三日の夜と餅、そして所を顕す
「……何故、私が斯様な作業をせねばならぬのか」
呟き、魔術師の男は眠る薬術の魔女に魔力を少量垂らした。
「んー……」
顔に常盤色の魔力が掛かると薬術の魔女は小さく呻き、身動ぎをする。魔術師の男は彼女を動かないように柔く布団に抑え付け、その額に触れた。
そして、眠りが深くなる呪いをかける。
「大変申し訳ない。……儀式の為に、必要な事なのです」
聞こえないだろうが、上体を曲げ耳元にそう囁いた。
×
薬術の魔女は昨日訪れた魔術師の男の部屋で、目を覚ます。
「お早う御座います。良く眠れましたか」
「う、うん……」
様子をみてくれていたらしい魔術師の男が気遣うような声をかけた。
なんとなく、身体がぽかぽかして温かい。
「昨日、お花を見てからいつの間にか寝ちゃってたみたいだ……ごめんね」
そう気落ちしながら謝ると
「気にせずとも宜しい。大した事でも有りませんし」
と、魔術師の男は答えた。
「そうだ。きみ、あの時すごく苦しそうだったけど、身体とか大丈夫? お腹すいてない? 痛いところとかない?」
魔術師の男は上背がありよく食べるので、薬術の魔女は真っ先にそちらを心配した。
「平気ですよ。此方こそ、私のような者に心を砕いて下さり有難う御座います」
気遣いを感謝致します、と魔術師の男は感謝を述べる。
「ん。だってきみのことは大事にしたいと思ってるもん。あと、きみのおにいさん? らしき人にもお願いされた」
されなくてもするつもりだからね、と答えると、なぜか魔術師の男は柳眉をひそめた。
「……どうしたの?」
「いいえ。何でも御座いません」
訊いても答えてくれないようだ。
「失礼。此れで顔を拭わせて下さいまし」
「んむ、」
そして、なぜか顔を硬く絞った布で顔を拭いてもらうのだった。
「……ありがと」
優しくもちゃんとした手つきで、頬や顎、額、耳元、首などを拭われる。ついでに腕も拭かれ、脚まで拭かれそうになったのでそこは全力で断らせてもらった。
「……そういえば。なんか、身体が熱くてぺたぺたする」
自身の頬に触れながら薬術の魔女は目の前の魔術師の男に訴える。顔は拭ってもらってさっぱりしたが、どうも身体が全体的に変な感じがしたのだ。
「んー。このお家の場所がちょっと、湿度が高い感じがするからかな? それか、あまり魔力が体の外に出ないからかも?」
初めは魔力不足で倒れないか不安になっていたが、どういう訳かこの屋敷内ではあまり魔力が発散しないらしい。
「成らば、湯浴みをなさると宜しいですよ」
「うん、わかった……って、わ」
魔術師の男に勧められ部屋を出ると、いつぞやの式神が待ち構えていた。
そして風呂場まで付いてこられて身体を洗われ、帯で止めるような白い服を二枚重ねて着せられた。
×
「……お風呂くらい、自分で入りたいんだけど」
「そうは言われましても」
風呂から出ると、別の式神に手を引かれ先程の部屋に戻された。
戻った時に魔術師の男は黒い衣服を身に纏って居り、彼に、目前に有る食事の乗った盆を勧められる。
今まで薬術の魔女に出されていたものとほとんど同じものだったが、食べ物を口に運ぶ為の食器が、二本の棒になっていた。
「………………これ、どう使うの」
戸惑い魔術師の男を見上げると、
「そうですね。使い方を教えて差し上げましょう」
後で必要になりますのでと、彼は持ち方、動かし方を見せてくれた。
なぜか使ったことのない食器で食事をする羽目になったが、その使い方を根気強く教えてくれ食事が終わる頃にはきちんと使えるようになっていた。
×
その夜。
要は、薬術の魔女が呪猫に招かれてから五日目の夜のこと。
「……今日も……一緒に、寝てもいい? このお家、なんだか怖い」
薬術の魔女は近くにある魔術師の男の部屋に、枕を抱えて訪れていた。
