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04,魔犬誕生

 9月、まだ残暑厳しい頃。

 荒野、と呼んでいい景色があった。

 セメントの材料などに使う砂山が見渡す限り何もない土地にいくつか固まりつつ点在していた。

 他にある物といえば大型のダンプカーが2、3台行ったり来たりするのと、

 一軒だけ、長い湾曲した道路ばたに、家がぽつんと建っていた。

 その境目も定かでない庭の外れに、道路にすぐ向かい合って、

 大きな頑丈な鉄格子の檻が置かれていた。

 その中に巨大な犬が立っている。

 牛ほどの大きさがある、と言っても言い過ぎではない。

 ただし、手足が長く、胴も長く、顔も長く、耳と顎にふさふさと長い毛が生えている。

 この長い毛が、今、この犬の不幸になっている。

 本来ならとても優雅な出で立ちをしているだろうに、今この犬は長い舌を出してはあはあと荒い息をして、目を血走らせ、薄い茶の毛は薄汚れ、垢染み、自身の体からも床の鉄板からも悪臭を立ち上らせていた。黒い大きな蠅がブンブン周りを飛んでいる。

 大型ダンプカーが前の道を走っていく。舞い上がる砂埃を檻はまともに浴びた。犬は堪らずその大きな体には狭い檻の中を苛々と歩き回ったが、また立ち止まり、はあはあと長い舌を出して、何か、少しでも良いことの起きるのを待った。

 郵便配達のバイクが止まり、郵便受けに手紙を落とし、犬と目が合った。

 配達員は眉を曇らせ、怖そうに、バイクにまたがると行ってしまった。

 犬は広がる荒野を見た。黒い影になっている天板を見た。照りつける太陽が、やがて傾き、強烈な西日となって差し込んでくるだろう。今日もまた地獄の時間が巡ってくる。

 犬の目はうつろになり、まぶたが閉じてきて、ついに、しゃがみ込んだ。激しい直射日光が当たる。

 それを避ける力は、もう、この偉大な犬には残っていないようだ。

 午後の地獄の時間を、乗り切ることは出来るのだろうか。


 夜。7時を回ってこの家の主が帰ってきた。彼自身小型のトラックに乗って、この広い資材置き場の管理の仕事を請け負う小さな会社の社長なのだ。50代の彼は、2年前に奥さんと別れ、子供たちも奥さんが連れていき、この寂しい一軒家に一人暮らしをしていた。いや、本来ならその寂しい暮らしに潤いを与えるパートナーであった犬がいるのだが。

 主人はトラックを降りてくると、家に入る前に犬の所に向かい、底の厚い靴で檻を蹴った。ガアーンガアーンと金属の重い音が響き、それでも、床にぐったり寝そべった犬はぴくりとも動かなかった。主人はじっと見て、もう一度蹴った。犬は動かない。

「ようやくくたばりやがったか」

 西の景色を見る。水色の微妙な色合いでまだ空には明かりがある。

「これ以上臭くならねえうちに埋めちまうか」

 家の裏に小型のショベルカーがある。

 それを動かして穴を掘り始めた。土地ならいくらでもある。


 人間の大人が十分入れるだけの穴を掘り上げた。

 ショベルカーのエンジンを切ると、主人は家に入り、大きな鍵の束を持って出てきた。

 ガチャリと鍵を回して、用心しながらギイイイイ、と半分扉を開けた。

 足先で、犬の投げ出された後足をつつき、腹をつつき、蹴った。安心して扉を開け放った。

「くっせーなあー」

 犬のように鼻の上にしわを寄せ、腰を折ると、犬の後足2本を掴んで、その巨体をズルズル外に引きずり出した。思ったよりすんなり動かせた。もう2ヶ月間餌も水も与えていない。毛皮の下は実は骨と皮ばかりだった。

「まったく、犬なんて飼うもんじゃねえな、面倒臭せえ」

 ズルズルと、裏に掘った穴に引きずっていく。

 日は沈み、西の空の明るさもずいぶん黒ずんできた。

 青い光が、三角の山の影を縫ってちらちら瞬いた。

 いや、数十、数百というたくさんの青い光・・炎の群れが、長い曲がった道を走ってくる。

 青い炎の群れは、一軒家を目指してひた走ってきた。

 それと気づかず主人は犬の死骸を

「そーれ」

 と穴に放り投げた。

 ぱさりと落ちた犬は、かすかに顔を上げた。

 主人はびっくりした。

「このくそ犬! まだ生きてやがったか!

