第70話 決戦の地『岩戸』へ
碧羽、紅映、ちなつの三名は、目の前に立つ人物の威圧感を前に動けずにいた。
これが本当に楪灰想矢なのか。
そう思わずにはいられない。
理由は簡単で、楪灰想矢の肉体の表層人格として表れているのがバーストだからだ。
バーストからすれば想矢を傷つけた男と、想矢を狙うあさましい女だ。
隠しても隠し切れない敵意が漏れ出てしまうのも仕方がないと思っていたし、もはや隠すつもりもなかった。
だが、やがてバーストは踵を返す。
「待て。どこに行くつもりだい?」
声を発せたのは、『岩戸』最強の柩使いである東雲碧羽だった。
「逆に聞くけど、君はどうしてここにいるのさ」
「お前を、封伐するために」
「あっはっは。今のボクは想矢に封伐された状態だよ? 呪いの二重封伐ができないってことを、今の柩使いは知らないのかな」
それは碧羽にとっては最悪の報せだった。
バーストは封伐できない。
それはつまり、人類はバーストに打ち勝つ術を失ったことを意味している。
「まあいいや。ボクが聞きたいのはさ、もっと根本的な部分なんだよね。とっとと『岩戸』に引き返しなよ。あいつらはボクとは違って、容赦情けって言葉を知らないからさ」
「あいつら……? 待て、それはいったい――」
「これ以上、交わす言葉はないよ」
バーストが手のひらをかざす。
碧羽は知っている。
この敵を相手にして、距離なんてどれだけあっても等しくゼロ距離に等しいことを。
照準を定められたが最後、防ぐことも回避することも許されないことを。
碧羽の足が止まる。
射竦んだのだ。
世が世なら英雄とまで言われた男が、畏怖したのだ。
「想矢!!」
そんな中、動いたのはちなつだった。
「お願い、行かないで」
「……」
「大丈夫。大丈夫だから。たとえ姿かたちが変わっても、互いの姿がわからなくなっても、想矢は想矢だから。わたしもくーちゃんも、ずっと、ここにいるから、だから、怖がらなくていいんだよ?」
「……ちな、つ」
いや、ちなつだけではない。
紅映もまた、動き出していた。
「……あんたが強いだけじゃないのも、ちょっぴり見栄っ張りなところも、余裕ぶってる仮面の裏側では大事なものを取りこぼさないように必死なのも、本当は全部知ってるんだから。隠すのが下手なのよ、あんた」
「……」
「全部わかったうえで、私たちはあんたのそばにいるの。その意味、分かりなさいよ。馬鹿」
「……紅映」
想矢が頭を抱えて、懐から柩を取り出した。
その段階になってようやく碧羽は臨戦態勢をとるが、それは杞憂だった。
想矢は、バーストを柩に戻しただけだった。
「想矢?」
「……おう。どうしたちなつ、そんな顔してさ」
「想矢、想矢だ!」
ちなつが想矢の首に手を回す。
「紅映も、フキノトウが雪に語り掛けるシーンを見たみたいな顔してどうした」
「してないわよそんな顔! 私はこれが普通の顔よ」
「そうだった紅映は普通顔だった! よっ、普通顔!」
「うっさい! 普通顔普通顔連呼するな!!」
「ははは」
抱き着くちなつの手を離して、碧羽さんに声をかけようとする。
すかさず、また腕を回される。
抱き着くちなつの手を離そうとして……、諦めた。
「……碧羽さん。オレに思うところはあると思います」
ちなつが抱き着いた状態で、碧羽さんと向き合って声をかける。
「でも、今は先に『岩戸』に向かいましょう」
「バーストも同じことを言っていたけど、『岩戸』でいったい何が起こっているんだい?」
バーストが朱雀を取り込んだ時、朱雀の持つ記憶やら経験やらが脳に流れてきた。
そして、この情報が正しいのなら。
「『岩戸』は今、麒麟と白虎に攻め込まれています」
「……なんだって?」
オレも碧羽さんもいない『岩戸』。
いや、オレたちだけじゃない。
柩使いたちが世界中に散らばっているこの状況。
『岩戸』に残った柩使いは神藤さんと、よくてせいぜいあと一人くらいだろう。
「最悪の場合――」
その時、伊勢方面から空に向かって稲妻が走った。
天から伊勢にではない。伊勢から天へと伸びたのだ。
『岩戸』方面に暗雲が立ち込める。
ぐるぐると渦巻く闇雲。
「最悪の場合、すでに陥落しています」
「……その、最悪のパターンみたいだね」
「急ぎましょ――」
【アドミニストレータ】を使って、碧羽さんを連れて『岩戸』に乗り込もうとすると、首にかかる腕の力が重くなったのを感じた。
「想矢、行かないで」
「……ちなつ」
「行っちゃ、やだよう」
それは、年相応の少女が見せた、弱い一面だった。
「ちなつ、オレは、行かないと」
「どうして? どうして想矢ばっかりつらい目に合わないといけないの? そんなの、おかしいよ」
「……ちなつ、別に、オレはつらい目にあってるわけじゃないぞ。オレはただ、オレにできる無茶をやってるだけだ」
「でも、でも……」
ゆっくり、ちなつの手を振りほどく。
「……ぁ」
「大丈夫。絶対、帰ってくるから」
「想――」
「【アドミニストレータ】」
言葉を言い切る前に、世界を切り替える。
碧羽さんを連れて、走り出す。
「行くか、『岩戸』」
一歩足を進める。
鉛のように、足が重く感じた。
「行くか……『岩戸』ッ!」
改めて声に出した。
震えは、収まっていた。





