第121話 狙撃
門が砕かれ、炎に包まれた俺たちの砦に王国の兵たちが押し寄せている。
4体あった闘士型ゴーレムも1体を残し砕かれ、陥落寸前に見えるのだろう。
だが、その砦の後ろにある街にたどり着いた兵は未だ1人も居ない。
街に通じる中央通路は2体の剣士型ゴーレムと100体のオーク兵が守っている。
オーク兵はともかく、剣士型ゴーレムは常人ではそうそう倒せる相手ではない。
加えて、通路の上部からは石や油壺が投下され、侵入者を阻んでいる。
『聖騎士』と『賢者』を倒した今、前線は中央通路から砦の前まで押し返した。
一樹「砂塵よ、わが敵を抱いて踊り狂え!サンドストーム!」
王国軍が加護持ちの戦力を失った以上、勝敗はもう決しているはずだ。
だが、魔道師と騎士以外はできるだけ殺さないようにしたので数だけは残っている。
砦の惨状と戦勝ムードの高揚感が、兵士達の状況判断を鈍らせて居るのだろう。
燃え盛る石造りの砦という違和感も、戦場の狂気の影に隠れてしまうのか。
一樹「なるみ、敵の親玉の位置は分かるか?」
なるみ「1時の方向にそれっぽいのが居るね。距離は約2.3km」
2.3kmか、今代の伯爵様は前より慎重な奴のようだ。
前回の戦いで俺が狙撃した事を聞いて警戒しているのだろう。
俺は視覚を強化して敵陣を観察する。
あれか?見覚えのある青と金の装飾的な鎧を身に着けた男が居る。
だが妙だな?鎧はしっかり見えるのに、顔に焦点が合わない。
一樹「顔だけ見えん。認識阻害魔法かな?影武者の可能性はないか?」
なるみ「使い魔からは普通に見えてるみたいだよ?映像送るね」
一樹「いや、いい。どうせ俺は本人の顔を知らんからな」
アウラエル「最近は代替わりが激しかったので私も今代のヘーゼルホーヘン伯爵の顔は存じませんが、あの鎧の意匠は当主の物の筈ですね」
なるみ「んー、それっぽい魔力は検知できないよ?認識阻害魔法なら隠蔽操作がされてる可能性も高いから、無いとは断言できないけどね」
一樹「わかった。今は奴が本人と見做す事にしよう」
なるみ「あい」
該当する魔力が検知できないというなら、これ以上は悪魔の証明だな。
仮にそこまで厳重に偽装しているなら、真相を知る者は少ないはず。
真偽はどうあれ、王国軍も大半は奴を伯爵本人と認識しているだろう。
顔が見えない理由は気になるが、今は戦いを終わらせる事が優先だ。
一樹「魔弾よ、あらゆる障害を越えて彼の敵を穿て。スナイプ!」
中空に現れたライフル弾が薬莢ごと音速を超える。
少しの間を置いて、ぼやけた視界の中で青い鎧が崩れ落ちる。
仕留められたか気になるが、前線で遠くばかりを見ているのも危険だな。
一樹「なるみ、降伏勧告をする。攻撃してくる敵以外は狙わないようしろ」
なるみ「りょーかい!」
一樹「王国軍の兵士達よ。お前達の『聖騎士』は既にここに倒れている。最早お前達に勝ち目は無い」
俺は風魔法で音量を増した声で王国軍に呼びかける。
一樹「お前達の後ろでふんぞり返っていた派手な青い鎧の男も倒した。これ以上誰の為に戦う?生きて帰りたければ武器を捨てて投降しろ」
しかし、王国軍の兵士達は降伏勧告に応じる気配は無い。
視覚的には王国軍が優勢、言葉だけで高揚感を治めるのは難しいか?
一般兵はあまり殺したくないが、まだ見せしめが必要なのか?
