第116話 植樹
ぬかるんだ大地を踏み締めて、残された切り株を力任せに引き抜く。
現れた水溜りを同行した村人達が掘り進め、『経済特区』で出た残飯などを埋める。
当面の間、ここは蝿と鼠たちの王国となるだろう。
荒地を緑化する場合、いきなり樹を植えてもうまくいかないものらしい。
まずは森の周囲に生えるような草を植えて土を整えなければならない。
これから寒くなる時期、その上この水はけの悪い土壌では尚の事だ。
ここは所謂『雑草』の力強さに期待するとしよう。
ここは『経済特区』の西を流れる河にある幅10kmほどの巨大な中州の様な場所だ。
北西から注ぐ河が一度分岐し、他の小さな川も合わせて南東側で改めて合流している。
バルバス男爵領だが、現在は当主不在の為ローゼンヴァルト公爵の監督下にある。
そして、0歳の男爵令嬢の暫定婚約者として暫定領主とされたのが俺というわけだ。
ダンジョンを街として提供する事を条件に、当面の裁量権を預かる事になった。
中州の外縁部を残して、中を刳り貫くように抜根を進めていく。
緑化するだけならひこばえを待ってもいいのだが、それでは幹の形が悪くなる。
半ば以上建前とはいえ、林業の町の再興を謳う以上は気にしない訳にもいかない。
中州外縁部の切り株は、すぐにでもローズの魔法でひこばえを育てて貰おうかな。
引き抜いた根っこも素材として活用させてもらう。
木工素材、紙の原料、燃料、堆肥など使い道はいろいろあるからね。
物によっては布製品の染料や食品の燻製用チップになったりもする。
そのままだと重いので、高圧洗浄機をイメージした水魔法で付いた泥を洗い落とす。
『経済特区』からゴミを運んできた馬車は、代わりに根っこを積んで戻っていった。
反対の西に向かう道には、この地に見切りをつけた住民達がぽつぽつと見える。
『魔族』から奪った新天地での仕事を期待して集まった者が多いらしい。
ところが、奪うどころか逆に『魔族』が領主になったのだから堪ったものではない。
ま、多少強引ではあったが無血制圧だし、一部奴隷の所有権以外は略奪なども無い。
攻められて反撃する者の態度としてはかなり寛大な方だと思うけどね。
西に向かう橋の周辺では、フルプレートアーマーの軍団が検問の補助をしている。
中身はオーク型ガーディアンだが、顔が見えないから普通の兵士に見えるだろう。
文月とジュリエッタたちが奴隷や誘拐被害者が居ないかを確認している。
反発はあるかも知れないが、2000人の重装歩兵を前に暴れる者は居ないだろう。
残飯などの「生物由来ゴミ」を埋めた場所には目印の杭を立てて置く。
土の状態がこれでは、本格的な植樹は来年か再来年の春以降になるかな?
下流域に栄養を届けるというクリスとの約束もあるし、植えるのは落葉樹がいいか。
パンジーやローズ達に、根腐れし難い落葉樹の選定と収集を頑張って貰おう。
抜根と平行して、西側を中心に護岸作業も進めていく。
堤防の様に壁を作るのではなく、消波ブロックの様に水中に岩を沈めていく。
この地は腐葉土層がほとんど流されてしまっているように見える。
改めて草木がしっかり根付くまでは、人の手で保護する必要がありそうだ。
それに、この岩が流れを緩めて砂や小石が堆積すれば土地が増えるかもしれない。
そうでなくとも、漁礁みたいな感じで川魚の住処にもなってくれるだろう。
見知った顔の踊り子に先導されて、北の村の住人達が『経済特区』に向かっている。
手を振ってきたのでこちらも振り返すと、村人達もこちらに会釈をしてきた。
西に向かい重そうな荷車を引く者たちと対照的に、持ち物は小さな鞄1つと軽装だ。
山賊騒ぎの時の村人達で、殆どがそのまま残ると決めたらしい。
彼らの村は川の北側で中州の外なので、急いで移住を促す必要は無い。
『経済特区』に向かっているのは住民登録をするためだろう。
他の2つの村は、当面の間はこの蝿と鼠の王国に沈む事になる。
それでなくとも、ダンジョン地上部と街道以外は基本的に森にする予定だ。
今ある村は潰す事になるし、疫病も心配なので一度『経済特区』に移って貰おう。
その後新しいダンジョンの街に移るかは個々人の判断に任せる。
こちらは残る事を選んだのは半数ほどだったようだ。
ケリヨト地方の制圧で『領域』は29万ヘクス程増えてレベルは93に上がった。
レベルは強さの目安ではあるのだが、俺の場合は相応の強さがあるとは言い難い。
今回増えた『領域』の殆どが沼地の様な荒地で魔力収入は殆ど期待できないからだ。
その上にダンジョンを人間の街として提供しないと行けないから大赤字だ。
可及的速やかにこの地の緑化を進めて魔力の供給源にしなければならない。
ここが100年前から沼地であったなら、沼地なりの生態系があったかも知れない。
しかし、ここは林業を営んでいたと言う話だし、現に切り株も多く残っている。
過度の伐採により保水力が失われ、腐葉土層が流されて粘土層が露出したのだろう。
「生物由来ゴミ」の埋設と『雑草』の力で腐葉土層を再生しなくてはならない。
新たな『領域』の西側には、北の山々から注ぐ大河が緩やかに流れている。
オッターハーチェン川と呼ばれ、上流には天使族や牛人族が住んでいるらしい。
川幅はおおよそ200メートルといったところだろうか?
