迷宮都市キルデア②
一瞬の浮遊感の後、あっという間に景色が変わる。
迷宮五十階層ーー通称「千万無量」の迷宮最下層。
迷宮最強の魔物たちが跋扈し、熟練の探求者が日々命を駆けて剣を、槍を、あるいは魔法を放つ場所。
まかり間違っても探求者ですらない一般市民が立ち入っていい場所ではない。
「なのに何で僕はこんな場所に……」
「覚悟決めるみゃあ。嬢ちゃんの方がよっぽど肝が据わってるみゃあ」
「こんなに深い迷宮階層に来たのは初めてです!」
「なんではしゃいでるんだよ」
「ここにはどんなお菓子の材料があるんですか?」
「ここには『地脈の結晶花』ってのが一応あるけど……」
地脈の結晶花は正確に言えば菓子の材料ではなく超希少な錬金術の材料だ。
地脈の魔力を吸い上げて花の形になったもので、迷宮の奥深くにしか咲かず、数は少ない。採取できたならばひと月は遊んで暮らせる金貨に変わるはずだ。
「じゃあ、それを探しに行きましょう」
「いや、本当に、ここは遊び半分で来ていい場所じゃないから帰ろう」
「おミャぁはまだそんなこと言ってんのかみゃあ。覚悟決めるみゃあ」
「わっ!」
安全地帯である階段付近からドンと押し出され、魔物蔓延る地へと一歩踏み出すフィン。
途端にビシビシと飛んでくる、殺意に満ちた視線たち。
「うぐ……!」
迷宮五十階層は、間違いなく迷宮都市最強の魔物たちが住んでいる場所だ。
転移魔法陣を使えば誰でも行くことはできるが、決して足を踏み入れるものは多くない。
生半可な腕では即死することを、キルデアに住む住民なら誰もが理解しているからだ。
額に汗が伝った。
五十階層には主に竜種が棲みついている。
竜とは古来より、最強の種族。あらゆる攻撃も魔法も弾く鱗を持ち、何もかもを灰燼に帰すブレスを吐く。どだい人間や獣人が勝てる相手ではない。
「今は土竜が大量発生してるんだって。オイラ、土竜のステーキだーい好きだみゃあ。とっつかまえて酒場に持ってって焼いてもらうんだみゃあ」
ふんふふんふんふーん、と鼻歌を歌うキトの正気を疑った。
「だったら一人で行けばいいだろ……僕たちを巻き込むなよ」
「キルデアに来たばっかりの嬢ちゃんに、迷宮都市がどんなとこか見せてあげようと思ってだみゃあ。お! 早速来たんだみゃあ」
どしんどしんと地鳴りがし、振動とともに現れる一匹の竜。
黄土色の鱗に覆われたその体から発せられる異様なほどの威圧感。鋭い眼光に睨まれたフィンはすくみあがった。
「ひい!」
「おーし、オイラの今日のごはん! 受肉しててくれみゃあー!」
迷宮に現れる魔物は倒すと消えてしまうものがほとんどだ。稀に発生から長い時を経た個体のみが、体の一部の落とす。キトが狙っているのはその一部である。
「とあー!」
間抜けな掛け声とともに繰り出されたキトの回し蹴りは土竜の腹をぶち抜いて風穴を開けた。エマが拍手をする。
「わぁー、キトさんって強いんですね」
「ああ見えてあいつは、伝説級の探求者だから……」
探求者というのはいくつかのランクに分かれているのだが、キトはその最上位に位置する伝説級の探求者だ。
通称「肉球拳のキト」。
冗談みたいな二つ名で冗談みたいな強さを誇る男である。
一撃で倒した土竜から運良く肉塊を手に入れたキトは上機嫌だった。
そしてエマはそんなキトを見て、拳をぐっと握りしめ、フィンをふり仰ぐ。
「わたし、迷宮の中をもっと見て周りたくなりました! このまま各階層を回って一階まで戻りましょう!」
「は!? ここから一階まで、五十階もあるけど!」
「わたし結構足腰には自信があるんです。行きましょう!」
「みゃみゃみゃ! いい根性してるみゃあ! よし、フィン、行くみゃあ!」
「ひいいい!」
「行きましょうー!!」
どどどど、と足音を立ててチグハグな組み合わせの三人が迷宮を行く。
一人は「ほあー! とあー!」とどこか気の抜ける雄叫びを上げながら、あり得ないほどの破壊力を持つパンチやキックを繰り出して一撃で魔物たちを沈めていく、茶トラの猫獣人。