一樹「拡散式・ストーンバレット!」
無数の鶏卵大の石の弾丸が王国軍に降り注ぐ。
手加減したから当たり所が悪くなければ死にはしないだろう。
だが、鎧越しでも骨にひび位は入ったはずだ。
王国兵「見たか!奴の攻撃など恐るるに足らず!進め!」
一樹「ストーンバレット」
なにやら馬上で余計な音を立てるモノを打ち砕いた。
その破片と赤黒い飛沫が周囲の兵に降りかかる。
なにやら力が湧いてくるのを感じる。少しいらついてしまった様だ。
グリシーヌ「一樹よ、もう勝敗は決したのだろう?後は威嚇で十分だ」
一樹「そうしたい所だがこの状況では説得力に欠けるな。何か見た目のインパクトが欲しいが・・・グリシーヌ、頼めるか?」
グリシーヌ「詰まらん仕事だが引き受けよう。弱き者を無駄に殺すのも寝覚めが悪いからな」
一樹「助かる」
グリシーヌがマントを脱ぎ捨てると、少女の裸体が露になる。
その身体はみるみる膨張し、表面に鱗が生えて行った。
一樹「最終勧告だ。武器を捨てて投降しろ。次は手加減無しだ」
再び風魔法で拡張した声で呼びかける。
その背後には、高さ5mほどの竜の姿が聳え立っている。
グリシーヌの咆哮に合わせて、俺も魔力を込めた威圧を放つ。
恐怖を深く、強く刻み付けるべく、少しばかり強めに魔力を込める。
ようやく戦意を喪失したらしく、王国軍の兵士達は武器を捨てた。
一樹「なるみ、農園の方は大丈夫か?」
なるみ「だいじょうぶ、敵は全部やっつけたよ」
一樹「被害状況は?兎人族とジェシカ達に怪我は無いか?」
なるみ「そっちはちょっと怪我人が出たけど軽傷だよ。オークとゴブリンはだいぶやられちゃったけどね」
一樹「そうか、なら問題ない」
なるみ「わかった」
川向こうの敵本陣の後ろでは、地面からゴーレムが這い出してくる。
造形は雑だが、今回だけのただの壁役なので問題はないだろう。
再度の侵攻を防ぐ為に伯爵家の武器防具は5000人分ごっそり没収だ。
『賢者』とあの障壁使いの装備品にはちょっと興味も惹かれるしね。
死傷者を搬送するための馬車と人員、そして人質を確保するためでもある。
こちらでも荷車は用意しておいたが、出来るだけ敵の備品で済ませたい。
馬車は焼けてしまったものも多いが、使えそうなものも残っている。
武器防具の類はこちらで回収し、代わりに死傷者を伯爵領まで運ばせる。
本陣にいた貴族子弟は人質として捕え、後は前回、前々回と同じ事だ。
人質解放の条件として武装解除と死傷者全員の搬送を要求する。
そしてフルアーマーオークを並べて威嚇しつつ、鬼族が武装解除を監督。
エイミー達の護衛の下で卯月と皐月が負傷者を死なない程度に応急処置する。
死傷者を荷車に載せ、無傷か軽傷の敵兵に牽かせて伯爵領へ運ばせる。
前と少し変えたのは、退路を断って敵の本陣を押さえた所か。
人質に出来る貴族子弟も多いし、無傷の兵や荷車も残っている。
戦場の後片付けの為、きりきり働いてもらうとしよう。
街の修復作業は任せられないし、仲間の面倒くらいは見てもらわないとね。
別働隊の遺骸は、武具を全て剥がしてから街道脇へ運んでおく。
多くの農兵は懐に真新しいゴブリンの魔石を胸に忍ばせていた。
王国では近年、魔石の値段が上昇傾向にあるらしいからね。
これも俺の遅滞作戦の一部だが、それなりに効果を発揮したようだ。
ゴブリンの大部分を占める下位種からは滅多に魔石は採れない。
だが、上位種や俺のガーディアンからは魔石を採取する事ができる。
今度の戦いでは魔石もちのゴブリンが多く現れると噂を流しておいた。
実際に情報を撒いたのはシェリー達の名も無い『ギルド』だ。
3方面からの同時攻撃という構想を理解していたのは正規兵だけだろう。
仮に理解していたとしても、目の前に転がっている小金の方を優先する。
徴兵された農民達にしてみれば、この戦いに勝った所で得る物は無い。