伯爵領から伸びる橋は、向こう側だけ跳ね橋になっている。
『魔界』側からの侵攻を警戒したのか、それとも大型船が通る事もあるのか?
橋から南に少し離れた場所では、漁船らしき小船が川辺の斜面に引き上げられている。
きな臭い空気を感じて、漁師達も船を出しづらい状況なのだろう。
川沿いの土手には、擂り鉢の様な陶器が伏せて置いてあるのも見える。
蟹か何かを捕る為の漁具だろうか?本来は水中に置いて獲物を待つのだろう。
橋の両側は石垣で固められ、川港の荷下ろし場になっているようにも見える。
牛人族の作るチーズ等が川を使って流通してはいるらしい。
だが、上流だと川幅も水深も小さくなるだろうから船の大きさは限られるだろう。
跳ね橋が必要な大きさの船を使っているのかはちょっと分からない。
ちなみに天使族はあまり船は使わないらしい。
扱う商品が薬など重量単価の高い物や治療行為そのものなので基本的に空輸だそうだ。
自力で飛べるから、よほど重い物で無い限りは飛んだ方が早いのだろう。
こちらから見える限りでは、対岸で護岸してあるのは橋の周辺だけだ。
そして、こちら側は当然の如く港も無く、石造りの橋脚があるくらいだ。
対岸との高低差を埋める為、滑り止め付の木製のスロープが設置されている。
そこそこ厚手の板ではあるが、大きめの馬車が通るのはちょっと不安かな?
現在は関係が微妙だが、交易が出来るようになったら補強しよう。
こっちにも川港を作るかな?いや、そうすると緑地面積を削らないといけなくなる。
だが、目の前に川があるのに船荷を伯爵領経由で入れるのは効率が悪いか?
しかし、俺が優先するべきは交易の利益率より新しい『領域』での魔力収支か。
それに、船荷の交易で敵対派閥にも旨味を与えてやるのも処世術としては有りかな?
やはり当初の予定通り、護岸と緑化に注力する事にしよう。
北部と西側の護岸作業を進め、上流から流れて来る砂や泥の堆積を期待している。
加えて南部にも岩を埋設し、土台となる粘土層の流出を抑制するようにもしている。
うまくすればこの中州の面積を拡大し、『領域』の更なる拡張に繋がるかもしれない。
河の東側である限り、広がった部分に『根』を伸ばしても文句は言われないだろう。
西側を堅固に護岸すれば、川の流れが西寄りになって伯爵領を侵食してくれるかな?
いや、さすがにそのやり方ははせこいか?増水時に対岸での浸水被害も増えるだろう。
領民を苦しめるのは本意では無いし、できれば伯爵家と協調して治水を進めたい。
だが、ヘーゼルホーヘン伯爵は魔族排斥派のリーリエシュタッヘル派閥所属らしい。
これまでの交戦の経緯もあるし、共同事業はなかなか難しいだろう。
出来るのはこれ見よがしに護岸を進めて向こうの対抗心を煽り、治水事業を促す位か?
なるみ「かずきおにぃちゃん、なんかごつい馬車がこっちに向かってるよ。商人じゃなさそうだね」
街道を南の方から『経済特区』に向かう馬車が見える。
見覚えのある頑強そうな馬車は、おそらくは公爵家の軍用輸送車両だ。
特に何かが届くという話は聞いて居ないし、中身はキャシー宛の荷物かな?
