はじめての2
「ん。じゃあ、無難に焼いたお菓子にしておこうかな」
一通り聞いた後、薬術の魔女はそう答えた。
「焼き菓子ですか」
「うん。『無事でいられますように』、ね」
「然様で。では、次は材料や味付け、包装についてでしょうか」
配る菓子が決まったなら、次はそれを入れるものを考えねばなるまい。だが
「あ、それは売ってるやつとか使うつもりだから気にしなくて良いよー」
そう、薬術の魔女は答える。まだ時間があるとはいえ、他にもするべき事があるのだ。だから、包装を手作りしてる時間はなかった。
「ふむ。では、虚霊の祭の話は終いですね」
そう言い、魔術師の男は席を立とうとする。
「あ、待って」
それを、薬術の魔女は引き留めた。
「何です」
「仮装とか、したいなぁって思っててさ」
「はぁ。菓子を配る大人はそう為るのでしたね。お好きになさっては」
「んー、きみの分も用意するから、採寸させて」
と彼女は告げる。
「……私もですか」
「うん。だって、手伝ってくれるんでしょ?」
お菓子を配るのも当然、手伝ってくれるよね、と彼を見た。手には巻尺を持っており、準備万端の様子だ。
「……仕方有るまい」
魔術師の男が諦めた様子で溜息を吐くと、
「じゃあ、早速するねー」
早速とばかりに薬術の魔女は巻尺を彼の身体に充てる。
「んー、ちょっと脱いでくれる?」
ちゃんとした数値が欲しいのだと薬術の魔女が訴えれば、魔術師の男は素直に服の上を軽く脱いだ。そうすると、傷一つもない白く滑らかな肌と均整の取れた肉体が露わになる。
「……手袋は」
ちら、と彼女を見、彼は薄い半手袋に覆われた手を見せながら問うた。
「ん。後で軽く手形取るから、今は着けててもいいよ」
「そうですか」
外さなくて良いと言われると、彼は少し安堵した様子を見せる。魔力の放出器官のある、繊細な手先を覆う手袋を外すのは、流石の彼も少々恥ずかしいらしい。
「(う、わぁ……)」
脱げと言ったくせに、その見事な肉体に薬術の魔女は固まった。だが、彼女は魔術師の男の胴に巻かれている硬い布の様なものに興味を抱く。
「それ何?」
「……晒、で御座いますよ。体を護る呪い等を掛けております」
「へぇー」
「何処まで脱げばよろしいですか」
上半身をほぼ露出した状態で、彼は問うた。
「ん、下着まででいいよ」
「……衣類は、殆ど脱ぐのですね」
ちら、と確認するように魔術師の男が訊ねると
「ん? 採寸するんだから当たり前でしょ?」
そう、きょとんとした顔で薬術の魔女は答える。
「……」
どうやら他意は全く無いらしい。小さく嘆息した後、無言で魔術師の男は下の衣類も脱いだ。
「それは?」
晒と同様に、彼の身に付けているものに薬術の魔女は興味を示した。
「……下帯です。私の場合、こちらの方が履き慣れておりますので」
「へぇー、面白い」
「……」
未通女の癖をして、一切も頬を染めるだとか慌てるだとか緊張する様子を見せないものだ。と、魔術師の男はややつまらなく思い嘆息した。
「綺麗な筋肉配列してるね!」
「はぁ、然様で」
「しゅごーい! 観察のし甲斐があるー」
目を輝かせて言う言葉がそれか。そう思いつつもぺたぺたと無遠慮に触れる手は意外と心地良かった。
「……ん、採寸は」
「はっ、そうだった」
指摘をして、薬術の魔女はようやく我に返る。
×
「貴女の採寸は、私がして差し上げましょうか」
採寸を終え、衣類を再び身に付けながら魔術師の男は提案した。
「ん、いいよ。ごーちゃんにやってもらおうと思って」
数値を紙に書き込見つつ、薬術の魔女は答える。
ごーちゃんとは彼女の造ったゴーレムの名前である。かなり人間に似た外見の、滑らかな肌の陶器人形だ。
「……いいえ。手伝って差し上げますと言ったでしょう」
自身をやや辱めて置いてそれは無いだろう、と言外に含ませつつ魔術師の男は薬術の魔女に詰める様に一歩近付く。
「なんで怒ってるの」
一歩下がり、彼女は魔術師の男の顔を見上げて問うた。
「怒っておりませぬ」
「わぎゃっ!」
言いつつ、彼は魔力の紐を薬術の魔女に巻き付ける。
「な、なにこれー」
「貴女の服を剥かずに採寸して差し上げるのですよ。感謝なさい」
にゅるりと肌の上を這う感覚に戸惑う彼女に、彼は無常に言い放った。
×
「なんか辱められた気分」
「何、寝ぼけた事を」
眉間にしわを寄せつつ彼女が呟いた言葉に、魔術師の男はハッと鼻で笑う。
「どうぞ、数値を認めました。……以前とお変わり無く」
