約束と契約のお話。
旅行は、手続きや始末の関係で、年が明けて少し経った冬に行われた。
「『愛の日』のプレゼントってやつですよ。あなたのお友達全員からの、友愛のプレゼント」
戸惑う魔女に、後輩の魔術師はそう教えた。
「冬場なんでちょっと寒いでしょうが、その分人は居ませんし、いい景色も見られますよ」
×
「……綺麗だね」
外に目を向け、魔女は呟いた。
余計な灯りのない、自然豊かな風景が広がっている。
「ええ。そうですね」
悪魔は同意する。だが、彼女の表情は翳った表情のままだ。
「……」
眉をひそめ、魔女は小さく溜息を吐いた。
「折角、貴女のご友人方が用意してくださったのですから、楽しみましょう?」
「……でも」
声を掛けるも、魔女は過ぎ去ったそれらに思いを馳せているらしい。
「…………そうですか」
「ちょっと、なに」
「貴女は、私と言うものが側に居ると言うのに、他の事ばかりに目を向ける」
する、と彼は彼女の手袋をずらす。隙間から入った、悪魔の骨張った長い指が魔女の素肌に触れた。
「そういう、気分じゃ……」
すりすりと肌を合わせられる感覚が、心地よいと感じてしまう。でも、そんな場合じゃない、と魔女は拒否しようとする。
「其れと、もう直ぐ約束の5年目が近いと言うのに、二人目もできておりませんでしょう」
「そ、そんな事言われても」
確かに、そうだった。相性結婚で結ばれてからもう、3年が経つ。初めての子供も、もうじき一歳になる頃合いだ。
妊娠期間は一年ほどなので、契約を反故にしないためにも、そろそろ二人目の事も考えるべき時期だった。
「……『貴女は国を救った』。其れで良いのでは?」
貴女は悪くないのだと、悪魔は優しく、諭す。後悔して傷付く姿を、これ以上見たくはなかった。
「で、でも……たくさんの人……子供とか、じ、実験に使っちゃったんだよ」
もう後戻りできない、と魔女は涙を流す。
「ふん。そう成らば、私や他の魔術師、軍兵共の方がもっと、直接的に、人を殺めております」
す、と目を細め、彼は返した。魔女は、彼のような魔術師や軍兵と違い、兵器を造っただけで、直接は手を下していないのだと。
「でも、それは命令だから……」
だから仕方ないよ、と反射的に魔女は言う。
「そう、『命令だから』。……貴女も、でしょう?」
言葉尻を捉え、彼女の顎に掬うように遣った手で此方を向かせた。
「う……」
眉を寄せ、魔女は言葉を詰まらせる。確かに、魔女自身も、彼と同じだった。
「ですから、貴女が気に病む事等、何処にも有りませぬ」
それに、自由を好む彼女を閉じ込め、圧をかけて無理矢理作らせたと聞いた。一体誰が、そんな彼女を責められると言うのか。
「……これは、慰安旅行です。貴女を労い、休ませる為の」
「ん……」
言い聞かせ、彼女の柔い頬を、触れる指先で優しく撫でた。
「もう少し、気を楽になさっても宜しいのです」
「でも、」
むずかしいよ、と彼女は眉尻を下げる。
「……忘れさせて、差し上げようか」
「んむ」
囁き、彼は口付けた。今度は、拒絶が無い。
「大丈夫です。……例え、世界中が貴女の敵になったとしても」
普段よりも近いその距離に、魔女は少し不安を感じる。
髪と同じ紫黒色の長い睫毛に縁取られた、彼の深い緑の虹彩がよく見えた。猫のように縦に避けた瞳孔の奥は、赤黒い色が滲んでいる。
「私はずっと、貴女の味方です」
そのままで、彼はゆっくり目を細め微笑んだ。吐息が掛かるほどに近いその距離のまま、悪魔は魔女の明るい赤色の目を見つめる。
「何の様な手を使ってでも、貴女を助けて差し上げる」
魔力の影響か、彼女の丸い瞳孔の奥はキラキラと煌めいて綺麗だ。あまり手入れはしていないだろうに、髪と同色の蜜柑色の睫毛は縁を隙間なく、綺麗に縁取っている。
「……嘘だ」
にんまりと細まる、常盤色の目に魔女は顔をしかめた。彼はいつも、魔女が苦しむ様子を楽しそうに見ている。それに、彼は嘘吐きだ。
「きみはきっと、いつか……わたしと敵対する」
「目的のために、きみは『手段を選ばない』から」そう言うと、悪魔は更に笑みを深くする。……正解、なのかもしれない。
「では『契約』しましょう。『私が、何時、如何なる時でも、貴女を助ける』と」
「……『契約』?」
思いもしない言葉に、珊瑚珠色の目は大きく見開かれる。
「はい。絶対に違える事のできぬ誓いを、私と貴女に」
「なんで、そんなこと」
「貴女と私は、約束をしました。『これからも、ずっと共に居る』と」
す、と、悪魔は薄い手袋に覆われた手を差し出した。
「そう、だけど」
「ですから。この私と、契約して下さいまし」
至極真剣な声に、魔女は息を飲む。
「そうすれば……私と貴女は、ずっと……共に」
離れていても、ずっと一緒に居られるのだと、彼は告げた。助けるために、どこに居ても、すぐに駆け付けられるのだという。
「…………『わたしを、助けて』。『これから、ずっと』」
大きな手に、そっと自身の手を乗せる。
真っ直ぐに、彼を見つめた。
「……えぇ。何に変えても、助けて差し上げる」
至極嬉しそうに、彼女の手を握り頷く。
手の甲に口付け、にんまりと笑った。
「……不穏なのは、嫌だよ」
「ふふ。極力、努力は致しましょう」
笑う彼に『少し早まったかも』と思ってしまったが、より強く結びついた気がしてなんだか安心した。
心の弱った魔女に契約を持ちかける悪魔……




