理解と慈悲9
伴侶である魔女が、悪魔が張っていた結界の外へ出たのを確認した。そして、友人である転移者の大聖女に回収されたところまで見届け、悪魔は背を向ける。
それから、近くの湖へと向かった。そこは悪魔の張った結界の領域の中にある。
彼が張っていた結界の正体は、外界と内界を軽く断絶するものだ。土地が自身に馴染むよう、特殊な歩法の反閇や文言で整え、その上に決まった位置へ呪符を置いて作った呪術の結界。
ただの魔術使いや軍人では感知できないよう、人除けや認識阻害を一等に手を加えていたので彼女が入り込むとは思いもしなかった。
「(流石は小娘だというべきか)」
妖精の魂に『おばあちゃん』や『黒い人』から、彼女は桁違いの加護と奇跡の力を授かっている。だから、ほんの一瞬の隙間や低い確率を探し当てて、結界に入り込んだのだろう。
『樹木が生えた日』からのいつも通りに、彼は近くの湖へ獣の姿で入る。ザブザブと水底を蹴って少し深いところへ、そして潜り文言を唱えた。
水面に上がる頃には人の姿に戻っており、瞬時に魔力で服を編み着替える。
四足で歩くことにはもう慣れた。獣の姿での反閇や発声を探った程度で、意外と支障は無かったのだ。『黒い人』曰く、「魂の形に沿った変化だから、すぐ馴染めたのだろう」という事らしい。つまり、魚や鳥へ変化した者達も、意外とすぐに海中での呼吸や翼を用いた飛行に、順応できたのかもしれない。
世界に変化が訪れてから、悪魔は巨大な猫魈のような姿へと変化していた。本来、猫魈と称される精霊あるいは魔獣は、人間の腰元程度の体高である。しかし、何故か彼は成人や軍人をはるかに超える体高の、猫魈のようなそうでもない獣になった。
『色々と混ざったからかな』と、『黒い人』は言っていたが。
「……何故、彼女は縮んでいるのです」
ふと悪魔は言葉を零す。すると
「君が精霊もどきになったように、彼女も妖精もどきになったんだよ」
と『黒い人』が現れた。
「あるいは……彼女、寂しいと消えちゃうんだよね」
なんて事もない様子で『黒い人』は告げる。
「なんだっけ。あれに似てるんだけど……」
そう、顎に手を充て考える仕草をした。
「あ、そうだあれだよ。わかる? ほらあれ。湯船に入れてしゅわしゅわして消えるやつ」
入浴剤とでもいうのか。
「今までは君の魔力で蓋されてたけど、それがもうほとんど残ってないの」
あれのおかげで、揮発しやすい魔女の魔力が彼女自身の中に留まっていたのだと教えてくれた。
「……」
今まで、所有欲を満たすために伴侶の魔女へ魔力を塗る事があったが、それがそう言った役割も果たしていたとは。
「あれは、戻るのですか」
予想外の事態に、動揺していた。まさか、彼女がそこまで自分の事を好いていたなんて、思いもしていなかったのだから。
「そりゃあ、もうね」
いつか見た、残念なものをみる目を一瞬だけして、『黒い人』は答える
「『命の息吹』が寂しくなくて、笑える日が来たらね」




