第103話 食い逃げ
唐竹、袈裟、逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ・・・・
3mの乙女の裸像型ゴーレムが俺に向かって巨大な槌を幾度も振り下ろす。
俺はそれを棍棒で真っ向から受け止め、弾き返す。
以前の俺なら体重負けして吹っ飛ばされていたところだ。
しかし、足場を生やす魔法で踏ん張りがきくようになった今なら耐えられる。
直径5cmほどの棍棒も、俺の防御魔法でひびも歪みも入っていない。
一樹「うおっ!?」
右切上、いや右振り上げの一撃に俺の身体は吹っ飛ばされた。
俺の身体はボス部屋側面の矢狭間の辺りに叩き付けられる。
棍棒で受け、防御力強化もしていたのでダメージはほぼ無い。
俺は矢狭間にかけた手を離して床に下りた。
足場を作っても掬い上げるような攻撃には意味が薄いか。
これに関してはまた別の対策が必要になりそうだ。
もっとも、俺より重い相手は大抵俺より高さもある。
掬い上げるような低い攻撃はやりにくいはずだ。
油断は禁物だが、そういった事態は起こりにくいか?
そういう心理の裏を付いてでかい敵が低い攻撃を練習してる可能性もある。
だが、でかい敵が低い攻撃をやりにくい、という事実は変わらない。
なら、予備動作などを読み取って回避する練習をするべきか。
或いは、吹っ飛ばされる前提で空中から攻撃魔法で反撃するとか?
一樹「もう一度頼む。ランダムでがんがん打ち込んできてくれ」
巨大な乙女の裸像は無言のまま再び槌を振り下ろした。
様々な角度から振り下ろされる棍棒を的確に迎え撃ち、弾き飛ばす。
そして、しっかりと踏ん張る為に的確に魔法で足場を造っていく。
掬い上げるような低い攻撃に対しては回避などの対応も混ぜる。
これらを反射的に即座に対応できるように、反復練習が欠かせない。
話は変わるが「姿を売る」契約の希望者は後を絶たない状態だ。
しかし、諸所の事情からあまり契約を増やすわけにもいかない。
敢えて全身をしっかり見せてもらった上で断ると言う事もするようにした。
ちょっと酷な気もするが、これで多少は希望者も減っていくだろう。
契約を結ぶのは月に1人程度に絞ることにする。
ついでに処女限定、契約後は娼婦にはならないという条件も追加した。
建前としては踊り子のイメージを損なわないため、という理由をつけている。
本当の理由は、無理をして救済策を講じているのに娼婦になられては空しいという所か。
それに、性交渉の経験があった上で娼婦になるというのなら、相応の覚悟もあるのだろう。
なるみ「かずきおにぃちゃん、『経済特区』で食い逃げ発生だよ。相手が強すぎてシャルロッテさんたちでは対応が難しいみたい」
一樹「わかった。すぐに行く」
問題の飲食店前では、一人の少女を遠巻きにシャルロッテやエイミーたちが包囲している。
確かに強い魔力を感じるが、積極的に攻撃する様子も逃げる様子も見られない。
場所は大通りに面したオープンカフェ、巻き添えを嫌ってか通行人は遠巻きに見ている。
被疑者「我は誇り高き竜人族!弱き者より奪うような事はせぬわ!」
側頭部に角の生えた小柄な少女は朗々と声を上げた。
竜人族・・・どこぞの貴族が欲しがっているんだったか。
一樹「立派な心がけだな。しかし、飲食の代金を支払わなかったときいているぞ?」
被疑者「我は対価を払ったぞ!こそ泥呼ばわりは許さん!」
一樹「対価?金は払わなかったときいているが?」
被疑者「うむ!珍しい石をやったぞ。魔物の死体がよければ捕まえてきてやるとも言っているのに聞かんのだ」
珍しい石って、宝石のことか?或いは何かの希少な鉱物?
強い奴らしいから、魔物の件も嘘ではないのかもしれない。
テーブルの上には大量の皿と何かの結晶らしき物が載っている。
一樹「ここの料理を気に入ってくれたのはうれしいが、支払いは金でしか受け付けてないんだ。人間族にとって価値のあるものなら、その石やら魔物の素材やらを買い取る者がいる。悪いが、まずは金に換えてから店を利用してくれ」
被疑者「ふん!金など100年も持たずに価値を失うというではないか!そんなものは財産とは言えん!だが人間族はいつの時代も珍しい石を追い求めている。こっちの方がよほど信頼できよう」
一樹「なるほど、もっともな意見ではあるが、金で取引をするのがここのルールだ。この地で店を利用するならこの地のルールに従ってくれ。砦の門を通る際にそのように誓約したはずだろう?」
被疑者「そのような覚えはないな。門など通っておらん。我は空から来たからな」
空からか。
防空についてもっと強化をしないといけないな。
一樹「では次回からはきちんと門を通り、ルールを守ると誓約してもらおう。俺の領内では俺のルールに従ってもらう」
被疑者「なるほど、ここは貴様の縄張りと言うわけだな。だが、我らは己より弱き者には従わぬ。我を従わせたくばその力を見せよ!」
一樹「力による支配など秩序とは呼べんだろう。強い者も弱い者もその地のルールに従うべきだ」
被疑者「そんな物はただの理想論だな。では強き者が従わなければ誰がそれを止めるのだ?強き者こそが支配者、強き者こそが掟だ。簡潔にして明白な世界の理だ」
そういえばアウラエルも似たような事を言っていたか。
確かに、こいつを抑えて秩序を保たなければ支配者とは言えないか。
地球でも、ほぼ全ての国が軍隊と警察を持って暴力に備えているしね。
こいつが逆らう以上は戦うしかないのか?