先陣をきって敵に突っ込んで命を捨てるなど真っ平だろう。
自分たちが戦場に着く前に戦闘が終わっているなら都合がいい。
せめて遅れて到着して、交戦中の敵の横腹を突く方がまだましだろう。
作戦を理解している正規兵たちは急いで前進しろと指示した筈だ。
でも、小金に目が眩んでついつい、なら仕方が無いよね。
作戦の概要を理解した上で、敢えて魔石回収を優先する者も居ただろう。
ヒット&アウェイを繰り返すゴブリンを深追いする者も増えたかもしれない。
足並みは乱れ、行軍速度は落ち、王国の3面同時攻撃作戦は失敗に終わった。
5000体のゴブリン人形を使い潰す事にはなったが十分な成果と言っていい。
次回の為に、下士官以下で生き残った者の持つ魔石はそのまま持ち帰らせた。
さて、王国軍5000人のうち、別働隊の2000人はほぼ全滅した。
本隊はできるだけ殺さないようにしたが、それでも500人は死んだか?
負傷した兵は1000人を越えているだろうし、逃げ出した者も居る筈だ。
健在の1000人前後で3000人以上の死傷者の搬送をする事になる。
何往復する事になるか分からないが、けっこうな時間がかかりそうだ。
一度伯爵領に移動した兵がそのまま帰って来ないって可能性もあるな。
その場合は搬送の人手が減り、人質解放までの時間が延びる事になる。
ま、そこに関しては人質の貴族子弟達の人望に期待ってとこだな。
貴族を恐れてただ諾々と従うな、と呼びかけたばかりではあるけどね。
負傷兵への死なない程度の応急処置については一通り終わった。
別働隊の遺体も武具と魔石を取り上げてから街道脇に並べておいた。
これで王国側の死傷者に対して此方がやれる事は一通り終わったか。
後は王国軍のお手並み拝見としよう。
威圧の為にオーク兵に残し、卯月と皐月、鬼族たちに撤収の指示を出す。
後はシャルロッテ、ジュリエッタ、文月が交代で怪しい動きが無いか監視だ。
人質の貴族子弟たちは、街の地下に造った捕虜収容所に入れておいた。
罪人として『経済特区』西側の監獄に入れようかとも迷ったけどね。
後で捕虜虐待だなんだと難癖をつけられても面倒だ。
ほぼ未使用だった『経済特区』の避難所の一画を改装して捕虜収容所にする。
快適とは言わないまでも、然程ストレスなく生活できるはずだ。
食事についても領内でそこそこ評判のいい店に持ち回りで担当してもらおう。
いじめてやりたい気持ちが無いとは言わないが、実行するわけにも行かない。
それなら逆に美味いものをいろいろ食べさせて販促活動にしてみよう。
貴族子弟という富裕層が集まっているのだからきっと効果的だろう。
一樹「こんな状況だからナイフやフォークが出せないのは分かってくれ。その分出せる料理の種類は制限されてしまうが、味はいい筈だ。平和になったら今度は普通に客として食べに来てくれるとうれしい」
貴族子弟だちは警戒しつつも、同じ人間族が持ってきた食事に手を伸ばす。
暴動を警戒して金属、陶器、ガラスの食器やカトラリーは出していない。
危険が無いとは言い切れないが、木製で丸みの大きな食器と匙だけ出した。
そのせいで手かスプーンで食べられる料理しか出せなくなっている。
制限無しならどんなものが食べられるのか、期待を膨らませて欲しいね。
強張らせていた貴族子弟たちの顔が、温かい食事で解されて行く。
『魔族』に捕らえられてどんな扱いを受けるかと余程不安だったのだろう。
避難所の一角を隔離し監禁してはいるが、広いのでそう閉塞感もない筈だ。
武具の類は取り上げてはいるが、衣類は普通だし拘束具も使っていない。
先日までの野営生活や想像していた虜囚生活との落差はかなり大きい筈。
さて、王国軍の死傷者の搬送は王国軍に任せてこちらは休ませて貰おう。
開拓村の拠点に戻って風呂に入り、一息ついて落ち着く事にしたい。
