第58話 碧羽「君は誰だ」
碧羽の中にあった葛藤。
それは、本当に想矢一人に任せてきてよかったのだろうかというもの。
柩使いのひとりとして、彼の実力はよくわかっている。信頼もしている。
彼が大丈夫だといった以上大丈夫なんだと安堵している自分がいる。
一方で、罪悪感にもさいなまれていた。
――はっきり言わないとわかりませんか?
――力不足なんですよ。
自分では、彼の隣に立ってあげられない。
やがて彼は独りになるのではないか。
圧倒的な強さというのは孤独だ。
誰も彼の理解者にはなれない。
「やっぱり、間違っている」
彼をここで一人にするわけにはいかない。
たとえ力が強くても、一人の力でできる範囲には限りがある。それを教えるのは自分の役割だ。
そうして、碧羽はまた、元の場所に戻った。
(……妙だね。なんだろう、この静寂は)
想矢と『呪い』が戦っているにしては、あまりに静かすぎる。拳がぶつかり合う音の一つ聞こえてこない。
まさか、もう手遅れなんじゃ。
「想矢くん!」
林をかき分けた先。
そこに、彼はいた。
「……あれ? 碧羽さん? どうしてここに」
「よかった、無事だったんだね」
「……言ったでしょう。ここでくたばるつもりはないって」
「そうか。よかった……ところで、ひとついいかい?」
想矢は「どうぞ」と短く返した。
碧羽は口を開いたり閉じたりと、しばらく、どう言葉にしたものかと悩んだ様子だったが、やがて意を決したように切り込んだ。
「……君は、誰だい?」
想矢の目が、はっきりと東雲碧羽をとらえた。
それだけで碧羽は、自分が猫に追い詰められたネズミにでもなったような心持になった。
「あはは、おかしなこと言いますね。楪灰想矢。碧羽さんもよく知っているでしょう?」
「ああ、そうだね。彼は、左肩より右肩がわずかに下がった状態が自然体なんだよ。それに対して今の君は、わずかに猫背だけどそういう歪みがない」
「……へぇ?」
「もう一度聞こう。君は誰だ」
想矢が、碧羽を値踏みするように見つめた。
少しして、彼はからからと笑うと、細い目で答えた。
「さすがは英雄といったところかな。そうだね、初めましてと言っておこうか。東雲碧羽」
「彼の体を返してもらおうか」
「返す? くっはは。ああ、別に構わないよ。すでに目的は半ば達成されているからね」
「……何を言っている」
「くっはは。知りたければ、想矢に聞けばいいんじゃないかい? まあ、想矢もすべてを知っているわけじゃないけれど。まあ、そうだね。想矢が目を覚ますまでの間、ボクでよければ質問に答えてあげるよ」
碧羽は改めて、ここにいる楪灰想矢が別人だと理解する。彼の一人称は『オレ』であり『ボク』ではない。
「まず、そうだね。『君は誰だ』だったか。それにこたえるならバーストだね」
「バースト? 想矢くんが封印している『呪い』かい? 『呪い』が柩使いの体を乗っ取れるのかい?」
「前者の答えはイエス。後者については知らないなぁ。ボクは乗っ取ろうとしたことなんて一度もないし」
バーストは終始不敵な笑みを浮かべている。
碧羽は気づいた。
いくら問答したところで、これが本当のことを言っている確証はどこにもないことに。
「……何が目的で彼に取り入った」
「ふふっ、君も知っている簡単なことさ」
バーストは倒木に腰を掛けると、頬杖をついた。
「まあ安心してよ。ボクは彼を傷つけるつもりはないし、ここに出てきたのは宿主を守護するためさ。もう少し雑談に付き合ってあげてもいいんだけど、そろそろ彼が目覚めるころかな」
「待て、話はまだ」
「悪いけど、続きは本人とやってくれるかな。ボクはまた、眠りにつくからさ」
ふぁぁと、バーストは一つあくびをすると、想矢の体がカクンと倒れた。
「うえっぷ!? ってぇぇ、どこだここ」
「想矢くん?」
「あれ? 碧羽さん? どうしてここに」
「無事かい!? 本当に何ともないかい!?」
尋常ではない碧羽の動揺ぶりに、想矢の中でだいたいの出来事が整理される。
「あー、碧羽さん。もしかしなくても、あいつに会いました、よね?」
「……ああ」
「むしろ、碧羽さんの方こそ大丈夫でした? あいつ、急に襲い掛かったりしませんでした?」
「大丈夫だ、問題ない」
「そっか、あいつ、本当に約束守ってくれてるんすね」
碧羽は想矢をなじろうとした。
だけど、彼が続けて「よかった」なんて言うもんだから、怒気のやり場を見失った。
仕方なしにしばらく口をつぐみ、それから二人で、また倒木に腰を掛ける。
「想矢くんとバーストは、どういう関係なんだい」
「どういう……簡単に言うと、体の関係?」
「わざわざ意味深な感じの言葉を使わないでいいから」
「あはは、すみません」
想矢は夜空を仰ぐと、「あながち間違いでもないんだけどなぁ」とつぶやきながら続きを話した。
「きっかけは4年前。超常の柩を持った『呪い』と対峙したときでした。『呪い』に劣る人が『呪い』と対等に戦うための必須品を相手が使ったら、どうなるかなんてわかるでしょう?」
「……まさか、さっきの奴も」
「はい。柩使いの『呪い』です。相手は強力で、当時のオレは為すすべもありませんでした」
だから、と。
想矢は口にして、重々しい言葉で呟いた。
「悪魔に魂を売った――、いや、悪魔の魂を買ったって言う方が正しいですかね。オレはあいつの力を利用して、あいつはオレの肉体を利用している。ただそれだけです」
「そんなことをして、君は大丈夫なのか?」
「あはは、わかりませんよ、そんなこと。でも、そうしなければ、後悔していた」
夜の風が、木々を揺らしている。
「みんなには、秘密ですよ?」
「……ああ」
碧羽の歯切れは悪く、想矢は少し、眉をひそめた。
月明かりが、星の光を奪っていた。