アウラエル「ならばこの方こそがこの地の掟という事で問題ありませんね。この方に勝てるとでもお思いですか?」
被疑者「ふむ、魔族か。ちょうどいい。この縄張りを賭けて我と勝負せよ!」
一樹「ルールに従えないと言うのなら戦うしかないな。だが、賭けという割にはこちらに利がないんじゃないか?」
被疑者「貴様が勝てば臣従を誓おう。我との子作りも許す!」
一樹「子作り?」
そんな堂々と言われても反応に困るな。
被疑者「己より強き雄としか子を作らぬのが竜人族の掟だ。だが自分より強き雄が居ない場合、魔族に伴侶を求めよと言い伝えられている」
竜人族も子作りの相手に強さを第一に求めるのか。
生存戦略としては理に適ってはいるけどね。
この世界のように戦いが身近な場所ではそれが顕著になるのかな?
そして、最強の竜人族は魔族と交わってクローンを残せと言うわけか。
一樹「俺の意思は無視かよ」
被疑者「なんだ?我では不満か?魔族も人間族も強い魔獣の死体を欲しがるんだろう?我を配下にすれば大抵の魔獣の死体は手に入るぞ?珍しい石もいっぱい取ってくる!」
一樹「なるほど、それは確かに魅力だな」
被疑者「決まりだな。我が勝てばお前の縄張りは我のものだ。お前が勝てば我が臣従し、子種と引き換えに魔獣の死体と珍しい石を貢ぎ続けると約束しよう」
いや、子種とか往来で堂々と言われたくないんだけどな。
アウラエル「主様、どんな理想を掲げた所で、強き者が奪いに来れば奪われるのが現実です。ここは戦って力を示す他ありません」
一樹「そのようだな」
アウラエル「ええ。それに、竜人族は役に立ちます。あの娘の言葉を信じるなら竜人族の中でも強い個体の様子。挑む価値はあります」
一樹「俺で勝てるのか?」
アウラエル「問題ないでしょう。ただ、油断はなされぬ事ですね」
一樹「承知した」
そうは言っても女の子を殴るわけにもいかないよな?
力を示す、ってどうやったらいいんだ?
単なる乱暴者って訳でもなさそうだしな。
一樹「それで、どうやって力比べをするんだ?相撲でも取るのか?」
被疑者「スモウ?なんだそれは?戦う以外に何があるというのだ?」
一樹「ついさっき弱き者から奪う様な事はしないと言ったばかりじゃないか。ここで戦えば大勢が巻き添えになる。店も畑もその花壇だって村人達が頑張って作ったものだぞ」
被疑者「むー、わかった。お前達、その花壇の後ろまで下がっていろ!」
何をするつもりだ?
一樹「全員下がっていてくれ」
戸惑いつつも村人達が道の外へと出て行く。
少女から強い魔力の発動!だが害意は感じない。
被疑者「どうだ!防御結界を張ったぞ!これで少々暴れても心配はない」
一樹「なるほど、確かに強そうな結界だな。だが、お前の全力の攻撃に耐えられる訳ではないだろう?」
被疑者「当たり前だ。我を本気にさせられるとでも思っているのか?」
一樹「さあな?だが、この程度の結界なら俺の攻撃でも破れる。俺にも手加減しろと言うのか?」
被疑者「ならばお互いに放出系の攻撃は禁止!これでどうだ?」
一樹「分かった。出来れば足元の石畳も壊したくは無いんだが、これ以上は言うまい」
被疑者「よし!では武器を持ってくるまで待っていてやろう。その棒っ切れが役に立つとも思えんしな」
一樹「どうかな?これでも長年の相棒でね」
竜人族っていう位だから普通の女の子とは思わない方がいいんだろう。
けど、素手の女の子相手に武器を振るうのも気が引けるんだよな。
しばらくはこちらも素手で様子を見てみるとしよう。
被疑者「後悔するなよ?往くぞ!」
俺が構えるのを待ってから少女は飛び掛ってきた。
真両面から素早いダッシュからの右ストレート。
これを左手で受け止めると今度は左ストレート。
右手で受け止め、右の上段蹴りを仰け反って避ける。
被疑者「どうした!防戦一方か?」
一樹「どうも女の子を殴るのは苦手でね」
被疑者「貴様!我を愚弄するか!」
再びダッシュからの右ストレート。いや、掌底?