兵たちにも交代で休憩を取らせ、無理をしないように通達しておく。
街の被害は戦闘の規模の割にはかなり小さく抑えられたと思っている。
狼人族の傭兵隊、鬼族の戦士団、ステファンの警備隊などが活躍してくれた。
放火に対しても水無月たちが迅速に消火に当たったので小火で済んでいる。
人的被害は軽傷者が少し出た程度だし、扇動者などはほぼほぼ拘束済みだ。
街の復旧作業は住民達に任せ、こちらは補助金を出す程度で問題ないかな。
壊滅的な王国軍に対し此方の死者3名と軽傷者数名は大勝と言えるのだろう。
ただ、失ったものが少ないと言うだけで、この戦いで得たものは殆ど無い。
大量のくず鉄と、レア素材を含む『聖騎士』たち数匹分の装備品程度だ。
レア素材はありがたいが、リスクと労力に見合うかと言えば否だろう。
特に経済的な面ではマイナスしかない。
こちらは主戦力がガーディアンだから、報奨金はかなり少なくて済む。
だが、鬼族と兎人族の戦士団と傭兵達はそういうわけにも行かない。
戦闘が起きた以上は、平時と違って臨時の報奨金を出す必要があるだろう。
さっきも触れた事だがが、小火等で被害を受けた店などへの補償も必要だ。
閉門による機会損失はさすがに補償しきれないかな?
ヘーゼルホーヘン伯爵家に懲罰的賠償金をがっつり請求したい。
だが、それは強いものによる搾取の連鎖を生むだけだろう。
この世界では戦勝国が「賠償金」や「身代金」を取るのが普通らしい。
俺が勝った時に請求しなくても、負けたときに請求されない保障は無い。
わざわざ悪習に参加したくは無いが、それで損をするのは領民や兵士達か。
戦後復興の費用を増税で賄う事に住民は納得できるだろうか?
普通の戦争と比べれば、戦勝国とはいえ損害は軽微な方なんだろうけどね。
戦死リスクをゴブリン人形で肩代わりするというチート能力のおかげだ。
ゴブリン人形とオーク人形という盾がなければ一体何人死んでいたのか。
軽く体を洗うと、大きな浴槽に1人で思い切り手足を伸ばす。
伯爵家との緊張状態は当面続くのだろうが、とりあえずは一段落着いた。
念の為しばらく様子を見て、問題無さそうなら砦の門を開放しよう。
西向きの街道はともかく、南向きと北向きの街道は大丈夫だろう。
王国軍の遺体の回収と、血痕の洗浄が終わってからにはなるけどね。
一樹「我が涙よ、滝のごとく流れて心の澱を押し流せ、ティアレイン」
魔法で生成した生理食塩水を鼻から流し込んで口から吐き出す。
排水溝に流れ込むそれには、赤い色など混じっては居ない。
ひと掬いのお湯をかけると浴室はいつもの平和で清潔な景色を取り戻した。
兎人族「しつれいしまーす」
一樹「ん?えーと、そんなに揃ってどうしたんだ?」
兎人族の若い娘たちがぞろぞろと浴室に入って来る。
裸の少女達は期待に満ちた目で俺を見つめている。
何度か経験している子作り要請なのだろうが、今日は数が多いな。
兎人族「敵本隊との戦いではすごい活躍だったそうですね」
一樹「仲間の尽力に拠る所も大きいけどな。俺なりに頑張りはしたかな」
兎人族「そうみたいですね。それにお仲間といえばカボチャ君が苦戦した相手を一刀の下に切り伏せたウィセル様。そのウィセル様が心酔する一樹様の子種をぜひ頂きたいと思いまして」
一樹「な、なるほど」
農園を襲った敵左翼にはなかなかの強敵がいたらしい。
そいつを抑えて戦線を維持していたのが兎人族の戦士カボチャだそうだ。
人形なので盾にしてよいと伝えてあったオーク兵も上手く使ってくれた様だ。
しかし、止めは応援に駆けつけたウィセルがあっさり掻っ攫ったらしい。
実際ウィセルの方が強いんだろうが、今回は状況に因る所が大きい。
敵さんは強敵と対峙している最中に横から高速の攻撃を受けたわけだからね。
いや、一概にウィセルの方が強いとも言い切れないかな?
