第77話 其れの名は『呪い』
*ちなつ*
明日というのは当たり前のようにやってきて、代わり映えの無い平凡な日常ってのはいつまでも続いていくと信じていた。
だけど、空が闇に飲まれたあの日。
夜が明ければまた闇が広がるような空だったあの日。
終わりっていうのは、唐突にやってきた。
「……想矢、どこにいっちゃったの」
あれから、想矢と会っていない。
お従姉ちゃんも碧羽さんも何も教えてくれない。
その態度で、すべてがわかった。
「帰ってくるって、言ったのに」
おかしいよね。
想矢は、みんなが笑っていられる今を守ったの。
想矢がいてくれたから、今ここでこうして生きていられる。
だけど、でも、想矢がいなかったら。
「そんなの、あんまりだよ」
これは呪いかな。
わたしは、笑い続けなければいけない。
それが彼の残した願いだから。
どんなにつらくても、くるしくても、涙は見せられない。
それでも、もしひとつ。
もしひとつだけ願いが叶うのだとしたら――。
*紅映*
「なにこれ、壊れてんじゃないの?」
紅映は、思い立ったかのようにゲームセンターに来ていた。
クレーンゲームがたまたま目に入り、ふらふらと、吸い寄せられるようにそちらに足を運び、遊んでいた。
「ねえ想矢――」
振り返り、声に出して、思い出す。
そこに、彼はいない。
喉を下る唾液の音が、やけに耳に残る。
「……たく。どこほっつき歩いてるのよ」
結果として、彼女のクレームはクレーンゲームに向けられる。
当然、無機物のクレーンゲームは返事をよこさない。
財布から追加で硬貨を取り出し、投入する。
アームを動かし、ぬいぐるみに触れるが、結局逃げられる。
……苛立ちさえ、長続きしなかった。
発露した怒りという感情さえ、悲しみの雨にさらされてドロドロとした何かが胸に積もる。
「あんまり遅いと、心配になるじゃない」
もしひとつだけ願いが叶うのだとしたら――。
*メアリ*
その報せが届いたのは数日前のことだった。
日本でお世話になった楪灰想矢が、大きな戦いに巻き込まれ、行方不明になったと聞いたのは。
嘘だと、笑いたかった。
手紙を破り捨てようとした。
でも、できなかった。
もしここに書いてあることが本当だとしたら。
これが、最後の縁かもしれない。
そう考えると、破り捨てるなんてできなかった。
「……つくづく、自分が嫌になりますわね」
嘘だと思いながら、本当だった場合のことを考えている自分がいる。
そのことに気づき、陰惨とした気持ちになる。
カップに注いだ紅茶の香りがわからない。
舌に転がしてみても、味がわからない。
それがいっそう悔しくて、臍を噛む。
「こんなことになると知っていたら、日本を離れたりなんて」
後悔ばかりが残る。
どうして、いつもこうなのだろう。
こんなつもりじゃなかった。
もしひとつだけ願いが叶うのだとしたら――。
*椛*
園長先生が言っていました。
お兄ちゃんは、どこか遠いところに行ってしまったと。
「先生? お兄ちゃん、今度はいつ帰ってくるかな?」
「椛ちゃん」
「帰ってきて、くれる、よね?」
……最近、本で読んだのですが、新皮質には欺瞞を司る神経があるらしいです。
それは生物が進化の過程で得た副産物。
擬態で天敵の目をごまかせれば生存率が上がり、また逆に、擬態や体を大きく見せて威嚇する相手の欺瞞を見破れば生存率があがります。
そうして発達した神経が存在すると。
当然、私にもそれはあるのでしょう。
だから、分かってしまうんです。
「いつか、帰ってきてくれるといいわね」
「……うん」
それが、優しい嘘ってことは。
ああ、お母さん。
あのね。
もし一つだけ。
もし一つだけわがままが叶うなら――。
*
『呪い』とは、人をはじめとする感情を有する生物から発せられる負の感情の総称である。
痛み、苦しみ、妬み嫉み。
それらが積み重なってできた、行き場のないエネルギー、世界は『呪い』という側面を持たせることで秩序を保ったのだ。
だとするならば。
『もう一度、想矢に会いたい』
恋慕、友愛、憧憬。
プラスの側面を持つ感情から生まれるエネルギーは、『呪い』と呼ぶべきだ。
『もう一度、想矢に会いたいんだ』
『呪い』は人の記憶を頼りに、姿かたちを得る。
それは『呪い』とて例外ではない。
『想矢!!』
これまでに想矢がかかわってきた人たち。
その人たちの祈りが、形を作る。
「おう、呼んだか?」
彼が歩んだ奇跡は、確かにそこにあった。
それを人は、忘れはしない。
その思いが、今を紡ぐ。
「想矢!!」
祝福は、きっと。
思うよりずっとそばにある。
「おかえり」
「ああ、ただいま」





