02,黒い犬
「おい、あれじゃないのか?」
3人の男は白い女のとなりに座る黒い犬を見て怪しんだ。ゆっくり近づいてきて、声をかけた。
「その犬、お宅の犬ですか?」
「はい」
と紅倉は答えた。
「そうですか・・。この辺りで似たような犬を見かけませんでしたか?」
「いいえ。うちの子だけですよお」
紅倉は愛犬家を気取って言った。
「そうですか・・。ところであなた」
「はい?」
「ずいぶん汚れてますね?」
「え?」
紅倉は白いTシャツに白いパンツ、白いサマーカーディガンを羽織っていたが、アスファルトをズルズル引きずられて茶色く、ほこりまみれになっていた。
「おほほほほほ。この子のやんちゃに付き合ってつい子供みたいにはしゃいでしまいましたわ。おほほほほ」
紅倉はぐりぐりぐりっと黒犬の頭を撫でた。犬は目をつむって大人しくされるままになっていた。三人はなお怪しんだが・・・・
チャラチャチャチャーーン、
「うひゃうっ」
紅倉は斜めに万歳してのけぞった。ドキドキしながら犬の首のポシェットから携帯電話を取り、あたふたしながら通話ボタンを押した。
「・・・・・もしもし?・・」
『先生。わ・た・し・です』
「あら美貴ちゃん? えーと、その声は怒ってるのかなあ〜?」
『どこにいるんです? 場所、分かってるんですか?』
「えーーとーー」
紅倉は電話を放すと男たちに訊いた。
「ここ、どこなんでしょう?」
男たちは顔を見合わせ、
「ここは三平池南3丁目だよ」
と教えた。紅倉は頭を下げて、
「えーとね、三平池南3丁目ですって」
と電話に答えた。
『なんだ、じゃ近所なんですね』
紅倉はへ?と思ったが、
「そうなのよー。ちょっとそこまでお散歩に。おほほほほ」
と誤魔化した。
「すぐに帰るから心配しないでねー」
と、三人に軽く頭を振って挨拶した。三人は行くか?と顔を見合わせ、歩いていった。
「じゃね」
電話を切ると、紅倉は横目に男たちを追って、言った。
「保健所の人たちね。おまえ」
と、腹這いの犬に、
「処分されるところから逃げてきたのね」
言った。
犬はむっくり立ち上がると、のしのし歩き出した。
「あー、待て待て」
紅倉はおいでおいでと手招きし、よいしょと立ち上がった。
「わたし犬になんて生まれて初めて触ったわ。動物に触ったのも初めてかしら?」
紅倉は犬が大人しいのをよいことに、わしゃわしゃわしゃっと毛皮に触りまくった。
「そっかー、こんな感じなんだー、へー」
大喜びで触って、手を放すと、正面からじっと見た。
「あなたはわたしに吠えない。あなたは、わたしの同類なのね?」
じっと見つめ返す犬に、紅倉は言った。
「あなたはわたしの命の恩人ね。よかったら、わたしのところに来ない? わたしがあなたの飼い主になって、住む所と、一生分の食事を保証するわ。どうかしら?」
犬は探るようにじっと見ている。
「ただし、一つ条件があります。わたしと暮らすなら、わたしの飼い犬として、去勢手術を受けてもらいます。ごめんなさいね、わたしは子犬の面倒なんて、とても責任持てませんからね。あなたは自分の子孫を残せないのよ? それでも、いい?」
犬はじっと紅倉を見つめ、お尻を付いて座った。
「いいのね?」
紅倉は犬の大きな顔を両手で押さえ、額にキスした。
「我が家にようこそ。うちにはさっきの電話のこわ〜いお姉さんと、お化けのお姉さんがいるのよ? ま、あなたは平気ね? そうだ、あなたの名前・・」
紅倉は犬の記憶を視ようとしたが、犬はふんと横を向いた。
「そう。じゃあ新しい名前を付けてあげる。そうねーー・・・・」
紅倉はろくに見えない目でじいーっと犬の顔を見て考えた。
「ロデム」
紅倉はニイッと笑った。
「どう?」
「ワンッ」
犬は一つ吠えた。
「オッケー。じゃ、ロデム。さっそくだけど、うちまで案内してくれる?」
ロデムは知らんぷりした。
「あっそ。じゃあ・・・・、捜しましょうか」
近所をぐるぐる回って、けっきょく2時間かけてようやく家に帰り着いた。
こわ〜い芙蓉にたっぷり怒られたのは言うまでもない。
紅倉たちと、黒いシベリアンハスキー、ロデムの、出会いの日だった。