第62話 七天紋章
「碧羽さん、ちょっといいですか?」
無心で串に野菜を刺し続ける碧羽さんの前に立つ。
碧羽さんはオレの問いかけに答えることも、その手を止めることもなく、淡々と串を作り続けている。
「碧羽さん」
もう一度声をかける。
返事はない。
目が合うこともない。
「オレの目を見てください!!」
碧羽さんから串を奪う。
ようやく碧羽さんがオレを視認した。
声を荒げたとき、すこし近くにいたちなつがびくっと肩を震わせたのが視界の隅に映った。
すかさず、フォローを入れるかのように紅映がちなつに声をかけに行く。
ありがたい。向こうは紅映に任せるか。
「今日の碧羽さん、様子がおかしいですよ。そんなに、オレが一人で麒麟と戦おうとしたのが気にくわなかったならそういえばいいじゃないですか」
「僕はそんなことで腹を立てない」
「だったら、何を不満に思ってるんですか。言ってくれなきゃわかんないですよ」
「君に話して、何が変わるって言うんだい」
碧羽さんの瞳が、オレを覗き込んだ。
深い深い、海のように冷たい藍色。
だけどその透き通る宝石のような輝きとは反対に、吸い込まれるような魔性はなく、威圧して、排斥しようという意思すら感じられる気がした。
壁を作られている。
それは明確だ。
だけど、その理由がわからない。
「いいかい? この世はさ、どうしようもない不条理ばかりなんだよ。知ってどうにかなることより、知らずにいた方が幸せなことだって山ほどある」
いつになく、真剣な声音。
オレを案じてくれているんだろうか。
これは多分、碧羽さんの優しさだ。
「それでも、知らなきゃ、いけないんです」
知らないと、同じ道を歩けない。
前に進むこともできやしない。
「知らずにいた方が楽なことでも、知って、悩んで、自分で答えを出すことに意味があると思うんです。だから、教えてください」
碧羽さんの瞳を、じっと見つめ返した。
風が木の葉を揺らす音が、耳に響く。
木陰の多い山に吹く風は冷たく、表皮の熱をさらっていく。
『ここから北に3km行くと、峡谷がある』
碧羽さんが、声を出さずに口だけを動かした。
オレがちなつと紅映を確認出来る位置で碧羽さんと向き合っていることからも分かるように、碧羽さんは二人に背を向けた位置取りだ。
彼の言葉を見れるのは、オレだけになる。
『深夜25時、そこで落ち合おう』
二人には知られたくないことなのか。
どちらにせよ、これが碧羽さんの最大限の譲歩みたいだ。これ以上の交渉は無意味。そう思わせるほどの重々しさが碧羽さんからは伝わってくる。
視界の奥では、紅映とちなつがしきりにこちらの様子をうかがっている。
オレは、顔に笑顔を張り付けた。
*
町明かりの無い山奥だと、驚くほど星がきれいに見える。
まあ、人に自慢できるほど詳しいわけじゃないけど、今日に限っては北斗七星さえ見つかれば問題ない。
そこから北極星を導き出し、ただひたすらにその方向へ足を進めるだけだ。
振り返る。
明かりの消えたコテージが寂しそうに見えた。
(ちゃんと、問題を解決してこないとな)
あれから、ちなつはオレと碧羽さんの間に何があったのか何度か探りを入れに来た。せっかくの旅行なのに、これじゃあ楽しめないだろう。
ちゃんと、ちなつが笑えるようにしないと。
24:30。
少し早めに峡谷につくと、少し開けた場所に腰を下ろした人影があった。
わずかな星明りが照らす輪郭でも、それがだれかを判断するには十分だった。
「早いですね、碧羽さん」
碧羽さんに声をかける。
峡谷は、風を遮る木々がない。
谷底から吹き上げる大地の息吹が、夜の湿り気を乗せて通り過ぎていく。
「……本当にね。こんな日が来るなんて、夢にも思っていなかったよ」
碧羽さんは、淡々とした口調でつぶやいた。
オレの問いに対する答えのような、どこか的外れな回答のような。
「僕は星に詳しくないんだけど、想矢くんは?」
「幼少期に読んでもらった本の知識程度しか」
「教えてもらってもいいかい?」
「にわか仕込みの知識でよければ」
北の空にある、七つの星を指でなぞる。
「あれがおおぐま座の一部、北斗七星です。そのしっぽのカーブを延長線上にある、あの明るい星がアルクトゥールス、それからさらにいったところにあるスピカ。そして、その円弧の中心に位置するデネボラ。これら三つを結んだ三角形を、春の大三角って呼びます」
「へぇ。詳しいね。星が好きなんだ?」
「そうですね……。昔はよく、星空を記した図鑑を見てましたっけ」
公民館の一室には住民から寄贈された本が読めるコーナーがあって、そこにある星空を描いた本を読むために、何度も足を運んだ覚えがある。
「もし君が、柩使いとしての力を持っていなかったら、今頃星空博士になっていたのかな?」
「ははっ、どうですかね。まあ、そんな未来もあったかもしれませんね」
オレはたまたま【アドミニストレータ】のスキルを手に入れて、柩使いとして戦う力を手に入れた。
もし、その小さなきっかけが無かったら。
オレは今、どんな人生を歩んでいたんだろうか。
ちなつが従姉をなくして悲しむことも、碧羽さんが死んで紅映が悲しむことも知らない。
想像もできない話だけど、十分に起こりえた過去なんだ。
なんとなく、そのことを改めて思い出した。
「……想矢くん。『岩戸』から、新たな指令が出た」
「そうですか。オレにできることなら手伝いますよ」
「……そうか。なら一つ、頼まれてくれるかい?」
碧羽さんが、声を絞り出す。
閉まり切った喉で、無理やり言葉を紡いだように、ひしゃげた声だった。
「……ここで、死んでくれないか?」
――え?





