王国伐採5
「……おや」
「っ!!」
森の中に、真っ黒なローブの男が居た。
非常に背が高く、堂々とした綺麗な姿勢だ。骨格から男性だと判る。
真っ黒なローブから覗く髪は真っ白な色で。
「……此れは、珍しい」
にんまりと細まる目は——
「…………だれ?」
——魔獣みたいな、赤くて黒い色だ。
ちがう! この人じゃない!
魔女の中で、何かが叫んだ。
「わ゛ーっ!」
思わず、逃げ出した。
×
どうしてか、涙が溢れ出す。
胸が、酷く締め付けられた。
だから、逃げる。
「なんでこっちにくるの?!」
木漏れ日が差し込む森を、魔女は逃げていた。ちら、と振り返ると黒いその姿が見える。
追うのは背の高い男だ。真っ黒いローブに外套を深く被り、口元も布で隠していて目元しか見えない。
呼吸に喘ぎ、足を縺れさせながら走る魔女と違い、大男はゆっくりと余裕そうに歩いていた。
森の中で、大男は追いかけてくる。逃げても逃げても、逃げられない。
身体は大きいのに、狭い森の中をするすると器用に抜けて行く。
だからか、『逃げられない』と恐怖が湧き上がる。
がさ、がさ、と木々の擦れる音が耳にこびりついて離れない。
絶対に、捕まってしまうと感じた。
そして、魔女は転んだ。何もないはずのところで。
乾いた地面に転がり、ばさりと蜜柑色の髪が拡がる。
「っ!」
恐怖と痛みで身体がうまく動かない。
せっかく良い天気だったのに、大男のせいで台無しになってしまった。どうにか逃げなきゃと、魔女は表情を歪める。
そしてとうとう、追い詰められてしまった。
「貴女は、良く逃げますね小娘」
小娘と呼ばれると、胸が痛くなる。渋々と見上げた顔はやや青ざめていたけれど、息を呑むほど美しかった。ただ、据わった目が少し怖い。隈があって、ギラギラとしていて、獲物を求める獣のような印象を持った。
「(……怒ってる、のかな)」
でも。勇気を出して、最も言いたかった言葉をかける。
「な、なんで。わたしのなまえ知ってるの?」
出会った瞬間、目の前の大男は魔女の名前(正確には幼名)を呼んでいた。それを、魔女は聞き取っていたのだ。
「…………今、何と?」
大男が、真顔になった。
……何か、変なこと言ったかな? と魔女は不安になる。
「だから、はじめまして……だよね?」
「……」
固まったあと、大男は顔に手をやって溜息を吐いた。
「…………まあ、良いでしょう」
何か、諦めたような声色だった。
「忘れた成らば、思い出して頂く迄。……急いても致し方在るまい」
言い聞かせるように呟いて、近付いてくる。
「……ゆるりと、思い出して行きましょう?」
圧が怖くて、思わず後退った。
「時間は、たァっぷりと、有ります故」
近付いて触れられる前に、叫んだ。
「だからっ! きみは、だれ?!」
艶やかな白い髪に、紛まがい物のような赤黒い目。
こんな状況だというのに、その目が気に入らない。非常に気に食わない。そう思い、魔女は再び顔をしかめた。
一方で大男は動揺を見せ、けれど気を取り直したのかすぐに落ち着いた様子を見せる。
「……私は、黒騎士。ある組織……『精霊の偽王国』の、騎士」
薄い布で目より下を隠した大男、つまり偽王国の騎士は、赤黒い虹彩の目を三日月のように細めた。
そこで、ふと『精霊の偽王国』では『王』とか『侯爵』とか身分があるらしい話を思い出す。能力によって爵位が決められているのだと。
だが、『騎士』がいるとは聞いていなかった。
「呼び名通りに得物も振えますとも。馬も居ます」
「何が言いたいの」
「詰まり。『逃げても無駄』だと」
偽王国の騎士は心底愉快そうに目を細める。
偽王国の者は基本的に魔術師らしく、魔術の使いが上手いという。その上、目の前の偽王国の騎士は『騎士』なので物理的な武力も上で、走って逃げても馬が居るから追い付ける。
そう言いたいらしい。
「ふん!」
きっ、と偽王国の騎士を睨み付け、魔女は杖を構える。
「おや、魔術で抵抗なさる?」
一瞬、目を見開き「面白い」と偽王国の騎士は笑った。
「『我は宣言する……「文言が長い。『縛』」わっ!」
呪文を唱えようとした途端、魔女の足元に蔓が伸びた。間一髪で避け、
「文言の途中を狙うなんて卑怯だよ!」
眉を吊り上げて魔女は憤慨する。
「……相変わらず、回避は上手いですねぇ」
小さく呟き、
「卑怯も何も。貴女を襲う相手が待つと?」
偽王国の騎士は蔓を操作して尚も魔女を捕まえようとした。
「えい!」
杖を軽く振り、魔女は蔓を燃やす。
『魔法を使うな』と先ほど言われたばかりだったが、文言が畳めない魔女にはやはり魔法の方が手っ取り早く使えるのだ。
だが、偽王国の騎士は魔女の振るう魔法に何の反応も示さず、慣れた様子で火を掻き消した。