一樹「特に使者って訳でも無さそうだし、放って置いて大丈夫じゃないかな?」
なるみ「そう?一応ジュリエッタさんたちに監視しといてもらうね」
一樹「そうだな、街を通っている間は一応見守ろう。キャシー邸の中までは見なくていい」
なるみ「そこは別に忍び込まなくっても見れるよ?」
一樹「堂々と入ってきたって事は隠すような物でも無いんだろう。わざわざ見る必要も無いさ」
なるみ「ふうん」
キャシー邸の基本構造は俺のダンジョンだから、見ようと思えば中は覗ける。
だが、特段の理由が無ければそういった手段は避けるべきと思う。
連絡は無かったが隠している様子でも無いし、聞けば普通に教えてくれるだろう。
後でキャシー邸に行った時に軽く質問してみよう。
さて、俺がケリヨト地方の領主で居られるのは長くて15年くらいだろうか?
その間にこの地の緑化をある程度完了させ、森を守る仕組みを完成させなければな。
まずは伐採を厳しく制限する条例を作り、領主でもそれを変更できないようにする。
これについては公爵家から無期限の命令書を出して貰う事になっている。
森をしっかりと監視し、違法伐採する者は確実かつ厳重に処罰するようにしよう。
また、ゴブリンなどのガーディアンを配置し、無断伐採する者を排除する。
勝手に樹を切った者は高い確率で傷を負い、たまに「行方不明」になる。
これにより、樹をきることに対する強い禁忌意識を醸成していきたい。
伐採権を専有する樵ギルドを作って、うちのミカエルを長に据えるのもいいかな?
俺は軽く泥を流して消毒をしてから、東側に飛んでカシたちとの試合稽古に臨んだ。
それが終わったらまた軽く汗を洗い流してカエデとサクラに会いに行く。
それからまた消毒をして、西側の開拓村の拠点に戻るというのが最近の流れだ。
メインダンジョン周辺は平和だし、カシたち鬼族も頼りになるので任せられる。
仮に何かあったとしても、メインダンジョンに瞬間移動して駆けつける事ができる。
ちなみに平時は瞬間移動を使わず、訓練を兼ねて飛行魔法で移動している。
現状で懸念材料が多いのは主に西側の『経済特区』とケリヨト地方周辺だ。
こちらには瞬間移動が使えないので、基本的にこっちの拠点に居た方がいいだろう。
一通り街の様子を見て回り、適当な店で食事を取ってから風呂に入る。
少しすると、全裸のルーデレルが勢いよく浴室の扉を開けた。
ルーデレル「待っておったぞ、一樹!」
一樹「ん?どうかしたのか?」
ルーデレル「報告の類は風呂でやるのがここの流儀と聞いてな」
一樹「いや、別にそんな流儀はない。執務室で問題ないぞ?」
ルーデレル「よいよい。郷に入っては郷に従えというしな。魔族には裸の付き合いという言葉もあるのだろう?」
一樹「まあ、それはそうなんだが・・・」
裸の付き合いは普通は同性との間で使われる言葉だよな?
異性とも無くはないが、その場合は湯浴み着やバスタオルを使う。
あれ?それって裸なのか?江戸時代までは混浴も多かったと聞くけど。
ルーデレル「よし、異議は無いようじゃな。では、このダイナマイトボディを洗う事を許してやろう」
一樹「へいへい、謹んでお受けいたします。こちらへどうぞ」
膝の上に誘うと、ルーデレルは素直にそこに座った。
俺は凹凸の少ないルーデレルの身体を洗っていく。
一樹「それで、報告ってのは何だ?」
ルーデレル「せっかちじゃのう。今はこのダイナマイトボディを堪能する時間じゃろ」
一樹「突っ込まないぞ」
ルーデレル「つまらん奴じゃ。報告というのは、まずは押収した文書の事じゃな。5年ほど前の版だが、学園の教科書があったぞ。領内の学校用の教科書を一から作るのは面倒と思っていた所だが、これを参考にすればいくらか手間が省けるじゃろ」
一樹「それは朗報だな。ぜひ進めてくれ」
ルーデレル「承知した。それ以外では学術的な書物は目ぼしい物は無かったの。小説の類がいくつか所蔵されていたくらいじゃ」
一樹「そうか。まあ、それはそれで役に立つだろう。コピーして図書館と図書カフェに置くようにしよう」
そういえば、この世界の著作権とか出版権の扱いってどうなってるんだろう?