その背後にぴったりと隠れるようにくっつき、迷宮産の珍しい植物や魔物のドロップ品を集めている、長めの金髪を一くくりにした、青い目を持つ美青年。
そして二人に遅れを取らないよう短い足を懸命に動かしついていく、好奇心いっぱいな表情を浮かべているオレンジ色の髪に緑色の目を持つ五歳ほどの少女。
迷宮探索にしてはパーティーバランスが著しくおかしい。
戦っているのは茶トラの猫獣人のみだし、後の二人は武器すら持っていない。
というかうちの一人は幼女だ。
「おい……あの茶トラの猫獣人、『肉球拳のキト』じゃねえか」
「伝説の探求者の……?」
「気まぐれにしか姿を見せないって噂の……?」
たまたま居合わせた探求者たちは、三人を見てコソコソと噂話を始めた。
「後に隠れてんのは、ランバルド公爵家の嫡男じゃねえのか」
「騎士の名家の……?」
「剣の才能がなくて雲隠れしたって噂の……?」
ランバルド公爵家は迷宮都市キルデアを統治している貴族家なので、当然キルデアを本拠地にしている探求者たちはその名を知っている。
ランバルド公爵家には息子が二人いて、長男は剣の才能に乏しく、家業を継ぐのを諦めて雲隠れしている……という話も当然に知られていた。
「もう一人は誰だ」
「お子様だな」
「迷宮四十階層に連れてくるには、不向きなんじゃねえか」
とてとてと有名人二人についてくる幼女の正体を知る者は誰もいない。
けれど、彼女を見た探求者はこぞってこう言ったという。
「かわいいな……」
「ああ、かわいい」
「天使みたいな子だな……」
天使みたいな幼女は、殺伐としている迷宮内を、大層興味深そうに観察していたという。
かくして一行は各階層を見て周りつつ迷宮最下層から地上出口までを半日かけて走り抜けた。
地上に出て日の光を浴びたフィンは、思わず空をふりあおいで涙を流した。
「……じ、地獄だった……死ぬかと思った……」
「オイラがついてて、死ぬわきゃあないみゃあ」
「キルデアの迷宮、とても興味深い場所でした! ぜひまた行きたいです」
「おう。いつでもまた連れて行ってやるみゃあ」
「もう当分潜りたくない」
ノリノリのキトとエマに対し、断固拒否するフィン。
キトは座り込むフィンの正面に周り、顔を覗き込んだ。
「おうおう、そんなこと言っていいのかみゃあ? オイラのおかげで随分食材が集まったっていうのによぉ」
「うっ……」
事実、この迷宮探索によってかなりの食材が手に入っていた。
「氷結果実、結晶ブドウ、黄金モモ、トゲバナナ、ヒンヤリオレンジ、ポカポカの実……どれもこれも、買えばそれなりの値段がするもんばっかりだみゃあ。オイラのおかげでタダで手に入ったんだ。もっとオイラに感謝すべきだみゃあ」
オラオラ顔でフィンに詰め寄るキト。しかしこの言い分はもっともであった。
「……あ、ありがとう……」
「わかればいいんだみゃあ。チマチマやりくりして買い物なんぞするより、自分で取りに行ったほうがよっぽど効率がいいんだみゃあ」
「まあ、キトくらい強ければそうだろうけど……僕の腕前だと、普通にいけば十階に到達する前に死ぬ」
「おミャぁはほんとーにわかってないんだみゃあ!」
深々とため息を吐かれたが、事実としてフィンのガタガタの剣の腕では迷宮十階の魔物に太刀打ちできないだろう。拳聖としての名をほしいままにしているキトとは違うのだ。
うつむくフィンにまたしてもため息を吐くキト。
そこに割って入ったのはエマだった。
「とにかく、材料が手に入ったわけですし、早速お菓子作ってください! 帰りましょう! さぁさぁ!」
「あ、あぁ、わかったよ」
エマにぐいぐいと腕を引っ張られ、フィンは立ち上がる。
「じゃ、オイラは帰って寝るみゃあ。また夕方にな、フィン」
ヒゲを震わせくあっとあくびをしたキトは、ひらひらと手を振って去って行ってしまった。
「さぁ、帰りましょう!」
「わかったから押さないでくれ」
両手に貴重な迷宮産の食材を抱えたフィンは、エマに背中を押されるがままに店へと帰って行った。
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