┣5年目の春。
防御関連の術式を屋敷に掛け、実験用の部屋に入る。それから、戸に鍵を掛けた。
専用の衣類に着替えて式神を配置し、薬抜きの準備を終える。
辛くないよう、身体の感覚を失わせる薬を飲み、薬物を吐き出す為の薬達を飲み込んだ。
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全てが終わってから、悪魔は小さく息を吐いた。
麻痺の薬が切れるまで、ゆっくりと動かないで過ごす。
身体は動かないが、思考はできるので思考に耽る。
「……」
あれから何度、魔女に呪いを掛けようとしただろうか。だが、掛けられなかった。
やはり、呪い殺すなど、できるわけがなかった。
彼女が死んで仕舞えば、それこそ本当に気が狂ってしまうだろう。
「(……例えば、国を……いえ。世界を破壊するくらいには)」
彼女という安寧を喪ってしまえば、憎しみや怨みや嫌悪しか、残らない。
彼女を失わせた世界を憎み、自身を不幸にした世界を怨み、自身をこんな風にさせた世界に嫌悪を抱くからだ。……完全に逆恨みであるが。
申し訳ないことだが、我が子達にその逆恨みに巻き込まれてもらうことになる。
そうしなければ、最も憎いあの男も破壊に巻き込めないからだ。
というより、自身と兄の両方が死ななければ死ねなくなったのだ。
憎い男との一蓮托生など反吐が出るが、そういう契約なのだから。
「(……扨。後、何年持つだろうか)」
自分が。
「(成る可く、私が正気を保っていられるうちに、帰ってきて欲しいものだ)」
長くて三年だろうか。既に壊れ掛けている自覚はあった。
「(……狂ってしまえば、今度こそ本当に呪い殺せるやもしれぬ)」
いや。呪い殺すその前に、どうせ後が無いのならばたぁっぷりと嫌がらせをして、無様な泣き顔と姿をその目に焼き付けて、序でに色々と滅茶苦茶にぐちゃぐちゃにして、彼女の純粋なその魂に何遍生まれ変わっても忘れられないくらいの惨たらしく悍ましい行為を深く深く刻み込んでから、殺してしまおう。
何遍死んでも忘れられない悪夢に苦しむであろう姿を想像すると、口元が愉悦で歪み乾いた笑いが溢れた。
「………」
深く息を吐き、湧き上がった情動を落ち着かせる。
我が子達へ向ける程度の、健全な愛情ならば、今すぐにでも呪い殺せただろうに。
妻に向けている感情は、身を焦がすような渇望と、凄まじいほどの執着。
確かに愛情も含まれているが、それは世間一般に健全だと言われる範疇を明らかに超えたものである。自覚はあった。
執着と渇望のお陰で、呪い殺せずにいる。
だが。このままだと、まともに妻に逢えず、共に縁を結び合った筈の彼女に振り向いてもらえない現状は変わらない。
自分だけが苦しいまま。
……苦しみから逃れるにはどうすれば良いのだろう。
「……」
思考を巡らし、現状の肉体のようにしてしまえば良いのだと思い至る。
麻痺させて、痛みを感じなくしてしまえば良い。
では、感情を殺してしまおうか。
彼女に出会う前のように。
目を閉じた直後
「忘れ物したー!」
ガタン、と無遠慮に実験室の戸が開く。
思わず目を開いた。
動かし難い身体をどうにか動かし、騒がしい方向へ上体と視線を向ける。
明らかに棒読みだと解る、抑揚の妙な言葉を叫ぶ声と同時に、春の花々の様に華やかな魔力の香が広がった。
ほんの少しだけ、春を好きになれそうな気がした。