その辺の制度はあんまり整備されてなさそうな雰囲気ではあるな。
図書カフェ開業までにその辺りの確認もしておかなければ。
ルーデレル「残りは書きかけの小説っぽいもの位じゃな」
一樹「小説か。あいつはそんな趣味もあったのか」
ルーデレル「そのようじゃな。読んでみるか?」
一樹「いや、やめておこう」
先日追放した奴なら私物の持ち出しは許したから自作の小説は残っていない筈だ。
ならば作者は奴より前の代の男爵、小説は作者死亡により永遠に未完のままか。
所詮は辺境貴族の手慰み。世に出す価値も無い駄作だろう。そうに違いない。
ルーデレル「どうした?手が止まっておるぞ」
一樹「いや、前はもう十分だな。次は背中を洗おう。向きを変えてくれ」
ルーデレル「うむ。ところで、一樹は名誉男爵になったのであったな?」
一樹「ん?ああ、そうらしいな」
ルーデレル「名誉男爵になったのであれば、王国の各分野の学会誌を取り寄せる事ができるはずじゃ」
一樹「そうなのか?」
ルーデレル「男爵位では学士論文までという制限付ではあるがの。多少は参考になるじゃろ」
一樹「微妙なラインだな。高度な研究はやはり秘匿されているわけか」
ルーデレル「それはそうじゃろ。伯爵位まで上がれば修士論文までは読めるはずじゃぞ」
一樹「伯爵か・・・王国の事はよく分からんが、簡単では無さそうだな。元より王国内での地位に興味は無いし、それは無理だろうな」
ルーデレル「欲の無い事じゃな。今までさんざん攻め込まれておるのじゃろ?いっその事、伯爵領を掠め取る位の事を考えてもよいのではないか?」
一樹「気が向いたらな。もうしばらく様子を見るさ」
原則として専守防衛でいきたいと思っている。少なくともそう思ってはいた。
だが、3度も侵攻された事に加え、諸所の事情もあって男爵領を制圧した。
これは抑止力になるのか、それとも更なる戦争の引き金になってしまうのか。
前者であって欲しいが、後者になる可能性のほうが大きいような気もする。
だが、攻撃はただ耐えてさえ居れば止むものなのだろうか?
自分や仲間達の安全を、襲撃者の気まぐれや慈悲に委ねて良いものなのか?
仮にそれで戦いが終わるとして、どれだけの苦痛と喪失を伴うのだろうか?
状況次第ではヘーゼルホーヘン伯爵領の制圧も視野に入れないといけないのか?
ローゼンヴァルト公爵は対立派閥らしいから、黙認を依頼することは可能かな?
その場合、どの程度の対価と大義名分を準備しないといけないのだろう?
伯爵家に対する示威行為だけで収まるならそれが一番だけどね。
ルーデレル「では気が向くまで待とうかの。今は他のものに夢中なようじゃしな」
一樹「ん?」
ルーデレル「そんなにわしのおしりが気に入ったか?我ながら小さくて形のよい自慢のおしりじゃ。一樹が病み付きになるのも無理はない」
一樹「あ、いや、そういうわけじゃ・・・」
考え事をしていたらちょうどお尻の所で手が止まっていたのか?
確かに程よい弾力で、石鹸と相まっていい感じの手触りではある。
ルーデレル「なんじゃ、不満なのか?あんなに熱心に揉んでおったくせに」
一樹「いや、そういう・・・まあ、そうだな。確かにかわいいお尻だ」
ルーデレル「そうでろう?気が済むまで堪能するがよい。今日はそのまま子供でも作ろうかの?」
一樹「せっかくだが今はそういう気分じゃない。十分堪能したよ。ありがとう」
ルーデレル「そうか?では本題に入ろうかの。アウラエル!」
ルーデレルの呼びかけに応え、裸のアウラエルが浴室に入って来る。
その胸には、小さな赤ん坊が抱きかかえられている。
一樹「生まれたのか」
アウラエル「はい。元気な女の子です」
一樹「よかった。けど、なぜここで?」
ルーデレル「大事な報告は風呂でする慣わしなのであろう?」
一樹「そんな慣わしはないから!」
アウラエル「それもあったのですが、首の据わらない赤子を抱くのは怖いと伺いました。それでもやはり主様に抱いて欲しいと考えたのですが、お湯の中ならば大丈夫かと思いまして。如何でしょう?」
