責任を取らない政治家には決定権はない
五輪開催の決定権は首相にあるのか?
決定権を持つということは責任も持つということだ。感染が拡大しても責任を取らない首相なら、彼に決定権もない。
開催を決めたものは、そのことで起こった事態に責任を持たねばならない。
責任を持たないと言うことにおいては、自民党議員も、尾身さんも同列だ。共に個人的あるいは何らかの代表としての見解であって、他者の見解を非難できるものではない。他者の意見を非難できるのは、責任あるものだ。ただ責任がなくても批判はできる。批判というのは良し悪しを述べるだけだから。
無責任な人間が、相手を無責任だというのはおこがましい。日本では、選挙権を持つ庶民は政治家にたいして責任をもつので、彼等を非難することができる。しかし、単なる政治家は庶民を非難できない。責任を持つと明言して信任されたのなら別だ。しかし、自民党も政府も責任を持つとは言っていない。信任もされていない。