はじめての5
今日はとうとう、虚霊祭当日だ。
なんだかとても心臓の鼓動が早くて、薬術の魔女は気持ちが落ち着かない。
「(大人になって初めての虚霊祭だからかな)」
なんて伸びをしながら思ってみる。
本当のところ、とうとう婚姻の儀を行い結婚するからなのは分かっていた。
「(まずは普通に着替えてご飯食べて、お店の準備)」
と、普段より当然の如く行なう行為を、あえて思考して気を紛らわせる。『普通』ってなんだっけと少し思いながら。
軽く身支度を済ませて部屋から出ると、すでに魔術師の男が朝食を用意していた。
「おや。お早う御座います。いつもより早いですね」
彼が調理場から出てきた所を見るからに、今日は式神ではなく手作りらしいと悟る。もしかすると、彼も落ち着かなかったのかも知れないと思い、なんだか安心した。
「えっと、今日の予定を確認してもいい?」
「はい。本日は午前から昼の手前まで、貴女の店で営業と共に菓子を配ります。其の後、虚霊祭を軽く見、儀式の場へ向かう……貴女の考えた予定ですが」
薬術の魔女が問うと、淡々と魔術師の男は答える。
「ん、よかった。記憶違いとかないね」
その返答に満足し、安堵する。
×
「ね、どーお? きれー?」
ふひひ、と笑みを浮かべて薬術の魔女は仮装した姿を魔術師の男に見せる。
薬術の魔女の衣装は純白のドレスだった。
そこかしこに花の意匠の付いた柔らかいレースの生地を重ねており、ふんわりとしたシルエットをしている。
同じくレースのショートベールを頭に付け、白い花の飾りで留めており、花の妖精のようであった。
「……何と言いますか。貴女、相当に浮かれておりますね」
「似合ってる?」
そう問われ、満面笑みを浮かべる薬術の魔女の、その顔を崩してやりたい気持ちが一瞬生まれる。だが今はその場合ではないだろうと、魔術師の男は無難に答えた。
「ええ、無論。貴女のお祖母様が貴女を思って制作なさったのですから、似合わない訳が無いでしょう」
「えへへーそっかー!」
微妙な言葉は、彼なりの照れ隠しなのだろうと彼女は解釈する。褒めてもらったと、薬術の魔女は更に上機嫌になった。
かく言う魔術師の男の衣装は、真逆の漆黒の衣装だ。身に付けているものは色の濃淡があれど、全てが黒い。
そして、テールの長いコートにベスト、シャツ、クラヴァット、スラックス全てに銀糸の刺繍が入っている。
「きみも似合ってるよ」
似合いすぎてどこかの怪談に出そうな貴族に見える、なんて言葉を堪えて感想を述べた。
「然様で。では、店に行きましょうかね」
褒めたのにあっさりと流されてしまった。彼は以前と同様に、露出している部分を変身の魔術で猫に変える。骨格も人間のものと少々変わるのだが、違和感がないので骨格に合わせて服も少し変形したようだ。
「……もう少し、照れてもいいのに」
と、薬術の魔女は差し出された彼の手に手を重ね、口を尖らせた。
×
『相性結婚』の折に用意された屋敷は、軍部と宮廷が近く商店街にもそれなりに近い。その上、道も整備されて広く、綺麗に整備されている。
周囲には貴族の家が多く、所謂高級住宅街のようなものだ。
「中々にいい土地だよね」
人がほとんど住んでないけど、と溢しつつ薬術の魔女は隣を歩く魔術師の男に言う。
「……まあ、私が宮廷魔術師ですし」
「なるほど?」
素気なく答える様子に「(高給取りだからかなぁ)」と彼女は呑気に思っていた。
実の所、魔術を自在に操れる危険な存在を、政府と軍の目の届く範囲に置いておきたいと言うことである。
「やっぱり、どこも虚霊祭一色だね」
「そうですね。……最近は、貴族の者も扮装なさる様で」
周囲の屋敷は虚霊祭の飾り付けがされ、外を歩く子供達は虚霊の扮装をしている。また、店を経営している大人の中にも、虚霊の扮装をした者が居た。
だが、薬術の魔女と魔術師の男のように、純白と漆黒の色を纏う者は居なかった。
何故なら、それらは婚姻の色とされているからだ。
2人は今回の虚霊祭では、花嫁と花婿の扮装をしていた。
しかし、基本的に晩秋の末日は『最も汚れた日』として慶事は行わない。なので、虚霊祭に婚姻する者などそういないのだ。
扮装とはいえ花嫁と花婿を模した姿の者は居らず、2人の姿を見た者は大抵、一瞬だけぎょっと目を見開き困惑の表情を浮かべる。彼女は気付いていないが、様々な方向からその視線や表情が感じられた。
彼女が姿を指定したとはいえ、やや悪目立ちしただろうか。
内心で嘆息しつつも魔術師の男は薬術の魔女と繋いだ手を強く握った。
×
例外なく、薬術の魔女の店も虚霊祭の飾り付けがされている。曰く、ごーちゃんと2ごーちゃんと一緒に、少しずつ行なっていたらしい。
「私は何をするので」
やや小さい店の内装を見、魔術師の男は問うた。手伝おうにも、彼の体躯では邪魔だろう。
それに、今日は手伝いのゴーレムを休ませる日でもないので手は足りている筈だ。
「うーんと。あ、お店の前で本とか読んでて」
店の入り口の横に、テラスがある。そこは庇があり、一日中、日光が差し難く日陰なのだと薬術の魔女は告げた。
「……てきとうですね」
「きみは居るだけで目立つからいいの」
小さく溜息を吐けば、薬術の魔女はにこにこと笑顔で答える。
「分かりました。客寄せという事ですね」
テラスには木製の椅子とテーブルが置かれており、周囲は薬草の鉢植えに囲まれていた。
「うん。あ、きみの格好だとお菓子を貰いにくる子も居るかもだから、ついでにお菓子半分置いておくねー」
魔術師の男が椅子に腰掛けると、薬術の魔女は菓子の入った籠を側のテーブルに置く。
開店準備も手伝わなくて良いと言われ、手持ち無沙汰を紛らわすように空間魔術で取り寄せた本に視線を落とした。