一昨日までの初めの三日間は、魔術師の男は大変な状況のようだったので我慢していたのだが、薬術の魔女は、この屋敷の中に複数居る『黒いよくわからないもの』が怖かった。
「ええ、是非に。昨日も共に居りましたでしょう。遠慮は不要です」
と、魔術師の男は快く受け入れてくれた。
「明日も、共寝をしても宜しいのですよ」
そう薄く微笑み、魔術師の男が提案してくれた。せっかくなので、薬術の魔女は次の日も一緒に寝ることにしたのだった。
×
六日目の夜。
「今晩は。ようこそ、お越しくださいました」
部屋で、寝巻きの姿で魔術師の男は待っていた。丁寧に頭を下げたので、思わず薬術の魔女も頭を下げた。
「うん……なんだかちょっと恥ずかしいね」
頬を少し染め、薬術の魔女は周囲を見まわした。
「何を仰る。此方の方こそ、都合とはいえお越し頂いている身。感謝しきれません」
言いつつ、魔術師の男は銀色の盆に乗った物を差し出した。
「あれ、それなに?」
「こう、三日もお越し頂いたのです。何かお礼をと」
「お餅?」
「はい。目出度きもの、で御座いましょう」
「まあ、そうだっけ」
銀の盆の上に三つ、餅が置かれていた。
「是非ともお召し上がりくださいませ」
「うん、じゃあちょっとだけ」
実は普段よりも夕食の時間が早かったからか、ほんの少し、薬術の魔女はお腹が空いていたのだ。
そして、用意されていた餅を二つ、口に運ぶ。
「……では、少し此の水で口でも濯いでくださいまし。口内がさっぱりするかと」
「ありがとう」
そして口内を綺麗にした後に少し談笑をし、薬術の魔女は眠った。
それから少しして。
なんとなくで、薬術の魔女は目を覚ます。
「……おや、起きてしまわれたか」
「ん、なに?」
薄く目を開くと、魔術師の男に頭を撫でられていた。
「……良く眠れる御呪いです。悪夢避けでもありますよ」
優しい声で、彼は頭をゆっくり撫でる。
撫でられるそれが心地良く、いつのまにか再び眠っていた。
×
翌日。つまり、呪猫に招かれて七日目になった。
「(ちゃんと帰れるのかな)」
と思いながら薬術の魔女は布団から身を起こす。今朝は、魔術師の男は居なかった。それがなんとなく寂しく思える。
「(……やっぱり、一緒にいる方が安心する)」
すっかり温もりのなくなった布団に触れるが、
「……なーんか、身体がぺたぺたする」
昨日の朝もそうだった。
『不快か』と聞かれたら首を傾げる、でもなんだか洗い流したい、そんな感じである。
首を傾げて居る間に、式神に風呂場へ連れて行かれて身体を洗われ、紅い布の服と白い布の服を重ねて着せられた。
「なにこれ?」
着付けをされながら、今までとなんだか違うぞ、と思ったのだ。問いかけても式神は答えてくれず、顔に軽く化粧をされた。
「わ、」
最後に目元に白い布のお面をかけられ、風呂場から引っ張り出される。
×
「準備は出来たか」
式神に連れられた先で、同じく目元を隠した呪猫当主に出迎えられた。墨色の布の面を顔に掛け、同色の上着と薄墨色の服を着ていた。他に身に付けているものは無彩色のものばかりだ。
そのあとに連れられた先の広い空間で、呪猫当主と似た格好をした人達と食事を摂ることになった。
「……だれ?」
「分家の者共だ。気にせずとも良い」
「ふーん……」
「先に云うが、先ずは用意された餅は2つだけ、而噛み切らずに食べなさい。又、呪猫での食事の作法は『なるべく音を立てず、全てを平等に手を付ける事』其れだけだ。心配成らば、お前の座った先の隣に居る彼奴の真似でも為ると良い」
短く告げると、式神に再び引き渡される。
×
シャン、と鈴の音が鳴った。
それから、太鼓を叩く音がどこからともなく聞こえてくる。遅れて、他の楽器も何か音を奏で始めた。
灰色の衣服を纏った式神達に囲われ、回廊をゆっくり歩く。
「(……?)」
なんだろう、と思いながら薬術の魔女は頭を動かさずに周囲をみる。何もわからなかった。