機動力と最大攻撃力では疑いなくウィセルの方が上だろう。
1対1の戦いなら飛行能力の有無も大いに有利に働くはずだ。
だが、正面からぶつかり合うならカボチャにパワー負けするかもしれない。
拠点防衛や戦線維持に関しては、カボチャの方に軍配が上がるのかな?
ともあれ、敵左翼は天使部隊の加勢により一気に総崩れとなった。
兎人族の男達は、活躍したウィセルとサジタエルに求愛をしたらしい。
だが、二人とも「この身に触れていいのは一樹様のみ」と断ったそうだ。
そこに敵本隊を抑えた功績も加わり、俺の株価が急上昇って事の様だ。
まあ、俺としてもこんな荒んだ気分を紛らわせて貰えるなら助かるけどな。
兎人族「一樹様と契りたい者は多かったのですが、厳選に厳選を重ねた結果、私達が選ばれました!」
厳選に厳選を重ねても8人も残ったのか。
一樹「ありがたいが、美人達を独り占めしては兎人族の男達に恨まれそうだな」
兎人族「ご安心ください。これが兎人族流の戦士の労い方なのです。勇敢に戦った戦士達は皆相応のもてなしを受けてますわ。カボチャくんなんて今頃干からびてるかも」
危機的状況では生殖本能が活発化するという話もあったな。
それでなくとも兎人族は性欲旺盛な種族だし、男女とも盛り上がるのだろう。
強い男の種を欲しがる女と戦士への報酬は、需給がマッチしている訳か。
当人達がそれで納得しているのなら俺が口を挟む事でもないな。
一樹「なるほど、そういう事なら楽しませて貰おうかな」
兎人族「一樹様は萎え知らずと伺っています。期待しておりますよー」
一樹「ああ、その点は心配ない。きちんと全員に注いでやるよ」
兎人族「まあ、楽しみ」
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雪風「一樹様、お待ちしておりました」
一樹「何があった?」
雪風「撤退中の王国兵の中からヘーゼルホーヘン伯爵が見つかりました」
風呂から上がると、俺の脱衣籠の横で猫耳の女が髪をいじっていた。
ライトグレイのスポーツブラと、それと合わせたパンツをきている。
髪がうまく纏まらない風を装って俺を待っていたようだ。
そういえば、いつもの黒装束ではここでは目立ってしまうな。
脱衣所では下着姿が一番自然というわけか。
近いうちに普通の服も用意してやろう。
一樹「間違いないのか?」
雪風「文月殿の審問で確認済みです」
一樹「そうか、俺が撃ったのは影武者だったわけだな」
雪風「その様です。ですが、奴が一兵卒を装っていたのを利用しましたので、伯爵が捕らえられた事に気付いている者は少ない筈です」
一樹「ん?」
雪風「貴族とその子弟は捕らえて人質にせよとのお達しでしたが、あの男は既に討ち取ったと喧伝しましたのでこのまま密かに葬るのが得策でしょう。始末する前に聞き出して置きたい事が無いか確認に参りました」
確かに、俺が倒したと宣言した男が生きていては変に相手を勢いづかせてしまうか?
