嫌悪
最もいやな脅威が去った後、面倒な男が声をかけた。身の程知らずの男爵である。
糞野郎が声をかけたせいで気配を薄させていた姿が、周囲の目に晒されてしまったらしい。
「…………」
姿を目に入れるや否や、周囲の高貴な貴族達の目が厭らしく細まる。それは場違いで身の程知らずの男爵の男を見る、と言うよりは、既に分家のものですら無い魔術師の男の身を嘲笑う目であることを、魔術師の男は知っている。
「(何故、私を狙うのか)」
話しかける男爵は、後ろに聖女候補の養子の娘を連れていた。要するに、嫁にどうだ、と紹介されて居る。
相手を連れずに一人でいた事で、婚約者が居ても居らずとも、好機だと思われたのだろう。薬術の魔女を呼ばなかったのが裏目に出たようだ。
後ろに立つ聖女候補は気不味そうにしながらも、健気に穏やかな笑みを浮かべ、淑女らしくしおらしい出立ちでいた。
「(……矢張り、貴族崩れの宮廷魔術師だからか)」
内心で舌打ちをしながらも笑みを浮かべ、極めて穏やかに、そして遠回しに辞退の返事をする。
魔術師の男自身の、元の身分は伯爵。だが、それは家から縁を切られ既に無い肩書きだ。
だが、元の身分は高く教養もあり、現状でも宮廷魔術師である故に高い地位を得られる、とでも考えているのだろうか。
そして、傀儡にしようとでも考えているのだろう。
「(……其れ成らば、どうしようも無い愚人ですね)」
確かに、宮廷魔術師は宮廷で為政者の真似事はしているが、実際に法を動かしている者は本物の為政者達だ。
「(宮廷魔術師の私如きが、口出し出来る話では無いのですよ)」
貴族崩れの身で既に恥を晒して居る自身に、更に恥を被れと言うのか。
「……(此れだから、教育のなっていない者は……)」
小さく息を吐く。そして、事前に式神で作っていた偽の宮廷魔術師に自身を呼ばせる事で会話を切り上げ会場を出た。
×
「…………」
外を眺めながら、魔術師の男はゆっくりと気配を薄くさせ、存在を希薄にさせる。誰の目にも留まらぬように。
「(……此の儘、消えて仕舞えたならば)」
冷たく青臭い風が、春のにおいが、嫌いだ。
春になる頃には毎度魔力を引き摺り出され、その後は最も会いたくもない者に強制的に顔を合わせる羽目になる。
「(……学生の頃は、祝賀会への参加の強制も、春来の儀で魔力を引き摺り出される事も有りませんでしたね……)」
ずっと学生会の書類仕事と勉学だけを只管に行っていただけの日々だった。
「(……こんなに……私が、こう成ってしまったのも全て、)」
あの男のせいだ。
ぎり、と奥歯を噛み締める。沸き起こる感情が溢れないよう、魔術師の男はゆっくりと深く呼吸をし落ち着かせる。
ただ、優秀だっただけならば、こんなにも憎悪を持つ事は無かっただろうに。
「(……あの男は、私を……)」
弟を実験台にした。
魔術師の男の居た場所は、獣の精霊を使役する『古き貴族』の分家だ。
なぜか『古き貴族』は皆、魔獣の血が流れており、魔術師の男の家の開祖となった者は猫魈の血を持ち、獣の精霊を使役する者だった。
そして本家だけでなく、その分家だった魔術師の男の家にも獣の精霊を使役する伝統が残っていた。
あの男が行った実験と言うものは、『使役する精霊を道具でなく肉体に宿したらどうなるか』と言うもの。
既に兄自身は精霊を持った後だったからか、儀式前だった魔術師の男を実験に使った。
その頃はまだ純粋に兄を尊敬していた頃だったので、兄の指示に従ってしまったのだ。
そして、男の目論見は成功し、魔術師の男は自身の身に猫魈の力を宿してしまった。
猫魈の力を宿したその身を家族に気味悪がられ、また獣の精霊を使役出来なくなったとして、『出来損ない』の烙印を押された。
兄が本家の当主の候補として本家に上がったのも相まって、魔術師の男は認められる事もなくそのまま魔術師を育成する機関へ投げ込まれ縁を切られた。
「(…………今でも、思い出すだけで……っ!)」
腸が煮え繰り返るほどの憎悪が、湧き上がる。
子供が居なくなった家はその後、何故か子に恵まれず且つ不幸が不可解な程に続き、現在は没落寸前である。
こちらは何もしていない。ただ、魔力使わない特殊な術で強く祈っただけで。
具体的には家の象徴たる紋章を、朽ちかけた神樹に祈りを込めながら百度程釘を叩き付ける作業を、魔術アカデミーに入学するまでの6年程、毎日続けただけだ。
ちなみに、現在も行なっている。
日課になっているそうです。




