エマ・オベールの数奇な人生
「わたしの名前はエマ・オベール、こう見えて十七歳です。ハロディング王国南方の学術都市エスカルマの王立研究所第十七研究室に所属する研究員です。この度、実験中にちょっとした失敗をやらかしまして、こうして体が縮んで五歳の見た目になってしまったので、元に戻すための魔法薬を作るために迷宮都市まで足を運んだ次第でございます。ですのでわたしは迷子でも、誘拐された子供でもなく、れっきとした成人を過ぎたいっぱしの大人ですので、どうぞご心配なく」
右手に研究員のカードを掲げながらすらすらと言葉を紡ぐエマに、フィン、キト、そして連れてこられた警備兵の三人はどう突っ込んでいいやら反応に困った。
まず口を開いたのは警備兵だ。
顔はイカツイが人のいいことで有名な警備兵のおっちゃんは、首をひねってエマのカードを凝視していた。
「そのカード、確かに王立研究所の刻印が押されている……ってことは、事実……なんだろうなぁ……」
「はい! もし疑うようでしたら、研究所宛に書状を送って確認を取っていただいてもかまいませんよ」
「いや、そこまでしようとは思わないが……」
「にしても、悪漢に襲われていた女の子が実は成人済みだったなんて、ちょっと信じらんねえんだみゃあ」
キトは眉間の皺を限界まで寄せ、ヒゲをヒクヒク震わせながら言った。
「一体どんな実験をしたんだみゃあ?」
「詳しくは機密情報なので申し上げられませんが、実験は失敗だった……とだけ申し上げておきます」
「そりゃ、おミャぁの体そんなんになっちまってるんだから、失敗だろうみゃあ」
「で、迷宮都市に体を元に戻す魔法薬を作るための材料があるんだ?」
「はい。ですがもうそれはどうでもいいです」
「どうでもいい!?」
自分の体が17歳から5歳に退行してるというのに、どうでもいいとは一体。
しかしエマはキッパリと頷いた。
「どうでもいいです。そんなことよりわたしは今、運命の出会いを果たしました!」
「え……どういうこと?」
「あなた様の作る、お菓子です!」
「お菓子がどうしたんだ」
「わたし、エスカルマでは物体に魔法を付与する研究をしていまして、特にメインテーマで扱っていたのが食物への魔法付与でした。誰でも手軽に魔法の効果を得られるよう、食物に魔法を付与し、食べた人に一時的な魔法効果を与える研究を続けていたのですが……」
「ですが?」
「あなた様の作るお菓子こそ、魔法付与をするのにふさわしい!」
「えぇ!?」
トンデモ展開すぎて、フィンの思考は全くついていけなかった。
しかしエマは、こちらの困惑になどまったく構わず、カウンターから身を乗り出しフィンの両手を握りしめて迫ってきた。五歳児の体の割に握力が強い。
「わたし、甘いものに目がないんですけど、あんなに美味しいお菓子を食べたの初めてですっ。どこの誰ともわからない子供に親切にしてくださったあなた様の心の優しさ、焼き菓子に一工夫を加えるサービス精神、それに何よりも……イチゴとクリームがとてつもなく美味しかった! ぜひっ、あなた様の作るお菓子にっ、わたしの魔法を付与させてください!」
勢いがすごい。
熱量と声の大きさに物理的に押されたフィンは、カウンターの下で尻餅をついた。
「褒めてくれるのはありがたいけど、魔法付与っていうのはちょっと……」
「大丈夫です。悪いようにはしません。わたしの付与魔法はけっこうすごいので、迷宮に潜る探求者の皆様にバカウケすること間違いなしです」
「君、すごい自信だね」
「たくさん研究してきましたので。私の魔法の腕は絶対です」
「失敗して子供になっちゃってるけど?」
「研究に失敗はつきものです。時にはそんなこともありますけど、些細なことです」
自分の体が幼児化してるにもかかわらず「些細なこと」で済ませるメンタルがすごい。
それはともかく。
フィンがまごまごしていると、警備兵のおっちゃんが声をかけてきた。
「あー、つまり……君は五歳だけど本当は十七歳で、保護者はいないと」
「はい、そういうことになります」
「なら俺の出番はないな。詰所に戻るわ」
「世話かけたみゃあ」
「なに、お安い御用だぜキトさん。フィンさんもおやすみ。じゃあな」
「じゃ、オイラも帰るみゃあ」
おっちゃんに続いてキトも腰を浮かせたので、フィンはそのもふもふの腕をがっしりと掴んだ。
「キト、待てっ!」
「なんだみゃあ」
「こんなわけのわかんない子と二人にしないでくれっ!」
「わけのわかんないって……おみゃあの店を手伝うって言ってるんだからいい子だみゃあ。このうらぶれた、顔見知りの数人の探求者からしか注文が入らない、潰れる寸前の店をどうにかしてくれる救世主だみゃあきっと」
「てきとう! 適当に言ってるのがバレバレ!」
「やかましゃあ!」
ボグッと鈍い音がして、フィンの頬に猫パンチがヒットした。
悪漢を一撃でノしたキトの実力は本物だ。ノーガードで食らった猫パンチによりフィンの体が吹っ飛んだ。
「いたい……」
「オイラは帰ってマタタビクッキーでひと酔いするんだみゃあ」
ぷんすかと怒りながらキトが帰ってしまったため、店にはフィンとエマの二人のみが取り残された。
フィンが恐る恐る視線を向けると、エマがにっこりと微笑んでいる。汚れを知らない幼女の笑みに見えるのだが、実質中身は十七歳、立派に成人している研究員だ。
「今日からお世話になりますね」
「今日から!? もう真夜中だけど!」
「やっぱり研究の基本というのは、丸一日ずっと対象物を観察することから始まると思うんです。ですのでこちらでお世話になろうかと。家事全般は請け負いますのでご安心ください」
「…………」
押しの強い子だなぁという感想が漠然と浮かんでくる。
とはいえ、いくら中身が成人とはいえ、見た目五歳の女の子が真夜中の街をうろつくのは問題だろう。悪漢に襲われていたばかりだし、街に放てばまた同じような輩を引き付ける気がする。
とりあえず今晩はここに泊めるしかないのか。
諦め半分でそう覚悟したフィンに向かって、エマが一言。
「わたし、屋根さえあればどこでも寝られますので、どこか物置の一角でもお借りできますか?」
「ひと部屋空いてるから、とりあえずそこ使って……」
「本当ですか? ありがとうございます!」
にっこり笑うエマを部屋に案内し、自室に引っ込んだフィンはドッと疲れを感じたのだった。
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