第53話 にぶんのいち
「くしゅん。むー、誰かがわたしの噂してるよー!」
「そういえばちなつ、去年も一昨年もこの時期体調悪そうにしてたよな。花粉症なんじゃね?」
「ふっふっふ。想矢はわかってないなぁ。診察しなければ花粉症じゃないんだよ」
「いいとこの令嬢だろ。さっさと波動関数を収束させて来い」
バーストから干渉を受けてから、4回目の春が来た。
それはつまり、原作が始まる時期を意味している。
この約4年間の間、オレは多くの『呪い』と戦って、そのたび生きて帰ってきた。バーストの呪いを使ったのは計3回。
その間、前のようにバーストから干渉を受けることは特になかった。
変わったことは大きく3つ。
一つ。
【アドミニストレータ】内で起動するゲームタイトル。
少し前までは『ぱんどら☆ばーすと』だったのに、バーストに身体を貸して以降『ぱんどら☆ばーすと ―Re;Vival―』というタイトルが起動するようになっている。
オレは4年間。
このゲームを遊んでいない。
あの日。
青龍と戦ったあの日。
バーストに助けられたのは紛れもない真実だ。
だけど、どうにも、バーストは裏で何かを企んでいるように思えてならない。
これすらも罠なんじゃないか。
そう考えると、軽率に手を出したりなんてできなかった。
そして、二つ目。
「うわーんくーちゃん! 想矢がいじわる言うよー!」
「はいはい」
「ううー! くーちゃんもツンモードだぁ」
東雲紅映が同級生になった。
原作時空では『岩戸』の追手から逃げるために中卒(実質退学)だったけど、この世界では彼女の兄の碧羽が生きているため普通に学校に通えている。
代わりにメアリは帰国した。
この辺は原作通りになったわけだ。
歴史の修正力が働いたのか、それともたまたまなのか。
前者だとしても、それは抗いようがないほど強いものじゃなさそうだというのがオレの所感だ。
「どうすんのよこれ。ちなつのご機嫌取るのもあんたの仕事でしょ」
「オレの仕事量多くない?」
「ノブレス・オブリージュね。でも、まぁ? あんたがどうしてもっていうなら? 私が手伝ってあげてもいいわよ」
「マジ? サンキュ紅映! めっちゃ助かる!」
「べ、別にあんたのためじゃないんだからね!!」
それから、三つ目。
これが一番大きな変化ともいえるんだけど。
「でも、本当に大丈夫なの? 学業と『呪い』の封伐、孤児院の催事の手伝いに『岩戸』の会議、あんたの生活リズムどうなってんの?」
「あー、その辺はまあ」
「はっきりしない物言いね」
「ははっ」
明らかに足りない時間。
それを補えているのは【時空魔法】のおかげ、ではなく【アドミニストレータ】による時間停止のおかげ、でもない。
「ちゃんと寝てるんでしょうね?」
「……もちろん」
「ならいいわ」
……嘘を、ついた。
もう、長らく眠りについた記憶がない。
寝る暇もないほど忙しい、わけではない。
バーストに干渉を受けたあの日から、睡眠が必要なくなった。
布団に入ってまぶたをおろしても、無意識の世界に旅立てなくなった。眠気を感じなくなった。
常に脳が活性化している感覚。
(あるいは、オレの体はとっくに)
――『呪い』に変化し始めているんじゃないか。
浮かんだ考えを振り払う。
あれからバーストは沈黙を貫いている。
それこそが『呪い』の進行していない何よりの証拠じゃないか。
――ひとまず、君の体感時間で3分。
――今回はそれで十分だ
だけどそれなら、あの時バーストは3分で十分だなんて言ったんだろう。
音沙汰の無さが一周回って不気味に思えてくる。
「想矢?」
気が付くと、ちなつがオレの前に立っていて、オレの顔を覗き込んでいた。
「どうした? 今になって花粉症が不安になってきたか?」
「……そうじゃなくて、えと、あのね?」
「うん?」
顔色を窺っている、というよりは顔色の悪さを心配しているとでも言いたげな表情だった。
「何か悩み事があるなら、真っ先に頼ってくれていいからね! わたし、絶対想矢の力になるから!」
でも、その不安げな色は、ちなつの力強い瞳の奥底にしまわれてしまった。
たとえ神藤にならなかったとしても、ちなつの根本部分にある芯の強さは変わりないってことだろうか。
(……あー、もう。こんなこと考えてたらみんなを不安にさせちまうだろうが!)
微笑んで、語り掛ける。
「おう! その時は頼るよ。絶対に」
「……うん」
ああ、それから。
もう一つだけ、変わった点があったか。
――ぴろりん。
ポケットにしまったスマホが通知音を発する。
そう。
この4年間で、オレも文明人の仲間入りを果たしたのだ。
持っている人をうらやましいと思いつつも、なかったらなかったでどうにでもなるかのスタンスだったんだけど、『岩戸』の方から支給された。
そんなわけだから。
オレのスマホには『岩戸』の職員たちの連絡先がこれでもかというほど登録されている。
今回の通知もそうだ。
「お従姉ちゃんから?」
「うん。わり、早退するわ。先生にはうまく言っといて!」
「分かった! 急性アルコール中毒で病院に運ばれたって言っておくね!」
「……ごめん、紅映に頼んでもいい?」
「えー!?」
ちなつ急性アルコール中毒が何か知らずに使ってるだろ。
「はぁ、うまくやっとくから、さっさと行きなさい」
「わり、紅映。いつも助かってる」
「ば、だからあんたのためじゃないって何度言ったら……、そ、そうよ! あんたがいないとお兄ちゃんの負担が大きくなるから仕方なくなんだからね!」
「ははっ、わかったわかった。サンキュな」
画面越しに神藤さんにメッセージを送る。
オレの親指が震えているのに、オレだけが気付いた。
(……この『呪い』による被害状況、発生場所、時期、間違いない)
……原作が、始まろうとしている。





