はじめての7
虚霊の襲来がある晩秋の末日、二人は婚姻届を宮廷へ提出した。
書類を受け取った役員は、目出度いはずの書類を最も汚れた日に提出する行動に驚き、その対象が『薬術の魔女』と『呪猫の出来損ない』であることで更に驚愕する。
「……早う、受理して頂けませぬか」
と魔術師の男がやや声を低くして催促し、どうにか書類の届出が終わった。
「なんだか、すっごいびっくりしてたねー」
そう能天気に笑う薬術の魔女を一瞥し、彼は薄く微笑む。
当然だろう。この国で『最も忌むべき日』に婚姻を行うのだから。
受理された婚姻届は証明書へと変わり、婚姻の儀を行う祭司の元へ届けられる。
この日に呪言を行える者など数が限られており、どうにか死犬へ異動予定だった者に頼んでいた。
書類提出を終えた後、伽藍堂の古びた教会で婚姻の契りを行う。『癒しの神』を祀っていたとされる古い教会で、唯一使用許可をくれた場所だ。
薬術の魔女がそっと外に視線を向ければ、すっかり夕方になっていた。それまで、どの場所でも虚霊祭の菓子の配布や会を優先して催しており、この時間でしか行えなかったからだ。
儀式の場として用意された場所は、色硝子の嵌め込まれた窓の並ぶ礼拝堂だった。
質素と簡素を旨としている十字教には珍しい装飾である。
最奥には同じく色硝子の嵌め込まれたバラ窓と、十字教を象徴する飾り、癒しの神を模しているとされる像が置かれた主祭壇があった。
主祭壇の前に祭司が居り、その直ぐ前に記名台が置かれている。
薄暗い礼拝堂には虚霊祭の飾り付けが残っており、橙色の炎で薄ぼんやりと照らされていた。
二人が記名台の前に立つと、祭司は祈りの言葉を唱える。
「天に御座す神々よ。
万物の創造主よ。
天の父よ、地の母よ。
今日結婚の誓いをかわす二人に、満ちあふれる祝福を授けてください。
二人が愛し合い、健全な家庭を作りますように。
慶弔事においても、信頼と感謝を忘れぬように。
互いに支えられて仕事に励めるように。
困難にあっては慰めを見いだすことができますように。
結婚がもたらす恵みにより成長し、実り豊かな生活を送ることができますように。
それでは、誓いの言葉を」
その言葉を受け、彼が口を開く。
「私は、
隣に立つ貴女を妻とし、
共に歩み、他の者に依らず、愛し慈しみ、
死が二人を分かつとも貴女を想い、
貴女のみに添うことを、
神聖なる婚姻の契約のもとに誓います」
言い終えると彼女の方を向いて、腕輪を着けている左手を差し出した。
「……誓って、下さいますね?」
名を、呼んでくれた。その事に少々驚きつつも、儀式の場だから当然か、とも思い直す。
そして同じように、名を呼ぶ事にした。
「うん。その約束、違えないでよね」
頷き、差し出された彼の手に彼女は腕輪を着けている右手を乗せる。
「わたしは、
隣に立つあなたを夫とし、
共に歩み、他の者に依らず、愛し慈しみ、
死が二人を分かつとも、
あなたを想いあなたのみに添うことを、
神聖なる婚姻の契約のもとに、誓います」
その言葉を聞き届けると、魔術師の男はやや上体を曲げ、薬術の魔女の手の甲へ口付けを落とした。
「わ、」
「ふふ。……末代迄、共に在りましょうね」
頬を染める彼女に、彼は優しく笑む。
「それでは新郎様、証明書に署名をお願いします」
祭司が記名台を示すと受付に渡した書類が乗っていた。
記名台に置かれていたペンを手に取り、彼がまず署名する。
すらすらと流れるように署名する彼の字は相変わらず綺麗だった。
「続いて新婦様、どうぞ」
彼から渡されたペンを手に取る。それは神聖な契約用の特別なもので、教会しか所持していない代物だ。
筆記具としてはずっしりと重く、この婚姻が覆し難い重要なものであると証明しているように感じられる。
書き間違えたらどうしよう、と思いつつも間違える事なくさらさらと名前を綴った。自身の名前と、おばあちゃんから授けてもらった『生命の息吹』を意味する姓を。
この苗字であるのはもう最後なのか、と思うと気恥ずかしさと同時に、なんとなく感慨深いものを感じた。
署名し終わり、お互い向き合う。
「証明の口付けをお願いします」
祭司のその声と共に、彼は薬術の魔女の顔にかかったベールを上げる。
美しい衣装を纏った彼女を改めて見つめ、魔術師の男はふっと柔らかく笑った。
「矢張り。馬子にも衣装、着飾れば小娘でも見られるものに成るのですねぇ」
「……それ、いま言う?」
胡乱な目の薬術の魔女にくつくつと笑うと、頬に手を添えた。
