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わたしの透明

作者: みと

 きた、と思った。いやな予感が、ハンドルを握る左手の指先から、背中へと忍び寄ってきた。だめだ、と思った時には、もう、左手が透明になっている。波奈は、泣きそうになりながら、家に急ぐ。頭の中で、恋人が今日忙しくないことを確認しながら。


 家に着いた瞬間に、恋人へラインを送る。


「今日会わない?」


 返事を待つ間も、透明は顔の左側に侵食していく。早く早く。恋人からの連絡は、思いの外早かった。今から行く。


 玄関で抱きしめられ、そのままもつれる。恋人の触れたところから、形が戻ってくる。よかった、私は形を失わずに済んだ。


「俺たち別れよう」


 私がすっかり形を取り戻した頃、唐突に彼は私に背中を向けて告げた。あまりの唐突さに、私はみっともない顔をしていたに違いない。え、今? たった今、恋人ではなくなった彼は、ぼそぼそとどうでもいいようなことを話し続けている。本当にどうでもよかった。いま、透明になり始めている、消え始めている、私の身体以外は。私の恋人ではない彼に、正直もう価値はなかった。透明になり始めた手を必死に動かして、彼を追い払った。


 彼を追い払ったあと、用無しになった体は徐々に透明を増していった。幸いなことに、私は目を閉じればこんな状況でも眠ることができた。きっと起きたら、マシになっているはず、と目を閉じた。


 私はずっと透明だった。保育園の水泳の時間に水着を脱ぐ時、脇腹が見えたようで、友達は叫んだ。はなちゃん、おなかない!他の子を手伝っていた先生は、すぐに走ってきてその子を宥めた。そんなわけないでしょ、はなちゃんは透明人間じゃないんだから。再び友達が脇腹をみると、それは色を取り戻していた。友達に触れられた私は、自分の輪郭を取り戻していたのだ。


 それまで、透明であること、触れられることで色を取り戻せること、そのことを不思議に思ったことはなかった。しかし、それから、細心の注意をはらって立ち振る舞った。私の透明が、だれにも決してバレないように。私が、みんなと違い、空っぽであることがバレないように。実際、周りが恋人を作り始めると、ここぞとばかりに恋人を作った。恋人がいる間は、透明になる心配もなくて楽だった。


 朝起きると、透明はいくぶんかマシになっていた。ただ、身体が重い。仕事には行けそうになかった。携帯に手を伸ばす。小指がない。乾いた声で笑うと、苦労して会社に電話をかけた。


 電話を切って、買ってあったパンを手に取る。元恋人が朝までいると思っていたので、2人分のパンを買っていた。私と同じ、用無しのパン。そのうちの一つを取る。と、床にパンが落ちた。嫌な予感と恐怖。うまく息ができない。目をやると、やはり、左手はほとんど消滅していた。ああ、と声が出る。声が出たことに少し安心するが、次の瞬間には右の肘から先が消えている。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 バランスを失い、床に倒れ込む。涙を流すが、左頬の感覚がない。ああ、ダメだ。こんなにがんばってきたのに。必死に、普通になろうとしてきたのに。


 目を閉じると、元恋人の幻覚が浮かんだ。その幻覚の中で、私の身体は元に戻っていた。元恋人が私に触れているからだ。元恋人は、私の首に手をかけて、上からのしかかり、全力で締め殺そうとしていた。彼の髪は私の頬にかかり、あせは落ちてきていた。彼はただ強い殺意と憎しみだけをもって私をみていた。私は痛みと酸素を失っていく感覚をぼんやり感じていた。腰に彼が乗っているため、身動きを取ることができなかった。


 ーーーそうだ。


 なぜ気づかなかったのだろう。彼に殺して貰えばよかった。彼の全力で、私の命を奪って貰えばよかった。そうしたら、私は人の姿で死ぬことができただろう。


 ただ、そんな幻覚は叶うことはなく、視界から自分の体が消えていく。あとには、倒れた時に手繰り寄せた、タオルだけが残るだろう。

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