ルーデレルの言葉にくすりと笑いながらアウラエルが説明を加える。
カエデが生んだ子を未だに抱けずにいる事は伝わっているらしい。
一樹「なるほど、やってみよう」
ルーデレル「今日のお湯は赤子に合わせてちょっと温めにしてあるから安心するといいぞ」
一樹「ああ、そういう事だったのか」
俺は石鹸を洗い流すと、ぬるま湯の湯船で赤ちゃんを受け取る。
首の据わらない部分はやはり心細いが、お湯のおかげで大分楽だな。
一樹「名前は考えてるのか?」
アウラエル「主様と相談して決めたいと思っています。フローセル、など如何でしょう」
一樹「いい響きだ。それで行こう」
アウラエル「はい。よろしくね、フローセル」
一樹「元気に育てよ、フローセル」
ルーデレル「これにて一件落着!」
一樹「いや、それなんか使い方おかしくないか?」
ルーデレル「む?そうか?それはともかく、カエデ殿もアウラエルも子を産んだ。キャシー殿の子ももうすぐ生まれる。グリシーヌの子もそのうち生まれる。そろそろルーデレルの番でもよいのではないか?」
一樹「えーと・・・?」
アウラエル「はい。主様さえよろしければ」
返答に困って視線を泳がせると、アウラエルはにこやかに答えた。
天使族の貞操観念というのもよく分からないな。
一樹「2人がそう言うのであれば今度お願いしよう。だが、子供の前では駄目だ」
ルーデレル「承知した!では、一樹よ、今度鬼族の装束を借りてくるくるしような」
一樹「いや、なんでだよ!?」
ルーデレル「そう照れずともよい。やりたい事があればいろいろ付き合うぞ?」
一樹「照れてるわけじゃないから!というか、そういう気分じゃ無くなっちゃうだろ」
ルーデレル「なんでじゃ?子作りの前の儀式ではないのか?」
アウラエル「あら、そんなものがあったのですか?」
一樹「いや、誤解だ!ちょっと大人向けの喜劇でそういう演出がたまにあるってだけだよ」
ルーデレル「ほほう!俄然やる気になったぞ!」
ルーデレルが何やら張り切って立ち上がる。
一樹「いや、やらんでいいから」
ルーデレル「むー、そうか。気が向いたなら言うのじゃぞ?いつでも協力するからな。子作りでも、伯爵領の制圧でもな」
一樹「そうか、心強いよ」
ルーデレル「そうであろう!存分に頼るがよいぞ!」
一樹「ありがとう。とりあえずは今まで通り学校の管理を頼む」
ルーデレル「うむ!任された!」
一樹「じゃあ、そろそろあがろうか」
アウラエル「はい。フローセル、いきましょうか」
伯爵領ねー、イェレナとは別の村娘が伯爵の方にも行ったんだっけ?
子供がいるなら男爵領と同じ理屈で乗っ取る事もできるんだろうか?
いや、これは僻地の男爵領だから出来た事、さすがに伯爵領じゃ無理だよな。
それに、伯爵家の男子は男爵家の男子ほど前線には出てきていないだろう。
さて、体も綺麗になった事だし、キャシーの様子も見に行こう。
いつものようにキャシーの身体に魔力を流し、健康状態を確認していく。
卯月たちが確認している筈だけど、ダブルチェックも大事だよね。
俺自身の生体操作系魔法の基礎訓練の一環でもある。
その中で、キャシーの方から昼間の馬車の件を話題に出してきた。
気の早いローゼンヴァルト公爵が子供用の玩具をいろいろ送ってきたらしい。
俺はキャシーを抱えて地下1階のウォークインクローゼットに入った。
公爵令嬢と聞いて大きめに作ったが、1/4も埋まっていない。
代わりに奥の方は子供部屋にするつもりなのか、玩具が並べてある。
丁寧に仕上げられた木製の積み木、何か絵が描かれた正12面体のサイコロ。
そして、高さ1m、幅2m以上はありそうな巨大なドールハウスとその人形達。
一樹「すごいな。というか、気が早すぎるんじゃないか?」
キャシー「そうですね。ですが、子供の成長は早いものですから、備えておくに越したことはありませんわ」
一樹「それもそうか」
ドールハウスは使用人の動きを把握するための知育玩具と聞いた事があるな。
そうすると、あのサイコロはストーリーキューブの正12面体版か?
