12,死闘の明日
鼻先をぶっつけ合い、お互いにガリッと噛みついた。
ガウガウガウ、と激しく声を出しながら、お互い素早く力強く鋭い歯で攻撃し合った。
肩を揺らし、足を踏ん張り、ポジションを探り合い、首の軸を常に相手にまっすぐ向け、休むことなく攻撃を繰り出した。何度も何度も噛みつかれ、ロデムの鼻先は深い傷にえぐれた。バスカヴィルの方も青い炎が煙のように噴出した。生身の体だったなら激しく血を噴き出しているのだろう。
紅倉は右手を何度も胸の前に持ってきて、そのたびぎゅっと握って下に下ろした。ロデムとの闘いに集中している今なら、霊気の弾を放ってバスカヴィルを倒すことが出来る。しかし、これは犬同士の決闘なのだ、人間の自分が卑怯な手でボスをやっつけても、群れの鬼火たちは納得しないだろう。
子犬たちも厳粛な顔で見守っている。ビルや止めた車の中から見つめる人々も真剣な眼差しで、中には悲壮な表情をし、中には見てられなくて泣いてる女性もいた。
ガウウ、ガウ。
全力でぶつかり合い、死を懸けて闘う白と青の光を発する二頭は、実際の倍の大きさにも感じられた。
大都会のビルに囲まれて闘う獣たちは、怪獣のようでもあったし、キングコングのような悲哀も感じさせた。
もういい、もうやめてくれと、多くの人が願っていた。しかし。
「ガウッ」
ついにバスカヴィルが長い大きな口でロデムの鼻と下顎をがっちり捕らえた。
バスカヴィルは上から体重を載せてギリギリとくわえたロデムの顔を下へ押しつぶしていった。
ロデムは目を剥き頬を力ませ、首に力を込めブルンブルンと振った。都会のネオンがロデムの黒い顔に反射した。おびただしく濡れているのだ。
「ガウウウウウウウウウウウウウウウウ」
バスカヴィルがロデムを完全に地面に押しつけようとした。あきらめずグイッグイッと首を振るロデムは、
顔をひねって下あごを脱出させ、顔を交差させてバスカヴィルの頬に噛みついた。
間近で右目同士を睨み合わせた。
ロデムが太い首で体を回転させ、バスカヴィルの首をねじ曲げてその背中に乗った。
バスカヴィルは振り払おうと暴れたが、ロデムは食らいつき、しがみつき、離れず、
暴れていたバスカヴィルは、
立ち尽くし、よろめくと、どおっと巨体を地面に倒れさせた。
ロデムは噛みついた口を放さない。
上下していたバスカヴィルの腹が、ゆっくり、ゆっくり、
動かなくなった。
その上空に五つの白い玉が戻ってきた。
ロデムの体からも眩しい輝きが浮き上がり、一つの小さな玉と三つの大きな玉に分かれて、三つの玉は仲間に合流した。
紅倉はロデムに歩み寄り、しゃがむと、濡れた頭を撫でた。
「ロデム。お疲れさま。もういいわよ」
ロデムは赤い目をギョロッとさせ、バスカヴィルを見て、ようやくゆっくりと、太い糸を引きながら、口を放した。
ロデムが起き上がって離れると、バスカヴィルの体が青く燃え上がり、薄汚れた、骨と皮だけの体になった。
「バスカヴィル。あなたはすごい犬だったわ。あなたは、神様なんかにならないで、もう一度この世に生まれ変わってきなさい。そうしたら、今度はロデムのお友だちになってちょうだいね」
紅倉はバスカヴィルの黒い瞳にまぶたを被せてやった。
子犬たちが集まってきてバスカヴィルの体をくんくん匂いを嗅ぎ、ぺろぺろ舐めだした。
鬼火たちは白い八つの玉の周りに集まってきて、八つの玉は、鬼火たちを引き連れて西の空に飛んでいった。
白い毛の長い子犬が、ペットショップから外を窺う父親に「ワンワン」と吠えた。
父親は子犬を見て、
「リボンか?」
とつぶやいた。
子犬はワンワン嬉しそうに元気に飛び跳ね、すたすたと、都会の複雑な陰の中に消えていった。
父親が気づくと、紅倉が物凄く恐い横目で睨んでいた。
「行きましょう、ロデム」
紅倉とロデムもまた、戻ってきた都会の雑踏の中に消えていった。
数日経って。
紅倉は雨の日も風の日も毎日ロデムといっしょに散歩に出る。
あの私生活全般にめんどくさがり屋で消極的な紅倉が、ロデムとの散歩だけは毎日欠かさない。
ロデムの顔は傷だらけで、出会ったときから鼻が利かない。
紅倉にとっては気兼ねのいらないちょうどいい友人だ。
紅倉は相変わらず犬に出会うとワンワンキャンキャン吠えられる。
どうやらロデムも他の犬から吠えられているらしい。
でもロデムは紅倉と違って怯まない。あんまりうるさい奴にはジロリと一睨みしてやる。ロデムより強い犬なんて、この世にいるわけない。
紅倉は上機嫌で歩きながら、ふと、ロデムに言ってやった。
「ねえロデム。もしかしてあなたたち犬って、この世で一番馬鹿で、お人好しの動物なんじゃない?」
紅倉はロデムが大好きだ。
ロデムもきっと、この人間の女の友人を気に入っているだろう、多分。
終わり。