「冗談で御座います。……綺麗ですよ」
「んっ」
答える前に唇が重なった。
思わず驚きで目を見開くも、ゆっくりと目を閉じて触れるだけのそれを受け入れる。
同時に、頭上で光が弾けたような気がした。
二人には身長差が大分あり、魔術師の男は上体をかなり前屈みにして薬術の魔女はやや鯖折り状態だったが、不思議とあまり辛くはなかった。
「……ずるいよ、そういうの」
唇が少し離れた後、不満気に零す。彼は何も言わず頬を指で撫で、上体を起こしそっと手を離した。
「我らの神は汝ら夫婦を祝福してくださいました」
静かに祭司は告げる。
「それでは、私の挨拶をもって閉式いたします。本日は、おめでとうございます」
祭司は深々と頭を下げると、十字を切った。
「神が慈しみ深く守り、助けてくださるように」
×
祝福の言葉と祈りを捧げられ、婚約腕輪の切れ目が繋がる。これで、二人は本物の『夫婦』と成った。
「御協力、感謝致します」
祭司へ短く礼を告げると軽く会釈を返され、記入台とペンを回収すると二人を残したまま礼拝堂を去った。二人が去った後に再び戸締まりでもするのだろう。
繋がった腕輪に、繋げた縁が見事に絡まっているのを見つめ、魔術師の男はうっそりと目を細める。これで、腕輪がある限りは永劫的に縁を繋ぐことが出来た、と。
一般的に、結婚の指輪や腕輪には装着者同士の大まかな居場所が把握出来るような仕掛けが施されている。それの上に、魔術師の男は互いの魂を縛る呪いを施した。薬術の魔女の手の甲へ、口付けを落とした瞬間に。
要は、腕輪を着けている限りは互いの存在をかなり具体的に認知出来るようにしたのだ。
万が一、薬術の魔女が妖精になったとしても絶対に見つけられるように。
最近分かった事だが、行方不明者は妖精になるらしい。妖精の手によって魂の姿に戻される、という事だ。だから、失う恐れのある肉体ではなく、変わらない魂同士を繋げる事にした。
それともう一つ。婚姻を結んでから気付いた事だが、この日を虚霊祭の日ではなく『婚姻をした日』と認識を改める事で、婚姻という現実との繋がりで彼女を虚霊から守る事が出来るようだ。
薬術の魔女の持つ『妖精の魂』などと言う、消えやすいそれは成人の儀を迎えた後でも虚霊の襲来に気を配るだろうと魔術師の男は考えていたので、思わぬ収穫だった。
ちらりと流し目で彼が薬術の魔女の様子を見下ろすと、彼女は白銀に輝く腕輪を、頬をやや赤く染め見つめていた。
「如何したのです。其の様に惚けて」
彼が薬術の魔女の顔を覗き込み問うと、「ふふー」と、大変に上機嫌そうな笑い声を零す。
「結婚、しちゃったね」
「そうですね」
対して、至極冷ややかに魔術師の男は答えた。
何も知らぬ者が見れば、新婚の夫にしては随分と冷たい反応だと思うだろう。しかし妻となった薬術の魔女はその態度が彼の平常であり、僅かに上がっている口角で大分嬉しく思っているのだと知っている。
「……帰りましょうか」
周囲へ視線を向けた後、魔術師の男は薬術の魔女に告げた。彼女の愛らしい花嫁の仮装姿など、彼は他の者にこれ以上見せたくは無かったのだ。
「うん」
頷き、薬術の魔女は花婿姿の仮装をした魔術師の男の手を握った。
礼拝堂を後にし、二人は帰路に就く。
「ね」
古びた教会より少し歩いた後、薬術の魔女は魔術師の男の袖を控えめに引き、見上げる。
「何でしょう」
足を止めて彼が振り返り彼女を見下ろすと、
「末代までじゃなくて、それよりももっと、ずっと先まで一緒……だといいなって思うんだけど」
どうかな、と頬を染めて薬術の魔女は告げた。
「…………」
「どうしたの?」
やや目を見開き固まってしまった魔術師の男に、彼女は首を傾げる。
「いえ。貴女から其の様な言葉を賜るとは思わず」
「いやだった?」
「いいえ。其れ程迄に篤く思って頂けるとは。恐悦至極に存じます」
「そっか」
嬉しそうに目を細めて微笑んだ彼に、薬術の魔女も頬を染め笑みを浮かべた。
「えぇ。此方こそ、幾久しくも共に在りたく。輪廻転生の其の先迄も際限なく共に在りましょう、ね」
うっとりとした様子で魔術師の男は彼女の頬を撫でる。
「んー、それはちょっと怖いかも」
「何故」
さすがに、と薬術の魔女に少し引き気味に返され、魔術師の男はやや顔をしかめた。
婚姻の儀の文言は、かからんだんごさんの作ったものを少々お借りしております。(使用許可済み)
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