はじめての8
「お腹すいちゃった」
屋敷に帰り着くと薬術の魔女のお腹が小さく鳴り、気恥ずかしそうに彼女は笑った。
それを見、魔術師の男はにこりと微笑む。
「……そう仰ると思うておりました。既に用意してあります」
摂取できる魔力量が多いものや魔力の溶け込んだ水など、なるべく薬術の魔女の減った魔力を補うものを用意したらしい。
「準備がいいね」
「当然でしょう。婚姻の儀式で魔力を消費し、疲労すると告げたではありませんか」
お忘れですか、と、魔術師の男は少々咎める視線で問い掛ける。
「んー、そうだった?」
聞いたような、聞いていなかったような。そう思いつつ扉を開け屋敷に入ると、式神とゴーレム達が待っていた。
「あ。ただいま、ごーちゃん、2ごーちゃん! あと式神さんたちもー」
魔術師の男が上着や荷物やらを渡しているうちに薬術の魔女は式神とゴーレム達に挨拶をし、ゴーレム達と屋敷の中へ入って行く。
「……手下に声を掛ける等、せずとも良いのでは」
呟きつつ、彼は荷物を運ぶ式神達に視線を向けた。
式神達は普段通りに表情など無く、淡々と命令をこなしている。
「…………何時も、助かっておりますよ」
そう、呟く。何となく居た堪れなくなり、ついと視線を逸らして魔術師の男は屋敷の中へ入った。
相性結婚の折に強制的に与えられた屋敷は二人だけで暮らすには、少し広い。少なくとも二人くらいの子供と、数名の使用人が居れば丁度良さそうな広さである。
「……なんか、ちょっと露骨だよね」
ぼんやりと部屋を眺めていた薬術の魔女は、魔術師の男の気配を感じた後、やや困ったように呟いた。何が『露骨』なのか、彼はその視線を見て彼女の言わんとする事を察する。
「そうですね。ですが、寂しがりやで素直でない私達には丁度良いのではありませんか」
そして頷き、彼女を見下ろした。
「…………そうかな」
うっそりと目を細めて微笑む魔術師の男に、薬術の魔女は拗ねた様子で口を尖らせる。
「素直じゃないのは、きみの方でしょ」
「……ふふ。どうだか」
楽しそうに小さく肩を震わせる魔術師の男に釣られ、薬術の魔女も「えへへ」と幸せそうに笑った。
与えられた屋敷は貸与ではなく給与なので、魔術師の男は既に少し手を加えていた。
具体的に言えば、備え付けの家具などの位置が彼の体格に合わせて調整されており、調理場などの天板の位置が少々高い。
「……でもさ。わたし、家が与えられてたとか最初は知らなかったんだよ」
相性結婚で引き合わされてから何度も見ているはずの、屋敷の内装を眺めて薬術の魔女はぽつりと呟く。
「云っておりませんでしたからね」
「そうだよ」
魔術師の男が彼の口から一切教えてくれなかったことに、彼女は不満そうに頬を膨らました。
「……然し、まぁ。書類には明記されておりましたが」
「…………そーだったんだね」
じろり、と魔術師の男が向けた胡乱な視線に薬術の魔女は目を逸らす。相性結婚の通知が来た当初、薬術の魔女は相手にも制度にも興味がなかったので書類にほとんど目を通していなかったのだ。あるいは、目は通したものの、忘れていたか。
「あのさ」
少しして、薬術の魔女は声をかける。
「はい」
返事をし、魔術師の男は彼女の方を見た。薬術の魔女は今、話題のためか周囲の調度品や家具に視線を向けており、視線が交わらない。
それを少々退屈に思い、彼は視線を外す。
「前、きみが倒れちゃった時にきみのお兄さんのお屋敷に行ったけど」
「……」
話題の内容ゆえに、魔術師の男はやや柳眉をひそめた。
「土足じゃないってなんだか新鮮で面白かったよ」
「然様で」
何が言いたいのだろうと魔術師の男は薬術の魔女に再び視線を向ける。
「きみも、そっちの方が良い?」
「……如何様でも」
そういうことか、と合点が行った。慣れ親しんでいるであろう、靴を脱ぐ方式にするか否か、それの打診だったらしい。
故郷ではそうだったが、家を出てから今まで土足だったので、どちらでも良いと彼は思っていた。
「清潔だなって思ったし」
「確かに、そうやも知れませぬ」
貴女がしたいのならばどうぞお好きに、と魔術師の男は相槌を打つ。
「あと、床にも寝転がれそう」
「……其れは理由として如何な物かと」
成人した淑女らしからぬ発言に、彼は柳眉を少々寄せた。
「きみがこのお屋敷をちょっと変えたみたいに、もうちょっと住みやすく変えてもいいと思うんだ」
つまり、薬術の魔女は靴を履き替える方が好ましいと思っているらしい。
「……そうですねぇ。子が出来た成らば虚霊の祭用の防御も必須ですし」
作り替える折に土足厳禁にし、建物の外壁等に妖精や精霊が不用意に入れないよう防御を施す。そうすれば、薬術の魔女にとって家の中が最も安全な場所になるだろう。
そうして更に居着いてくれる要因になってくれたら良いと、魔術師の男は画策する。
「うん。ちゃんと計画練って、色々やっていきたいねー」
彼女は上機嫌そうに笑みを浮かべており、本当に楽しみにしている様子だ。




