┣1年目の春。
「……」
晩秋のある日。
仕事から帰ると、妻が失踪していた。
「……………………」
そして、一週間もぶっ続けで探すが見つからない。
「(……此の私が、此れ程時間を掛けても見付けられぬという事は)」
占術や魔術の道具を自室の卓に置き、悪魔は小さく息を吐いた。
「(……本気で、逃げられたのか)」
まあ、二日目の辺りで薄々気付いていたのだが。
二度目はただの移動だったからか、その反動が大きいようだ。
結婚腕輪の縁が千切れていない為、思いの外、彼は落ち着いていた。
そして、正しく言うと彼だけ、彼女の姿を認識出来ていなかったらしい。何処へ行っても存在が感じられなかった。
軍部に居るであろう事は、周囲の反応を見れば明らかだ。『魔女が居なくなった』と騒がれていなかったから。
しかし。問い合わせても何故か答えを貰えず、『お引き取り願います』と返されたので軍部で何かしらの妨害が行われている事は悟った。
彼女の我慢の弱さを、つい、うっかりと忘れていた。
「(……だが)」
荷物が完全になくなっていない事に、悪魔は心の底から安堵した。
きっと、本当に逃げたのならば、立つ鳥の様に一切の荷物を残さないだろうから。
「(唯、近付いただけで、逃げるとは)」
本当に、御伽噺に現れる妖精の様に気紛れで自分勝手な方だと、悪魔は何度目かの溜息を吐いた。
それから。
「……漸く、」
見つけた。
季節は既に冬となり、捜索にひと月近くも掛けてしまったと気付く。仕事は自身を模した式神を送り出していたので滞りは無い。
軍部の施設、特に『魔女』の為に建てられたそこに居るだろうと対象を絞ったお陰か、悪魔は思いの外早く、魔女の居場所を特定する。
聖人の祝日の前に見つけられて良かった。
「(……眠れぬ)」
その夜、私室の寝台で悪魔は嘆息する。
今までずっと側に居た存在が居ないからか、落ち着かない。
「(阿保の様な弊害が出ておる……)」
顔を抑え、項垂れた。きっと、相性の良い魔力が何か作用を起こし緊張を緩和させていたのだろう。
彼女が失踪してから今まで、眠っていなかったから、気付かなかったのだ。
仕方あるまいと、昨日までと同じように、魔力を回復する薬と身体の疲労を浄化し修復する薬を混ぜたものを飲み込む。
そして冬のとある日、彼女が寝ている隙に、その枕元に品物を置いた。祝福と称して、祈りを込めた人形と菓子を。
「すぴー」
「……」
呑気に眠る彼女を見下ろす。
「(……貴女は)」
私が居らずとも、問題無く眠られるのですね。
手を伸ばし、触れようかと思ったが、やめた。
妙に聡い彼女の事だ。きっとすぐに気付かれる。
そのまま彼女の居ない日々を過ごし、冬の終わりに春来の儀の場へ向かう。
×
やはり、春は嫌いだ。
青臭い植物と鮮やかな花々の姿が彼女の様で、精神が昏くなる。
彼女が残していった薬達を、手に取った。
その薬で、儀式前に摂取させられた薬物を体外へ出すのだ。
薬で半分ほど酩酊しているが、ずっと、彼女の事ばかり考えていた。如何すれば、戻って来てくれるのだろうか、と。
何を変えれば帰って来るのだろうと。
それから儀式前に摂取した薬物を吐き出し、洗面台から顔を上げる。拍子に、鏡に見たくも無い自身が映った。
「(……酷い顔だ)」
隈の酷く死んだ目の、幽鬼の様に青白い男が映っている。
こんな様相になるなら、会いに行けばよかったのだろうか。
「(其の様な資格が、私の有るのか)」
こんなにも共に過ごしてきたと言うのに。
彼女が、どのような論理思考で活動しているのか、全く分からない。
会いに行った結果、余計に逃げられてしまったら、と考え動けずにいる。
一先ず眠る為に、入眠剤及び精神抑制薬を摂取した。
妻のお陰で、尋常でない程に薬学の知識がある。身体に起こった症状を誤魔化す為に必要な成分と、それの獲得方法、摂取方法に使用限度。
「……屹度、怒られるのだろうな」
小さく呟き、意識を手放す。