 待ちやがれよ!」

 ショベルカーに向かった。十分な深さは掘ってあるので、このまま生き埋めにしてしまおうと考えたのだ。

 夢中でエンジンをかける主人は、視界の中を走る青い光を向こうの道路を走るくそ暴走族どものライトが飛んできているのだろうと気にもとめなかった。

 ブルルルルル、とエンジンがかかった。

「さあ覚悟しやがれ・・・・」

 正面を向いた主人は、口をあんぐり開けた。

 犬が穴の外にすっくと立っていた。


 ガルルルルルルル・・


 目を青く爛々と光らせ、恐ろしいうなり声を上げた。

「て、てめ・・」

「ワウンッッ!」

 犬の空気を震わせる強烈な一声に主人はひっと身をすくませた。

 犬は本来の優雅さを取り戻した軽やかな足取りで駆けてきた。主人は慌ててショベルを操るレバーに手をかけたが、犬はすたっとキャタピラーのカバーの上に乗り運転席に首を突っ込んだ。

「ひいい〜〜っ」

 主人は腰を抜かして地面へ転げ落ちた。

「いてえっ」

 その両肩に足を置いて、犬が降り立った。

「ガルルルルルル・・」

「ひひひひひひひひい・・」

 震えて歯の根も合わず、主人は犬の背後に浮かぶ青い炎、鬼火に気づいて、また恐怖に突き落とされた。

 魔犬。

 この犬は、地獄から舞い戻ってきたのだ、

 さんざんひどい目に遭わせた男に復讐するために。

「ひひひひひひ・・ゆ・・・ゆるし・て・・」

 犬はぐああっと大きく口を開き、主人の喉笛に噛みついた。


 久しぶりの食事を終え、犬は優雅に残飯を穴に捨てた。後ろ足で土をかける。

 地獄から甦り、牢獄からの自由を手にした犬は、しかし爛々と光る青い目の色を落ち着かせようとはしない。

 彼に再びの生を与えた青い炎の群れが、彼に我らが復讐も成せと期待する。哀れな同族を救い出せと期待する。

 アオオーーーーーーン・・・

 犬は遠吠えを発し、彼らの願いを聞くことを約束する。

 復讐は、始まったばかりなのだ。

 王を迎えた青い炎の軍団は、王に従い、次なる敵を求めて、町の光を目指し、意気軒昂に駆けだした。



 動物愛護団体に悪評高いペットショップでまたも変死事件が起きた。

 店主と店員の2名が殺されていた。

 またも死体に低温火傷の痕があったが、今度ははっきり殺されたと分かる。

 二人は喉を噛みちぎられていた。

 歯形が先に見つかった建築資材運送業の男性の死体の傷口と一致した。

 店には2台の防犯カメラが設置され、犯行の様子が克明に記録されていた。

 この町中にあるペットショップは深夜0時まで営業していて、これが動物たちによくないと団体が抗議していたのだが、

 その閉店間際、店内に無数の鬼火が浮かんだ。

 店主と店員は驚き、しかしこの不思議な現象にわりに落ち着いて眺め、騒ぎ立てる商品の犬猫たちを叱りつけた。

 ところが、この鬼火たちがいっせいに二人を襲ってきた。

 二人は全身を青い炎に覆われ、呼吸が出来ないようで、喉を押さえて苦しがった。

 外へ逃げようとすると、自動ドアが開いて巨大な犬が入ってきた。

 驚いた二人は奥に逃げ、体を巻いた炎が自由を奪うように渦を巻いて燃え上がり、

 苦しんで倒れたところを、巨大な犬が悠然と歩いてきて、

 店員の首を噛み、投げ捨てると、

 店長の首を噛んだ。

 投げ捨てると、鬼火は徐々に消えていき、

 犬はまた悠々と自動ドアを出ていった。

 ケージの中の犬猫たちが興奮して騒いでいる。

 あまり犬猫がうるさく騒ぐので、近所から苦情の電話が行き、警察がやってきて、この変事を発見した。


 監視ビデオの映像は犬が入ってきた一部がテレビで公開され、人を噛み殺したこの巨体の犬を、人々は、かの有名なシャーロック・ホームズ物語の傑作に登場する魔犬になぞらえ、「バスカヴィル」と名付け、恐れるようになった。


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