「ん、ありがと……ん? 以前?」
澄まし顔で渡された紙を、礼を言いつつ受け取った。やや気になる言葉を言われた気がするが気のせいだろう。
「どんな服にしようかなー」
薬術の魔女は思案する。魔術師の男は調理場の方へ向かったらしく、近くには居なかった。
「……婚姻届の提出と婚姻の儀を行う事も、忘れないで下さいね」
少しして、デザインを紙に描く薬術の魔女に魔術師の男は告げる。飲み物を持ってきたらしく、彼は背後から手元の近くにストロー付きの冷たいお茶を置いた。
「なにするんだっけ」
ガリガリと紙に描きつつ問えば
「ただ書類を提出し添い遂げる旨を神に誓い、腕輪の切れ目を繋ぐのですよ」
そう、魔術師の男は彼女の腕輪に視線を向け答える。
「ん、そっか」
薬術の魔女も、彼女自身の腕輪に視線を落とす。
白い金属、通称『不変の金属』を土台に、魔術師の男の目と同色の石が嵌っているものだ。因みに魔術師の男の腕輪には、薬術の魔女の目と同色の石が嵌っている。
余計な装飾はなく、非常にシンプルである。
「分かって居られますか」
「なにが?」
伺う声に振り向けば、思いの外近い場所に彼が居た。
「……私達は本当の夫婦になるのですよ、」
更に近づき頬を撫で、彼はとある名呼ぶ。
「……ね。きみ、いつまでわたしをそう呼ぶつもり?」
口を尖らせ、薬術の魔女は問うた。魔術師の男が呼んだその名は、彼女が学生時代まで呼ばれていた名だ。
「ふふ……貴女が小娘である限り、で御座います」
静かに笑い、魔術師の男は身体を離す。
その名は幼名で、生まれてから成人するまでの18年間、悪しきもの共から命を守るための仮の名だ。
そして成人した際に受ける『成人の儀』で、神の啓示として自身の本質足る本当の名を知る。
だから、彼は揶揄っているのだ。薬術の魔女を『大人になりきれぬ小娘』だと。
「何か御不満でも?」
目を細め、やや挑発するように彼は問いかけた。口元が楽し気に歪み、肉食獣のように尖った鋭い歯が少し見える。
「んー……前、一回だけ呼んでくれたじゃん……」
頬を染め自身の指先同士を合わせつつ、薬術の魔女は視線を向けた。
「……あれは、緊急事態でしたので」
ついと魔術師の男は目を逸らす。
「緊急事態?」
顔を見上げるも、彼は全く視線を合わせてくれない。
彼は一度だけ、本当の名を呼んだことがある。それは、薬術の魔女が妖精に連れ去られようとしていた時だった。彼女は体質的に妖精に拐われ易いのだ。
「呼ばねば、縁が途切れる所でしたので」
目を逸らしたままで、つまらなそうな声色で告げる。飽くまでも、必要があったからだと言いたいらしい。
「ふーん」
同じく、つまらなそうな声色で返事をしてみた。
だけど、彼が自身の身をも顧みずに必死になって探してくれたのを薬術の魔女は知っているので、その口元はちょっと不自然につり上がっている。
「前はこんな人じゃなかったのになー」
ややわざとらしく、肩を落として薬術の魔女は呟く。
初めの印象は、物腰が丁寧で上品な人。少し知り合ってからは、やや上から目線なところもあるけど親切で優しくよく気が付く人、という印象だった。
「おや、幻滅しましたか」
目をきゅっと細め、魔術師の男は首を少し傾ける。首を傾ける動作は、彼が何かを見定めようとしている時の動作だ。
しかし、彼女は他の事に注意を向けていたので、彼の様子の変化は見ていない。薬術の魔女は至極真剣になって、コップの中身をストローでくるくるとかき混ぜていた。
「ううん。やっぱりそれが本当のきみなんだなって思った」
かき混ぜる手を止め、彼の方を見た。
変わってしまったけれど、そこに人を試したり揶揄ったりといった『物凄く性格が悪い』という要素が加わっただけだ。あとは執着と独占欲が凄くて、怒ると面倒臭いところ。
「……ふふ。然様ですか」
彼の口元が緩んだ。
柔らかくなった声色を聞きながら、「(やっぱり変な人だなぁ)」と、薬術の魔女は思うのだった。
魔術師の男が腕を彼女の身体に滑らせて、背もたれ越しに緩く抱き締める。頭二つ分もの身長差があるので、薬術の魔女の身体はすっかりと包まれてしまった。
「ん、なに」
彼の匂いを感じながら、見上げる。
「いえいえ。貴女は趣味が悪う御座いますねェ」
こんな私を好いて居るとは、と魔術師の男は言葉を投げ掛けた。
「まあね。でも、大好きなんだから仕方ないじゃん」
頷き、薬術の魔女は頬を膨らませた。




