三日目。
実に困った事に、仕事は増えるばかりで一向に終わりが見えなかった。
他の宮廷魔術師達から寄越された『これを調べてほしい』だとか『目を通して不審な点を確認してくれ』だとか研究論文の手伝いが少しと、宮廷魔術師を宮廷全体の便利な雑用だと思っている別部署の官僚の魔術関連の依頼書。
文献の参照や渡された資料の精査には時間と頭を使うし、雑用は魔術での物探しや物理的な溝浚いなど種類は様々な上に移動距離もあるので肉体的疲労が大きい。
紙の束に手を伸ばし、触れたものに視線を向ける。若い宮廷魔術師の論文であった。
「(……他者の論文を読めるのは別に構いやしませんが、人の事を便利な辞書のように扱う前に自前の頭でもう少し考えてた頂きたいものだ)」
ざっと論文に目を通して溜息を吐く。どの文献が必要だとかここの叙述はおかしいだとかを紙に軽く書き込んで読んだ論文へ差し込み魔術を用いて返送した。そもそも同じ研究室の室長が確認を行えば良い話だろうに。
再び紙の束に手を伸ばし触れたものに視線を向け、
「(物探し。期限はまだ先か)」
日付順に集めた依頼書の山についと移動させる。
初めに宮廷魔術師を便利屋扱いし始めた官僚どもを恨みながら、また紙の束に手を伸ばした。
このままでは、彼女に菓子を渡す時間までも無くなってしまうではないか。
別に、学芸祭を共に過ごしたかった訳でないので、当日に依頼が来る事はどうでも良い。だが、会う暇が無くなる事までは受容していないのだ。
それは、『せっかく作った札を無駄にされたくない』ただそれだけの理由だ。
意識を少しずらせば、友人達と学芸祭を楽しむ薬術の魔女の様子が分かる。監視に付けていた式神達はうまく機能しているらしい。
……どことなく、彼女が元気そうに見えない気がしたが、恐らく気のせいだろう。
「(屹度、環境の変化や人の多さの影響だろう)」
確か、薬術の魔女のように馴染み易い魔力を持つ者、あるいは全身に魔力の放出器官を持つ者は、人混みが苦手だと医学書などに記載されていた。
手渡す菓子の中に魔力回復の植物でも混ぜておこうかと思考する。
ああして彼女は友人達と健康的で幸せそうに過ごしているが、虚霊に襲われ魂を持っていかれてしまえば二度とそれは叶わない。
その上、魔術師の男自身が直接監視している身でありながら死んでしまっては、こちらの評価が落ちる。それだけは絶対に避けたい話だ。
故に、絶対に三日目の午前中には無理矢理にでも時間を空けて、札だけでも渡そうと思う。
×
そして、学芸祭の三日目。
「ん、ほんとに来た」
学芸祭が始まったばかりの頃に、魔術師の男が薬術の魔女の元に現れた。変装のためか、去年と同様に人間の形をした猫、のような姿をしている。
服装は何かゆったりしたもの……どうやら、宮廷魔術師のローブだった。
「……何です。私が居ない方が宜しかったですか」
顔を合わせて早々の薬術の魔女の言葉に、魔術師の男はやや憮然とした様子で問いかける。
「そーじゃないよ。でも早かったね?」
「本来はもう少し残る予定がありましたが……まあ、色々と訳が御座いまして」
「ふぅん?」
「菓子を渡した後は戻ります」
「…………そっか」
宮廷魔術師の服は仮装ではなく、すぐに仕事に戻れるように、だったらしい。一緒にいられないと知り、薬術の魔女はなんとなく気分が落ち込んだ。
「其れで。菓子を手渡す際の問答は行わなくて宜しいのですか」
懐から札の付いた菓子の袋を取り出し、魔術師の男は問いかける。
「問答って……。……えっと、『お菓子くださいな』」
「『どうぞ、お菓子をお持ち帰り下さい』」
差し出された薬術の魔女の両手に、彼は菓子の袋を渡した。
「ありがと! 去年のお菓子、美味しかったよ!」
「お気に召したようで恐悦至極で御座いますよ」
受け取った薬術の魔女が、昨年の感想を伝えると魔術師の男は目を細め、微笑んだ。それが、心の底から笑っているように見え、少し、頬が熱くなった。
「今年は何かなー。あっ、焼き菓子と飴だ!」
「……矢張り、受け取ったその場で開けるのですねぇ」
「ん? 良くなかった?」
薬術の魔女がその小さな呟きに首を傾げると、
