息を吹き返しつつある。」
「はあ、それはいいことでしょうが、自分たちはこれからどうなるのでしょうか?」
春日部が皆を代表したような質問をした。
「我が輜重科実験部隊はその特性を軍中央に高く評価された。お前ら、日本に帰っても遊べんぞ?」
「それは『黒王』が認められた、という事ですよね?」
宮崎は聞いた。
「まあ、そういうことだ。もう俺たちを『バフン部隊』なんて呼ぶ奴は居なくなった。」
「それは私たちは最初で最後の『バフン部隊』ってことですよね?」
宮崎の問いかけに皆が笑った。
輜重科に「超重量馬部隊」が創設されたのはその後の話である。
――完