絵本やカルタも届いているらしいし、ベビーウォーカーもある。
乳児期から英才教育を始めるつもりらしい。
一樹「そういえば、ここの間取りは家族が増える事を想定していなかったな。地下になるが、子供部屋を増やそう」
キャシー「いいえ、ここはもう十分な広さがありますわ。大きな倉庫もありますので、ここに間仕切りを置けば十分でしょう」
一樹「幼児の間はそれでいいかもしれないが、大きくなれば物も増えるだろうし、何より自分だけの空間が必要になるだろう」
キャシー「そうですわね。ですが、一樹様のご負担になるのではありませんか?」
一樹「いや、部屋を増やすのは大した事じゃ無い。内装や調度品についてはそっちに任せていいかな?」
キャシー「承知いたしました。ありがとうございます」
青少年の非行と部屋の間取りの相関関係という変わった研究を聞いた事がある。
家で個室が与えられなかった青少年は非行に走る傾向が強まるというものだ。
その一方で、貧困と非行や犯罪リスクとの相関関係はあまり見られないとも言う。
健全な子供の育成により重要なのは財力以上にプライベート空間らしい。
子供達が作る「秘密基地」もそういった欲求の表れだと言う。
また、一時期は「家族の交流」をコンセプトにした間取りが流行ったらしい。
外出の際に必ずリビングを通る構造で、家族の接触頻度をあげようと言うものだ。
しかし、これは外出を億劫にし、非行や引きこもりを増やす結果になったそうだ。
家族とはいえ、特に思春期の子供達には一定の自由とプライバシーが必要なのだろう。
ドラマやアニメで少年少女が窓から出入りする描写が散見されるのもその影響かな?
個室と併せて、家人と会わずに外に出れる経路も青少年には必要だそうだ。
そんなわけで、公営の集合住宅は小さな部屋の多い4~6LDKを中心としている。
中央に廊下があり、その両脇に小さな個室のドアや、風呂・トイレが並んでいる。
そして、突き当りの一番奥に共有空間のリビングキッチンがあるという構造だ。
小さい部屋を中心にしたのは低所得世帯でも借り易い様にする為だ。
富裕層向けに個々の部屋が大きめの物件も用意してある。
こういった構造は子供の健全な育成・非行防止以外にもいくつか目的がある。
日本でよく言われる、家にお父さんの個室が無いという問題にも対応できるだろう。
祖父母などとの多世代の同居も、少なくとも空間的な問題は起こり難くなる筈だ。
シェアハウスとか、小規模な商業組織・創作集団の事務所として使う事もできる。
鬼族の避難所はとりあえず単身向けの部屋ばかりをたくさん造った。
『経済特区』には出稼ぎ労働者が多いからこちらも単身向けの部屋が多い。
しかし、今後は大家族向けの部屋数多めのアパートを中心に造っていきたい。
小規模世帯や単身世帯が増えれば必要な家具や日用品はどんどん増えていく。
消費は拡大して経済は活発化するが、それは環境負荷や世代間隔絶とトレードオフだ。
森から魔力の供給を受けている身としては環境負荷の増大は死活問題だ。
住民の孤立も避けたいし、大人数での同居を推奨する方針で行こう。
とはいえ、少人数世帯が無い訳じゃない、子供の独立後に部屋が広すぎても嫌かな?
核家族化による孫と祖父母の世代間の断絶は避けたいが、常に同居も息苦しいか?
俺が作ったのは幅2km程度のコンパクトシティだし、部屋が別でも問題ないだろう。
2~3LDKの部屋もある程度の数は作っておく事にしよう。
さて、キャシー邸の子供部屋はどうするかな?
今から生まれてくる娘と、一緒に淑女教育を受ける事になっているアイナの部屋だ。
青少年の健全育成の為には子供部屋から直接外に出れる経路も在った方がいいらしい。
火事や賊の侵入に備えて複数の脱出経路も準備したほうがいいのだろう。
だが、脱出経路は同時に侵入経路にもなり得るから、セキュリティホールにもなるか?
キャシーは現状は除籍された身だが一応公爵家の縁者だし少なくとも富裕層には入る。
キャシーと俺の娘、そしてアイナが暮らすなら、誘拐や暗殺に対する警戒も必要だ。
子供部屋から外部へ繋がる経路には常に警備がつく事になるだろう。
となると、出入り口を増やす程に警備に必要なコストが増えていく事になる。
それに、単純に物理的な問題で多くの警備員や防衛設備を置けないという問題もある。
外への経路は、2階の執務室などの前を通らなくてよいという程度で我慢して貰うか。
外に出る場合も、おそらく基本的には使用人や警備が付き添う事になるのかな?
