研修に行く話。
第一子が6歳で初等部に入り、第二子が4歳、第三子が3歳になった頃。
「じゃあ、研修しに猿のところに行ってくるねー」
と、魔女はトランクいっぱいの荷物を持って玄関に立っていた。
「…………聞いておりませんが?」
静かに、悪魔は聞き返した。普段通りの表情だが声は低く、額には青筋を立てている。
叱ったり呆きれたりはするも滅多に怒らない彼が、どうやら随分と怒っているらしい。
「……あれ、言ってなかったっけ?」
その様子を見て、魔女は内心で驚きつつ首を傾げた。
「聞いておりませんが」
悪魔は同じ台詞を繰り返し吐く。
魔女にこっそりと付けている式神も、そんなことは教えてくれなかった。
「いつも、よくわかんないけどわたしの予定を知ってるから、ちゃんと言ってなくても今回も知ってるかなって思っちゃった」
「……」
そう彼女に言われ、つい、と彼は目を逸らした。身から出た錆だったらしい。気を落ち着けるように、目を閉じて深く息を吐く。
「……予定の変更は、出来ないのですか」
「ん。無理かなぁ。予定結構入れちゃってるし」
眉尻を下げ、魔女は答えた。
「……何故」
予告無しで妻が単身赴任とは何という地獄か。
おまけに、研修中は向こうに泊まりっぱなしである。研修の期間は最短で三年、普通ならば五年もまともに会えなくなる。
「子供達は、如何するのです」
「きみがいるから大丈夫かなーって」
「…………尽力は、致しますが」
絞り出すように言えば、魔女はそんなことを言った。嫌味などではなく、本気でそう思っているらしい。
「それに、ごーちゃんや式神さん、お手伝いさんにわたしの友達、おばあちゃんとかも居るし」
「だから、大丈夫だよー」と彼女は笑った。
「……来年、子を呪猫へ診せに行かねばならぬ」
ぼそりと、彼は呟く。
「だと言うのに私奴を置いて、一人薬猿で暫しの研修に行こうと言うのですか」
ずい、と、すっかり旅行スタイルの魔女に、悪魔は詰め寄った。
「まあ、そういう感じになっちゃうけど」
「成らば、行かないで下さいまし。何も今年でなくとも宜しいでしょう」
自身を置いて行くくらいなら研修に行かないで欲しいと、随分と熱烈である。
第三子の次女は、霊を操る才能が有った。
生まれてすぐに呪猫当主から断言された上に、しょっちゅう虚空の妖精や精霊を見つめたり微笑んだりしているので、「霊が見えない子だから」とは言えず、拒否のしようがなかったのだ。
だから、四つになる来年に呪猫での儀式を行わねばいけない。
「それは、猫の家の伝統行事だし、さすがに猿のところでもおやすみくれると思うよ?」
彼の訴えも、彼女は素気無くも擦り抜ける。
魔女は夫が呪猫へ一人で行きたくないのを知っているので、無論、研修があっても付き添うつもりはあった。
「とにかく、決まっちゃったから行ってくるねー」
ばいばーい、と手を振り、魔女は屋敷から出ていく。
「お土産もちゃんと送るからさー」などと言っていたが、そうじゃない。
「…………本当に、貴女と言う人は」
せめて、多少の心構えが欲しかった。
思いつつも、仕方無いと溜息を吐く。