伯爵本人か確信がなかったから、派手な青い鎧の男、と一応言葉を濁しはした。
しかし、人間の記憶ってのは存外当てにならないものらしいからな。
俺が「伯爵を討ち取った」と宣言したと記憶している者も多いだろう。
一樹「いや、当初の予定通り捕虜として死傷者搬送が終わるまでの人質にしよう」
雪風「承知しました」
雪風は髪を纏め終えると、下着を脱いで浴室に入っていった。
俺の指示はダンジョンコアを通じて分身たちに伝わったのだろう。
俺は伯爵が一時拘留されている場所へ向かう事にした。
武具を取り上げられた若き伯爵の姿は殊更みすぼらしく見える。
アウラエル「主様、他の貴族子弟と合流させる前に始末した方がよいのではありませんか?」
一樹「変装していたとは言え護衛や側近が皆無だったとは思えん。伯爵捕獲を知る者が1人でも居るのなら殺せば後が面倒だ」
アウラエル「その心配は無いでしょう。生還できたならともかく、兵卒を装って遁走を図るも失敗などという醜聞を伯爵家が好むとも思えません」
一樹「ならば尚の事生かして帰した方が面白いんじゃないか?」
アウラエル「お戯れを。下手に恥をかかせては話が拗れかねません。それに次代の伯爵は直情的な方と伺っていますので、動きも読み易くなるでしょう」
伯爵家と言えど当主が立て続けに3人も死ねば人材不足に陥るわけか。
搦め手は俺も苦手だし、敵性勢力の動きが読み易くなるのは助かる。
同時に、王国内の『魔族』排斥派の操り人形になる可能性も出てくるか。
次の伯爵様は一体何歳だろうな?
一樹「伯爵など家を潰さない限りは次から次へと湧いて来るようだ。ここで1人片付けた所で大した効果もないだろう」
アウラエル「なるほど、承知いたしました」
捕虜収容所に着くと、貴族子弟たちはお茶とクッキーを楽しんでいた。
うちの領の自慢の生産物をたっぷり堪能して頂いている所だ
貴族子弟「伯爵さ・・いえ、少将閣下!生きてらっしゃったのですか」
一樹「こいつが伯爵で間違いないか?」
貴族子弟「は、はい」
一樹「ふむ。当人は徴兵された平民だと言い張って居たが、本当に伯爵だったか。やはりうちの部下は優秀だな」
伯爵の姿を認めて一斉に起立した貴族子弟たちが気まずそうな顔をする。
伯爵「ふん、蛮族には分かるまいがな、貴族には民を護り導く責務があるのだ。生きて帰らねばならぬ。その為に一時の恥辱を耐える必要もあるのだよ」
一樹「そう肩肘を張らなくてもいい。臆病である事を恥じる必要は無い。生物として当然の反応だ。ゴブリン達も強い相手を見れば戦わずに逃げる事が多い」
伯爵「やはり蛮族には理解が難しいようだな。ただ脅えて逃げ惑うゴブリン共と違う。目的と志を持った戦略的撤退なのだ」
一樹「ふむ、仲間を身代わりにして群れのボスが我先に逃げ出すというのは確かにゴブリンには見られない行動だな。理解はし難いが王国の文化として覚えておこう。とりあえず食事でも取るといい」
俺は伯爵に一番手前の席を勧めた。
貴族子弟達の間に気まずい緊張が走るのを感じる。
駄目だな。なんでこんなせこい嫌がらせをしようと思ったのか。
一樹「あー、そういえば王国では席順にも決まりがあるんだったかな?好きな席に座るといい」
伯爵「よい」
伯爵がそのまま席に着くと、貴族子弟たちもそれに倣って席に着く。
予め手配しておいた食事が伯爵の前に運ばれてくる。
伯爵「不味いな」
殆ど手をつけていない料理が、乱暴に払われて床に飛沫を上げる。
伯爵「やはり蛮族の餌など、とても食えたものではないわ」
俺も苛立っていたとは言え、どうにも挑発が過ぎたかな?
今代の伯爵も、なかなかに直情的な様だ。




