天地を返す話。
悪月の某日。
領地拡大を目論むとある国と争いが起こる。
『神が引いた』とされる国境に囲われ数多に対する中立を約束したこの国の創国以来、初めての領土侵攻だった。
それから2ヶ月後の涼月。
初めに侵攻されて以降、後退しつつあった戦線へ緊急事態と称し、切り札とされる宮廷魔術師が投入された。
抑止力として宮廷魔術師は重宝されていたものの、本来は宮廷魔術師の投入は控えるべきだと国はしていた。あまりにも戦力に差があるからだ。
しかし、警告も何もかもを無視をした侵略側に情けは無用と、宮廷魔術師の投入を許可することになる。
彼らの凄まじい魔力量と魔術操作能力で、窮地へ対応してもらおうという苦肉の策だった。
×
——とある駐屯地にて。
「……『攻撃魔術の使用を許可する』、ですか」
伝達兵から通知を受け取り、憂鬱そうに魔術師の男は呟いた。
『攻撃魔術の使用を許可する』とは言っているものの、要は『侵略側へ攻撃魔術を使え』という命令だ。
呟きつつ、魔術師の男は周囲の軍兵達へ防御に関する魔術を掛ける。
宮廷魔術師を戦場へ投入していたものの、元中立国という立場上、宮廷魔術師達は駐屯所の結界や兵士へ防御の魔術や身体強化等を掛けるサポートに徹するようにしていた。
だが、何度警告や話し合いの場を設けても、侵略側は侵攻を止めなかった。
このままでは王都まで占められてしまうとして、とうとう、宮廷魔術師達への攻撃魔術の使用が許可されたという事だ。
「承知致しました。では、私は何処へ配置されるので?」
問うと、最も侵攻の酷い生兎と祈羊の国境だという。
「……」
祈羊に接していた侵略国は、どうやらそこから生兎や交魚を制圧し、港を得ようという魂胆があるらしい。
そう考えるとこのままでは薬術の魔女の故郷、南部の不可侵領域の森へ火の手が回るのも、時間の問題だろう。内心で舌打ちをし魔術師の男は指定された場所へ向かった。
×
酷い臭いだった。鼻と口元を布で覆っているものの、魔術師の男はやや顔をしかめた。
火薬と血の臭いは濃いものの、彼が顔をしかめたのはその臭いではない。
数多の怨嗟や無念、怒り、無力への絶望の匂いもするが、それでもない。
侵攻国側からする、厚かましいくらいの義憤と『仕方なくやった』と悲劇に陶酔する様子に、顔をしかめたのだ。そう言った顔を、侵略側の兵士がしていた。
「……仕様が有りませぬ」
呟き、魔術師の男は左手を真横に薙ぐように振るう。
常盤色の輝きが集まり、手元に『杖』が現れた。はし、と掴んだそれは彼の身長よりも大分大きく、渾天儀を中心に錫杖と天秤を合わせたような形状をしている。
「心が傷みますが」
目を伏せって悲しそうな表情を作りつつ、シャラ、と高い金属音を鳴らして彼は杖の石突きを地面へ刺すように突いた。
宮廷魔術師は、滅多に仕事用の杖を使わない。だが、使用命令が出されたならば、使うしかない。
宮廷魔術師の杖は、使用者の知識と能力、価値観を現す鏡だとされる。そして、所持者が魔術を最も行使しやすい形状を取り、世界に同じ形のものは一つもないという。
「『告、“範囲指定”【最上】、“威力指定”【最上】、“属性指定”【流動】、“対物指定”【空気】」
杖を地面へ突き刺し目を閉じ、魔術師の男は文言を唱える。
声を張っていないものの、魔力を乗せた低い声は周囲へ不思議と響き渡った。
途端に、魔術師の男の足元より常盤色に輝く魔力の線が荒れた地面を這うように伸びる。前方の少し進んだ先で、ゆっくりと巨大な魔術陣を勝手に描き始めた。