「いいえ。良い反応が見られて大変嬉しゅう御座いますとも」
魔術師の男はそう答えた。
「あ、袋にお札また付いてる」
「其の札を、前年と同様に窓辺に置いて下さいまし」
「はーい」
「其れと。此の札は少し特別な仕様で御座いまして」
「うん」
「他の魔力を溶かす魔力や薬品……例えるとする成らば、油性インクを溶かす乳化剤の様なものに触れると術が少し変わってしまいます故、お取扱いには御用心下さいまし」
「分かった」
薬術の魔女は魔術師の男から受け取ったお菓子や札を鞄の中に入れたところで、
「おはようございます、魔女ちゃ……あれ、お取込み中でしたか?」
その2が部屋の中に入ろうとして、足を止めた。
「あ、おはよー。ちょうど終わったところだよー」
「…………そこの人は……?」
「私の婚約者の人だよ。そういえば、去年は会ってなかったね」
「初めまして。婚約者がお世話になっております」
魔術師の男は丁寧に礼をする。
「……はじめ、まして……?」
不思議そうに、そしてやや警戒した様子を見せながらも、その2は丁寧に礼を返した。
「早々ですがお暇致します。それでは」
言うなり、魔術師の男はすぐにその場から立ち去る。
「……あ、行っちゃった」
足早に去った魔術師の男の様子を見送り、薬術の魔女はやや不満気に口を尖らせた。そして、先程魔術師の男から受け取った札をよく見ようと札を取り出す。
「それ、なんですか?」
「さっきの人からもらったお守りのお札」
ほら、と薬術の魔女が札をその2に見せた。
「……普通の、変な魔法も魔術もかかってないお札、ですね……?」
「そんなに宮廷の人って信用できない感じなの?」
そう、戸惑いつつも薬術の魔女はその2から札を返してもらう。
「なんというか、こちらが警戒し過ぎてるだけなのかもしれませんね……」
それから少しして。
「(……あれ)」
なぜか、今日はあまりつまらなく思わなかったことに薬術の魔女は気付いた。なんとなく気持ちが浮ついている気もする。
「(もしかして)」
今日と前日までの違いを考え、それは魔術師の男が来てくれたことかもとすぐに思い至ってしまった。
ほんの僅かでも、彼が来てくれたことでなんだか嬉しいと感じたらしい。
×
そろそろ昼の時間になるのでお店を閉じることにした。
その最中、なんとなくで魔術師の男からもらった札を手に取る。
「なんだか不思議なお札」
一つなのにたくさん、みたいな気配がするのだ。
去年はどういったものだったかなと思い出そうとする。ついでに気付いたら無くなっていたことと翌日のことをうっかり思い出したので思考を急いで止めた。
「へっぷし!」
急に吹いた風に思わず、薬術の魔女はくしゃみをする。その拍子に、少し魔力が滲んだらしく、
「うわっ?! 札が……」
薬術の魔女の魔力が直に触れた札が、バラバラと薄い複数の紙の札にバラけてしまった。やや厚く硬い紙が、柔らかい紙の束になってしまったのだ。
「…………わたしの魔力、そういえば魔力を溶かす乳化剤みたいなやつって言われてたな……」
一つなのにたくさん、の気配だと思ったら本当にそうだったらしい、と冷静に思考する。びっくりし過ぎて逆に落ち着いている薬術の魔女だった。
「……それ、貰っても良いですか?」
その様子を見ていたその2が薬術の魔女に問いかける。
「うーん……」
「多分、魔除けのお札なんですよね?」
「うん。そうだと思う」
「言いにくいことなんですが……そのお札、婚約者の方が渡した時よりも、圧倒的に効力が落ちてる……感じがします」
「そうなの? どうしよ」
「このままだと、その札は使い物にはならないと思いますが……何とか良い感じにしてみます!」
「んー……まあ、いいけど。こんなにあっても邪魔だし……」
「じゃあ、持っていきますねー」
「んー、ほとんど貰われちゃった」
手元に、その2曰く『そこの札の中で最もマシな札』だけ残して、その2が札を全部持っていってしまった。
ついでに、一緒に行く予定だった虚霊祭の本番にもいけなくなったらしく、薬術の魔女は友人A、友人Bと虚霊祭一色の街を巡り歩いた。




