王国伐採3
どうやら魔獣から上手く逃げ切れたらしい。ほっと魔女は息を吐いた。
「……この姿になってから良いことがないなぁ」
「不便が多いよ」と魔女は嘆く。
精神は退行するし、記憶は無くすし、訳もなく悲しくなるし、高いところのものは届かないし、魔法も簡単に使えないし……と、魔女は指折り数えた。
「ほら! 5つもある!」
もっとあるかも! と魔女は頬を膨らまし一人で憤慨する。
『私も不便は多いが』
呪猫当主はやや呆れたような声色で告げる。
「でも薄紫のねこちゃんはごはん食べる以外何もしてないじゃん」
『霞色だ。まあ、食事以外何もしない、というのは否定はせぬが』
呪猫当主はどこぞの誰かの呪いのお陰で、肉体と魂を分離せざる得なくなった。お陰で魔術もそれ以外の術も上手く使えないという。
「そういえば、わたしなんで薄紫のねこちゃんのこと知ってるのかな……」
『古き貴族』である呪猫の、しかも当主となぜ知り合っているのか。ふと魔女は疑問に思う。
「猿のとこの当主さんと知り合いなのは思い出せるんだけど……」
確か、軍属した後に薬猿で研修を受け、その折に仲良くなったのだ。だが
「あれ。なんで軍に行こうとしたんだっけ……」
軍属した理由が分からない。途端に涙が溢れ出し、ぽろぽろと溢れ出した。
『……私は何もしないではなく、出来ないだけというのを忘れるでないよ』
魔女の疑問には答えず『何もせぬ、出来ぬとはこうも大変で退屈であるな』と呪猫当主は優雅に息を吐いた。だが姿が可愛らしい猫なので格好がつかない。
「悠長にしてる場合じゃないんだけど!」
袖でぐい、と涙を拭い「早く元の姿に戻りたいの!」と、魔女は眉を寄せた。
『然し。私はこの通り何も出来ぬ身でな』
「じゃあ引っ込んでて!」
元の身分を考えるとなんとも無礼なことを魔女は言う。だが気にせず
『そうであるな。其の方が良さそうだ』
『必要な時は呼ぶが良い。暫く離れる』と、呪猫当主は消えた。
「離れるってどこに?!」
札から離れられないんじゃなかったの? と思うも、既に気配は消えている。「まあいっか」と、魔女は薬草摂りを再開した。
×
「ふいー、疲れた」
ぺたり、と魔女は地面に座り込む。「ちょっと休憩」と呟き下げていた水筒を開封した。
「やっほー、『命の息吹』」
すると、魔女の影の中から『黒い人』が姿を現す。
「ん。影がちっちゃいから、ちょっとしか出らんない」
頭から胸の辺りまでしか姿がない。それでも気にした様子はなく、魔女の方に手を伸ばした。
「どうしたの、『黒い人』」
『黒い人』に頭を撫でられながら、魔女は問う。『黒い人』は用事がなくとも現れるが、今日は何か用事があるような気がした。
「んお、鋭いね。さすが『命の息吹』」
嬉しそうに目を細め、わしわしと両手で魔女の頭を撫でる。
「えっとね」
小さく前置きをし、『黒い人』は考えているように視線を少し動かした。
「『命の息吹』。あなたは今、運命の分かれ道に立ってるの」
そして魔女を真っ直ぐに見つめる。
「『あなたが望むもの』が、絶対に欲しいなら。迷わず突き進んで」
いつになく真剣で珍しいな、と思ったところで
「——ってことで、これあげる」
と、魔女の手に小さな袋が握らされた。中には硬い石が二つほど入っている。開けると黒い石が入っていた。
「なに?」
「魔除けのおまじない。欲しいものを引き寄せ易く、嫌なものを遠ざけ易く。色々と都合の良いわたしの加護付き」
「ありがと!」
『黒い人』からの加護付き、となるときっと効果は強力だろう。
受け取った袋を魔女は大事に鞄に仕舞った。
「あ、あとね。これから何があっても変に逃げちゃダメ。頑張って向きあって。そうしたら『あなたが望むもの』が手に入るから」
「うん」
できるかな、と少し魔女は不安になる。だって魔女はあまり我慢強くない性格だからだ。嫌だと思ったら迷わず逃げるし、すぐに忘れてしまう。
だけれど、『黒い人』はそれから逃げるなと言ったのだ。
「よーし。約束」
そうすれば忘れない、と『黒い人』は小指を差し出した。ちゃんとした契りを交わすためだ。
「うん」
同様に、魔女も小指を差し出し、指を絡ませる。
「よし、よし。これで安心」
約束を結んだあと、『黒い人』は安心した様子で頷く。
「んじゃ、帰る。またね、『命の息吹』」
『黒い人』は影の中に沈んで行った。
「……でも、わたしの『望むもの』ってなんだろ」
魔女は首を傾げる。薬草は採取や購入で手に入るし、時間が合えば子供達とはいつでも連絡が取れるからだ。
「……?」
一瞬、ちくりと胸が痛む。
何か、ぽっかりと空いたもの。
「なんだろう」
それが『望むもの』なのだろうか。