耳を澄ますと、さぁっと雨の降る音が聞こえていた。いつのまにか降っていたらしい。
だが空は明るいので、いわゆる天気雨というもののようだ。珍しいな、と頭の隅でひっそりと思う。
何か音楽の流れと同様にゆっくりと廊下を歩き、やがて中央の部屋へ辿り付いた。
中央の部屋は仕切られており、見知らぬ人々が綺麗に並んで座って居た。全員が、灰色の衣装を身に纏っている。
そして、呪猫当主の言葉通りに、黒い布の面を顔にかけ真っ黒な衣装を纏った魔術師の男の隣に座らされた。
目の前には、銀の箱型の盆に餅と複数の食事が乗せられている。
餅は丸呑みできるくらいの一口大の小さいもので、花と鳥を彫刻した脚付きの銀の皿に4つ乗っていた。餅の色は桃、緑、黄、紫の4色だ。
ちら、と魔術師の男側のそれ視線を向けると、彫刻が月と木の枝らしきものであったが食事の中身は概ね同じようなものだった。
薬術の魔女が座ると、呪猫当主が滔々と独特な発音で、何か言葉を話し始めた。何を話しているのか分からなかったが、誰か偉い人に許しを得ているらしいことだけは理解した。
それから鈴の飾りと金属の付いた棒、紙の飾りがついた棒、葉付きの枝の付いた棒を目の前で振られる。
その時は頭を下げるよう言われ、素直に下げた。だが、一体何をされているのだろうと不思議でならなかった。
一通り終わった時、妙に身体の周囲がさっぱりしている気がした。まるで浄化魔術で身体を清めたような心地だ。だが、それと何かの加護を与えられたらしい。
それから、酒を掲げるように言われる。
ちら、と横目で見ると魔術師の男が器を両手で持っていたので、同様に持つ。ふわ、と漂った香は花の蜜の酒だった。
それを三度に分けて飲み、魔術師の男の持つ器と交換した。そちらは種を使った酒だった。
同様に飲み、再び器を交換する。
そこで、何かおまじないのような儀式のようなものを行なっているらしいと気付く。悪い予感はしなかったので、流れに身を任せることにした。
酒を飲み終わると、魔術師の男が懐から紙を取り出して先程の呪猫当主のように、滔々と独特な発音で読み始めた。何かを、誓っているらしい。
そしてそれを植物の枝と共に横に控えていた式神に手渡し、再度酒の器を掲げた。
会場にいた全員が掲げていたので、仕方なしに薬術の魔女も掲げる。それを、全員が三度に分けて飲んだ。
なんだろう、と思う間に、魔術師の男が食事に手を付け始める。それに合わせて薬術の魔女も食事を始めた。
まずは餅を二つ、と桃色の餅と黄色の餅を食べることにする。ちら、と横を見ると彼は緑色の餅と紫色の餅に手を付けていた。
使う食器達は、魔術師の男と共に食事をする際に使ったものと同様だったので、大きな不安はない。
「(みんな、お顔が見えない)」
思いながら、咀嚼した食事を飲み込んだ。
言われた通りに餅を2つだけ食べて食事を終えると再び式神が現れ、薬術の魔女の手を引きその場から連れ出される。
×
その後は薬術の魔女自身に充てがわれた部屋へと連れられた。
「あ、私の服」
部屋の中心に、丁寧に畳んで置かれている。恐らく『用事が済んだのでさっさと帰れ』という事だろう。
その予想通りに薬術の魔女が着替えを終えると呪猫当主に呼び出され、帰るよう促された。
「此の札を持ち、門を出よ。然すれば、魔術アカデミーの門前に着いている筈だ」
と、札を差し出される。そして、
「ほら、お前の靴だ」
なぜか呪猫当主に、屋敷に入る前に脱いだ靴を渡された。
「(どこにもないなって思ってたら、預かってもらってたんだ)」
薬術の魔女は内心で呟く。外に出られなかったので、呪猫に居る合間はずっと屋敷内で本を読んでいたのだ。
魔術師の男はもう少し呪猫に留まるらしい。それを些か残念に思いながらも、薬術の魔女はようやく寮の自室に帰った。
※現実のものとオリジナルを混ぜてるので参考にしたものとは仕様が違います。