こっそり抜け出す事もあるだろうが、たまには敢えて見逃してみるのもいいかもな。
こちらもこっそりと護衛をつけて見守りつつ、秘密の冒険をさせてあげよう。
だが、危険もあるだろうし使用人たちを心配させて負担をかける事にもなる。
適当な時期に貴族としての自覚をさせるという必要も出てくるだろう。
王国貴族の振る舞いなど分からないし、その辺の調整はキャシーに任せるか。
俺がやるべき事はダンジョンを改装して快適で安全な子供部屋を作る事だ。
出入り口を多く作れないにしても、逃げ道は作っておきたい。
街の地下に広がるダンジョンに繋がる秘密通路を作り、シェルターを作ろう。
護衛用のゴーレムと数日分の水と食料を置いておけば問題は無いだろう。
問題はどのようにして子供達だけを通し、賊は通さないという仕組みを作るかだ。
予め登録された者だけを通す門という事なら魔力の固有波長で認証する事は出来る。
しかし、その場に居合わせた使用人や友人、来客などを見捨てて避難は出来ないよな。
開閉は登録者だけができるようにして、誰を入れるかは現場の裁量で選ばせるか。
だが、そこに裏切り者が居ればシェルターという密室で襲撃者と対峙する事になるか?
それに、隠し扉を開ける為に生体認証センサーに手を置くなら子供達が最後になる?
いや、それについてはエレベーターみたいに中に開扉延長ボタンを置けばいいか。
連れ込んだ中に裏切り者が居たり、襲撃者が滑り込んでくる可能性はどうしたらいい?
それについては隠し扉の設計でどうにかなるもんでもないかな?
そもそもの話、部屋に押し入られてから隠し扉を開くのは遅すぎるよね。
火災や襲撃があった際に、気付いたものが屋敷全体に知らせる仕組みが必要だろう。
キャシーの寝室と執務室、子供部屋、脱衣所に脱出用通路に繋がる隠し扉を作ろう。
入り口には生体認証を設置、キャシー、クリス、アイナ、そして新たな娘を登録する。
隠し通路の先はダンジョンの一画に設置するシェルターだ。
これなら正面の防衛を抜かれない限り、シェルター側から侵入される事はないはずだ。
経路は長く入り組ませ、隠し扉が作動した時はガーディアンを向かわせよう。
これでキャシー達が逃げ場を失うとしたら、開拓村が落ちる時くらいか。
待てよ?王国軍と戦う事になった場合、最初の攻撃目標は開拓村と『経済特区』だ。
開拓村とそれを支えるダンジョンが落ちればキャシー達も道連れというのはまずいな。
その時は地下鉄を使ってメインダンジョンに逃げるか、鬼族の里に保護を求めるか?
そういった選択肢も残る構造にしないといけないな。
もうしばらく検討してみるとしよう。
いったん頭を切り替えて、例の学会誌の活用法を考えてみよう。
学士論文までらしいから王国の技術レベルを計る指標として使うには頼りない。
だが、王立魔術学院の教育水準がどの程度かはいくらか推し量れるだろう。
同レベルの論文を書ける人間を育てる事が差し当たっての目標になる。
俺は農園の倉庫の地下に設置した保存食研究所に向かった。
ここではなぜか下着に白衣を羽織り、謎ゴーグルで顔を隠した女たちが働いている。
呼び集めたリーダー格の8人だけは顔を出し、普通の衣服を身に着けている。
いや、3人の少女だけはやはり下着姿だが今は気にしない事にしよう。
一樹「不確定事項だが、王国の学会誌が一部手に入る事になるかもしれん。学士論文までらしいから目新しい内容はあまり無いかもしれないが、査読と追試のチームを作りたい。準備しておいてくれ」
コバルト「承知した。わしを呼んだという事は化学分野という事でいいのじゃな?」
一樹「詳しい内容はまだこれからだが、買えるものは片っ端から買うつもりだ。それぞれの得意分野を中心に担当して貰うことになるが、それ以外も協力し合って対応して欲しい」
パンジー「承知しました。では、私は植生関連の研究が中心ですね」
デイジー「彼らの観察記録と実態の差異を確認し、場合によっては我々の認識を改めるのですね」
一樹「そうだな。それと論文の数を分野ごとに集計して、王国がどの分野の研究に力を入れているか、現在の研究レベルがどの程度なのかを探る目安にしたい」
学士論文までという制限付ではあるが、王国の研究成果を掠め取る事に多少の負い目はある。
だが、魔界に勝手に侵入して得られた動植物や鉱物のデータについては遠慮する必要はない。
それに、学会誌を得られる立場も、学会誌自体も、合法的に対価を払って得ていくものだ。
この事について王国に責められる謂れはないだろう。
ネオン「王国の学士の位置づけ次第かにゃ~。とっくに実証済みの内容を再確認してるだけの論文も多そうだしにゃ」