唐突に地面へ引かれる魔力の線は、物理で消す事は不可能だ。
騒ぐ雑兵の声をそのままに、彼は魔術陣を描き切った。大きさは半径200m程度。戦場の一割にも満たない範囲である。
直後、
「構築し、命ず。“ひっくり返せ”』」
魔術陣の発動を許可した。
トン、と魔術師の男が地面を石突きで突くと、錫杖の様な高い音が鳴る。
刹那、描き上がった魔術陣が輝き地面が上になった。
言葉通り、魔術陣内部の天と地をひっくり返したのだ。
阿鼻叫喚の嵐だった。雑兵達の立っていた地面が丸ごと上空へ吹き飛ばされ、重力に従い残った地面へと叩きつけられる。そして、その上に多量の土砂が、重い兵器等が、魔術陣内部に居た侵攻者達に降り注いだ。
効力を発した魔術陣が消えた今、巻き込まれた兵士達は兵器と共に地面の下である。
一瞬の余韻も無く、魔術師の男は予め靴に仕込んでいた高速移動の術式を使い大分前進した最前線へ移動する。
目の前で地面が丸ごと上へ吹き飛ぶ光景に戸惑っていた、侵略者側の哀れな雑兵達の前へ出た。
地に足を着けるなり、魔術師の男は文言を唱える。
「『告。“術式指定”【直前】、”運動指定”【反復】、再構築」
直後、先程書いたた魔術陣と全く同じものが一瞬で書き上げられ
「命ず。“ひっくり返せ”』」
シャン、と地面を突く音と、一瞬遅れて再び魔術陣内部の地面が上へ吹き飛んだ。
先程と同様、天地を返された戦場は大量の瓦礫の山へと変わった。
横に視線を向け、魔術師の男は次の場所へ移動する。
「『告。“術式指定”【直前】、”運動指定”【反復】、再構築。而命ず。“ひっくり返せ”」
×
「……困りました。唯土を耕しただけで人も兵器も無くなって終われた」
地面を口元に手を遣り、柳眉をひそめ魔術師の男は呟いた。悲しそうに目を伏せって態とらしく白々しい態度である。
彼の目の前には更地が広がっていた。数刻前まで有った筈の駐屯所も兵士も、兵器も丸ごと全てが無くなったのだ。
事実、魔術師の男が使用した術は妻である薬術の魔女が畑を耕す際に使用していた魔法を、どうにか魔術式で再現したものだった。
地形はどうせ、後輩の魔術師や何処ぞの当主らの手に掛かれば数日で戻る。
「然し。此れでは碌な作物も育たぬ土ですなァ」
所々に土から覗く人の腕や脚、上半身を見下ろし「養分の偏りが過ぎておりますし」と零すと
「……よくもまあ、敵味方関係無く滅茶苦茶にしたな」
すぐ後ろから苦笑の混じる声がした。様子を見に来たらしい、魔術師の男の上司だ。
城の奥で大人しくせねばならぬ身分の癖に態々出向くとは、と呆れ短く溜息を吐く。
「何の国所属かの判別はしておりますとも」
振り返らず、魔術師の男は堂々とした態度で言葉を返す。
「兵器や武器、土に共に深く埋まりもがき苦しんでいる者は皆、敵方で御座いますれば。即ち、深く埋まった味方はネズミでする。御存知でしょう」
そして、すぐ近くから聞こえる呻き声の方へ顔を向け
「浅く埋まっておる者共は無論、生きて居ります。拘束も兼ねて保護しては如何です?」
と提案する始末だ。
「……お前は効率しか考えてないな」
色々と都合上やらなければならない事もあったのに、と上司が呟くと
「何です。折角、全力で魔術を使うてやったというのに」
そう、魔術師の男はつまらなそうに言った。
「…………本当に、全力か?」
「ええ。魔術行使の限界範囲、で御座います。魔力消費を抑えるために術式は簡単なものを使いましたが、お陰で連続使用も容易に」
にこりと魔術師の男が微笑むと、上司は顔をしかめて深く溜息を吐いた。




