第75話 原点にして頂点
『ふ、ふ、ふ。打つ手がある? ただの人間に何ができる』
「ただの人間なら打つ手がなかったさ。だけど、オレにはこいつがいる」
人の姿に戻れないだとか、バーストに体を譲った後だとかはもうどうでもいい。
ずっと、今を守るために生きてきた。
その思いは今も変わらない。
「来いよ、バースト。最強が最強たる証明を、今ここに!!」
どくん。
心臓が大きく脈を打ち。
意識は深い闇へと潜っていく。
*
「……大丈夫。君はボクが守るから」
青年が、そこに立っていた。
少し前も、今も、変わらず。
だがその変容ぶりに、麒麟はたじろがずにはいられなかった。
先ほどまでのがむしゃらな熱量はどこへやら。
そこに立つのは王者のように、幽鬼のように、虚影のように、悠然と立ち尽くす青年。
『主人格を入れ替えましたか。それで何が変わるというのです』
「何が変わる、ね……」
青年は手を二度三度握ったり開いたりしてから、麒麟向けて手をかざした。
「それは君の目で確かめるべきじゃないかな」
『ぐあっ!?』
「訊けばすべてがわかると思うなよ、劣等種」
麒麟は、まるで金縛りにあったかのような錯覚を抱いた。バーストがゆっくりと手のひらを締めるにつれて、重圧は増していく。
大理石の床を、足音が打つ。
アンダンテのリズムが澄み渡る。
麒麟は無理にでもその場を抜け出すのに躍起になった。理性ではなく本能でそれの接近を拒んだ。
その直感は正しい。
迫りくる影の名は『呪い』ではない。
それは『死』そのもの。
出会ったが最期、逃げ場はない。
『うあああぁあぁぁっ!!』
「抗うか。それもまたいいだろうさ。潔く死を受け入れるのが王の器であれば、どれだけみじめでも生に縋るのもまた王の器」
『くそ! くそ!! 死ねぇ!! 吾輩がこんなところで死ぬものか!! 吾輩は、新世界の支配者に――』
バーストの拘束を力で押しのけ、接近して、拳を放った麒麟。
バーストは悠然と立ち尽くすばかり。
避ける動作すら見せない。
だが、刹那の間に拳がバーストを貫くというときに、バーストの体が虚空に掻き消えた。
標的を失った拳が虚無だけを穿つ。
「だけど残念。君では器が小さすぎる」
『――ッ!!』
気づけばバーストは麒麟の背後に立っていた。
バーストの声で気づいて振り返るも、もう遅い。
「『吹き飛べ』」
『ぐあああぁぁぁっ!!』
バーストの一撃が麒麟に襲い掛かる。
それは想矢が放った穿天燕と原理は同じ。
だが、速度も威力も次元が違った。
「命を刈り取る一撃。ゆえに必殺」
『ぐ、馬鹿な。その肉体の力は吾輩と互角だったはず!』
「知らないのか? スキルシステムを世界にもたらしたのはボクだ。この世にはびこる技という技は、ボクの経験の一部がもたらした副産物にすぎない。同じ技だと思っているとそうなる」
そう。
すべてのスキルは原典をたどればバーストの技能にさかのぼる。
ゆえに『原初の呪い』。
ゆえに彼女は最強なのだ。
「もはや貴殿に勝ちの目は無い、だっけ? あっはっは。君の目は節穴だったわけだ。ねえねえ、今どんな気持ち?」
『ぐっ』
バーストが麒麟の頭を踏みつける。
踏み砕きはしない。
ただひたすら地面に頭が埋まるように、絶妙な力加減で押さえ続ける。
「見下していた相手になす術もなく組み伏せられて、地に頭を擦り付ける気分はどうだい! あっはっは!」
『ふ、ふふ、ふはははは』
踏みつけられたまま、麒麟は笑う。
『ふはは。この世界線の勝者は、貴殿だ。それは認めよう。だが、呪い渡しの回廊はすでに『呪い』に下った。あとは分岐した未来から、際限なく『呪い』が迫りくるのみ!』
麒麟が手にもつ柩の蓋を開ける。
そしてそこからは、おびただしい量の『呪い』が溢れかえった。
『呪い』を開放したのだ。
『貴殿らがいつまで戦えるか、地獄の底で見守っててやるぞ』
「そうか。『死ね』」
ぐちゃりと麒麟の頭をバーストが踏み抜き、足からは闇色の影が膨れ上がる。
回復より速い速度でダメージを受けた麒麟の体が瘴気に変わるたび、バーストの影に飲まれていく。
「さて」
バーストは目の前の光景にため息をついた。
「この『呪い』はどうしたものかなぁ」
――バースト、ちょっといいか?
その時、彼女の脳裡に声がした。
声の主は楪灰想矢。
彼女の宿主である。
「想矢? どうしたんだい?」
バーストは『呪い』があふれる箱型の装置を漫然と眺めながら、彼の言葉に耳を傾けていた。
やがて彼の言葉を最後まで聞き終えて、ぽつりとつぶやいた。
「……本気かい?」
――ああ。
聞こえた声は、覚悟の決まったものだった。