一樹「そうだな。だが、ひょっとしたら無名の天才が面白い論文を書いているかもしれないし、それでなくとも引用部分から上のレベルの研究内容も垣間見えるだろう。気になる記述を見つけたら、ガンガン追試して検証していってくれ」
アルミ「追試の内容にも因りますが、予算はどうなるのでしょう?」
一樹「そこは糸目を付けない、と言いたい所だが財源にも限りがあるからな。とりあえず自由裁量の予算をいくらか確保しておく。金のかかりそうな実験については個別に相談してくれ」
アルミ「承知しました」
検証内容の重要性とコストの大きさのバランスを見て判断する事になるかな。
多大なコストや時間がかかる実験には王国も慎重にならざるを得ないだろう。
だが、現代地球の知識を使えば、思い切った研究投資もできるかもしれない。
その分、俺の領の研究はより効率的に研究リソースを振り分ける事ができる。
ローズ「そうすると私の担当は農業関連の追試ですね。内容によっては結果が出るまで年単位で時間がかかりますし、天候などの影響も受けるので判断が難しくなりそうですね」
一樹「それについては苦労をかけるが申し訳ない。出来る範囲で頑張ってくれ」
ローズ「はい!がんばります!」
マーガレット「ハーブ関係も判断が難しい所がありますね。防虫殺菌効果については比較的分かりやすいのですが、人間の体や精神への影響についてはプラシーボ効果や観測者効果が出やすい部分です」
一樹「そこについてもなんとか頑張ってくれとしか言えないな。できるだけ客観的な実験結果が得られるように考えておいてくれ」
マーガレット「やってみます」
アネモネ「私の担当は動物類の生態や狩猟法ですか」
一樹「そうだな。後は魔物素材の特性や活用法についても頼む」
アネモネ「分かりました」
この研究室に居るのは今のところ全員が俺のガーディアンたちだ。
機密漏洩の心配も資金や資材の横領の心配も要らないのは気が楽でいいな。
監査は基本的に不要、それなりにまとまった金と資材を預けてもいいだろう。
後は、放って置くと不眠不休で研究を続けちゃうのが心配なくらいかな。
一樹「いずれは領内で提出された論文についても査読と追試をして貰うつもりだ。王国の学士論文と同程度かちょっと上辺りを目安として合否判定を頼む」
コバルト「厳しいのう。学府として、王国のそれより上のブランド価値を目指すというわけか」
一樹「そんな所だ。後は生徒達の興味を惹きそうな検証実験をリストアップしておいてくれ。できれば短時間で結果が確認できて、視覚的に分かりやすく、必要な設備と試料が安価で安全で、実験工程も簡単で安全なものが理想だ。とりあえず行った検証実験の一覧をつくり、今言った各項目について評価を頼む。それを元に、学習段階ごとに生徒にやらせる実験の内容を決めよう」
アルミ「承知しました。まずはフォーマットと評価基準について検討し、一覧にまとめます。ルーデレルさんに渡しておけばいいですか?」
一樹「そういう事になるかな。よろしく頼む」
アルミ「やってみます」
制限付きとはいえ学会誌が手に入るなら、領内の教育にも活用しないとな。
教えた理論を実験で確かめる事で、確かな知識として蓄積して貰う。
同時に、自分たちの仮説を検証する方法を覚えて貰うわけだ。
これでより研究をより高い次元へと進めて行く事ができるだろう。
そういえば、王国の学士ってのはどんなレベルなんだろうな?
日本は大学余りと少子化のおかげで猫も杓子も学士だったか。
だが、同時代の地球でも中学に上がれるのすら上位2割以下なんて厳しい国もあった。
同じ「学士」でも、日本のそれよりずっとハイレベルな可能性はありそうだな。
望むなら誰もが大学で学べる環境、それ自体は素晴らしい。
だが、大した学識も無い名ばかり学士を濫造するようでは困る。
学府としてのブランドイメージが低下すれば、他の卒業生まで軽く見られるだろう。
それどころか、学府としての存在価値すら疑わしくなってしまうな。
単位や卒業の合否判定はある程度厳しめにする必要があるだろう。
王国の爵位なんて煩わしいだけだと思っていたが、学会誌は思わぬ収穫だ。
あちらの研究成果を掠め取るのは気が引けるが、最先端の機密情報って程でも無い。
地球の学問だって、いろんな国の研究が交差しながら積み重なって形成されてきた。
王国だって全部自分達だけで築き上げてきた訳でも無いだろう。
少なくとも、魔界の植生研究については俺も些少ながら協力した。
学問は先人の積み重ねだから、その厚みはつまり歴史の厚みとも言えるだろう。
一から積み上げて王国に追いつくなんてのは到底できる事ではない。
学問の種、或いは苗木程度のものについては甘えさせて貰う事にしよう。
王国の学生諸君の研究の果実、この地でより大きく育ててみようじゃないか。




