第65話 Destiny Bond
「【アドミニストレータ】!」
時間を止めて、碧羽さんから柩を奪う。
ただそれだけで、『人魚の呪い』の封じ込めは成立する。
「解除。碧羽さん。分かっているはずです。碧羽さんにオレは止めれない」
「ああ、そうだね。まともにやりあえば、勝てないだろうさ。でもね、僕は同じ轍を二度踏まない」
「っ、なにを」
碧羽さんが、自分の手首を切り落とした。
ぼとりと碧羽さんの体だった一部が地面にこぼれて、どろりとねばつく液体がしたたり落ちる。
だが、それも長くは続かなかった。
「……人魚の、再生能力?」
どうして。
碧羽さんの柩はオレの手にあるのに。
どうして、碧羽さんに『人魚の呪い』が……。
「まさか」
手に持った剣の切っ先で親指の腹を軽く刺す。
ぷくりと血が滲み、切っ先にじとりと染みる。
その間、『人魚の呪い』が持つような驚異的な再生力は生まれなかった。
「柩の二個持ち?」
「そうだよ」
碧羽さんはそういうと、上着をめくりあげた。
わき腹のあたりに鋭利な刃物で切りつけた痕と、縫合手術をした痕が残されている。
「呪い渡しの回廊で『人魚の呪い』を神藤さんの柩に移した後、僕の体内に埋め込んだ。君には柩を奪取された過去がある。僕がその対策をしていないはずがないだろう」
まずい。
『人魚の呪い』の対策手段としてカウントしていた作戦のうち、半数が碧羽さんから柩を奪うというものだった。
だけど、その柩が碧羽さんの体内にあるというのならそれは絶望的だ。
「『人魚の呪い』を引きはがしたかったら、僕のはらわたを引きずり出すことだね。君に僕を殺す覚悟があるのなら、ね」
碧羽さんから柩を取り出すには肉を切らなければいけない。
だけど、肉を割いて柩を取り出せば、碧羽さんはとたん人魚の再生能力を剥奪される。そうなれば後に残るのは致命傷を負った生身の人間だ。
こんな山奥なれば、医療班が駆けつけるころには命脈は断たれているだろう。
「君には感謝している」
碧羽さんの蹴りが放たれる。
ガードをして、バックステップで捌いて、それでも有り余る重さが腕に走る。
痛みに視界が歪む。
「君がいなければ、僕は今ここにいなかった」
目を開くと、そこに碧羽さんの姿はなかった。
その代わり、オレの背後から声を掛けられる。
振り返るのと、碧羽さんの拳がオレの頭を穿つのはほぼ同時だった。
ごろごろと地面を転がっているのを、なんとなくで理解した。
「う、おぉぉぉぉっ!!」
納刀術『つるべ落とし』から抜刀術『宵の明星』。
音さえ置き去りにする神速の太刀。
「~~っ!!」
だけど、ダメだった。
技の動きと体の動きがどこかちぐはぐで、踏み込みが甘く、間合いの一歩外を白銀の筋が走る。
「君は、僕より強いよ。だけど」
碧羽さんが拳を固める。
その眼光はオレを鋭く射抜いている。
「戦って勝つのは、僕だ」
「ぐあ……っ」
碧羽さんの拳が、みぞおちに突き刺さる。
肺が金縛りにあったようだ。
呼吸をしようとすると痛みが走り、息を吸うのも吐くのもできそうにない。
「君の強さの理由は知っている。大事な人を守るためだろう? だから一定以上かかわりを持った人を傷つけられない」
「碧、羽さんは……ちが……すか」
「守るためという点で戦う理由は同じさ。ただ、僕は君ほど理想主義じゃない。一人でも多くの人を救えるのなら、仲間殺しだって厭わない」
碧羽さんが言う。
だから君は僕にはかなわない、と。
「……違う」
冗談じゃない。
冗談じゃないぞ。
「命の取捨選択なんて、オレにはできない」
「その判断の弱さが、君と僕との決定的な違いだ」
「だったら、その弱ささえ抱えて、オレは前に進む!!」
もう、あれこれ頭を悩ませるのは後だ。
「拾える命は、みんな拾う!! 碧羽さん、あんたの未来も含めてな!」
ぎゅるり。
迸る柩の駆動音。
あふれ出る漆黒の瘴気。
「いくぜ、バースト。力貸せよ!!」
*
夜の森を、二人の少女が駆けていた。
(わざわざ神藤の使いが足止めに来るなんてただ事じゃない。想矢と碧羽さんに何かあったんだわ)
ちなつの胸に、嫌な気持ちがあふれる。
もやもやと立ち込める暗雲のような、不穏な予感だ。
「あっ!」
「ちなつ! 大丈夫!?」
「う、ん。転んだだけ。それより、はやくいかなきゃ」
すでにあたりは暗くなっていた。
山の道は木の根っこが地表に現れていたり、地面に起伏があったりしてうねっている。
ちなつは夜目が強いわけではない。
星明りを頼りに夜の山を走るのは厳しいものがあった。
「っ」
「ちなつ! あなた、その手首!」
「……なんでも、ないから」
「そんなに腫れてて、何でもないわけないでしょう!」
ちなつは転んで腕をついた時に気づいた。
手首が、本来曲がらない角度まで曲がったことに。
訴えかけられる痛みが、手首の負傷を知らせていることに。
「平気、だから、早く、行かなきゃ」
「……ちょっと待って」
紅映はウェストポーチから白い布を取り出すと、驚くべき速さでちなつの手首に巻き付けた。
「テーピング。うちのお兄ちゃんもよくケガして帰ってくるから、得意なんだ」
「くーちゃん……ありがとう」
「ううん。さ、行くわよ」
「うんっ」
そして二人はまた走り出した。
星空の見える場所を選んで。
木々の生えている場所は、木の葉が夜空を隠している。逆に言えば、星空が見えるということは木々が少ないことを意味している。
木々が少なければ地表に飛び出す根っこも少ない。
結果として、より早く前に足を運べる。
「見て! 開けた場所に出るよ!」
木々をかき分け、星空の下に出る。
峡谷近くにできたすこしの開けた空間。
そこに、彼らはいた。
「想矢!」
「お兄ちゃん!」