続く左の掌底を受け止めて互いに両手を掴みあう形になる。
被疑者「ならば押し合いならどうだ!」
背が低い分、相手の重心が低い。
その上、小さな身体からは想像も付かない怪力だ。
俺は足元に魔法で足場を作って踏ん張る。
禁じ手は放出系の攻撃、魔法自体は禁止されていない。
被疑者「妙な魔法を使う。ならばこれでどうじゃ!」
少女の腕が膨らみ、服の袖が破ける。
腕の皮膚に鱗が現れ、小さな少女から巨大な爬虫類の前足が生えた。
俺を押す力が数倍に膨れ上がる。まだなんとか耐えられる!
けど、これ骨格とか血流とかどうなってんの?
アウラエル「妙ですね。竜人族の変身は竜の形の魔力をまとっているだけで体が変形しているわけではないはずです。服が破けるはずはありません」
なるほど、そういう・・・いや、どういうこと?
被疑者「これでは埒が開かんな。確かに力は強いようだ。本気で往くぞ!武器を取るがいい!」
少女の身体が膨れ上がり、服が裂け、皮膚が変色していく。
全高5mほどだろうか?2足歩行の巨大な竜が現れた。
確かにこれは素手でどうにかなる相手じゃなさそうだ。
一樹「この体格差で放出系攻撃なしだと?」
被疑者「そちらだけ有りにしてもよいぞ?上に向けて撃てば街を傷つけることもあるまい」
一樹「いや、言ってみただけさ」
ハンデをもらって勝っても力を見せると言う意味では微妙だしね。
それに放出系攻撃なし、はこっちの言い分を聞き入れてもらった形。
それをこっちから反故にするわけにもいかない。
けど、この体格差・・・・どうすれば?
被疑者「往くぞ!」
張り手のような形で竜の右腕が突き降ろされる。
俺はそれを両手で受け止める。足元の石畳が砕けた。
左腕による横薙ぎの攻撃で俺の身体は結界に叩き付けられる。
大したダメージじゃないけど、押し合いでは勝てそうに無いな。
被疑者「どうした?まだ女は殴れないという気か?降参しないなら、次は爪で終わらせるぞ?」
アウラエル「主様、竜の体はただの魔力の塊です。先ほどご覧になった人型の本体は胸の辺りにあります。手足を引き千切ったとしても魔力をいくらか失うだけ。大した痛みも無く、彼女が怪我をするわけでもありません」
一樹「なるほど、ならば遠慮は無用か」
要するにでっかいきぐるみというわけか。
かわいくもないしかなり物騒なきぐるみだけどな。
身体が変形したように見えたのはそういう演出か。
一樹「往くぞ!」
俺は背中の棍棒を引き抜いて竜に突進する。
振り下ろされる竜の腕をサイドステップで避ける。
横薙ぎの竜の腕をジャンプで避ける。
放物線の頂点を狙った横薙・・・いや、振り下ろしか。
空中に魔法で造った足場を蹴って紙一重で避ける。
振り下ろした直後の隙を狙い、今度は俺が棍棒を振り下ろす!
木材が折れる乾いた音と、鋼が砕ける金属音が響いた。
・・・え?何が起こった?馬鹿な!?俺の棍棒が砕けただと?
素材に関しては樫の枝に鉄片を埋め込んだだけの棍棒ではある。
だが、ダンジョンの魔力で強化されたそれは元の何倍も強靭だ。
『聖騎士』トールヴートのオリハルコンの盾すら砕いたのだぞ!?
アウラエル「主様!竜人族は魔力を吸収します。余程魔力と親和性の高い素材の武器でなければ傷を負わせる事はできません」
被疑者「そういうことだ。素早さは評価するが、そんな棒っ切れでは我には掠り傷一つつけられんぞ」
一樹「くそっ!どんな武器が必要なんだ?」
アウラエル「竜人族に傷を付けられるのはオリハルコンかミスリルのみと言われています。棍棒に拘るのなら、稀に取れる霊樹の枝くらいでしょう」
霊樹の枝なんて持ってないぞ。
オリハルコンのインゴットならルシファーからもらってはいる。
だが、施しを受けたようで使う気になれず、倉庫にしまったままだ。
あれで殴りつけるくらいしかないのか?
なるみ「だいじょうぶ!かずきおにぃちゃんにはオリハルコンより魔力と親和性の高い武器があるよ」
一樹「なんだ、それは?」
なるみ「かずきおにぃちゃんの身体だよ!」
一樹「俺の身体?」
『聖騎士』の盾を砕いたのは俺の棍棒だ。
そして、それを握り支えていたのは俺の右手。
この右手も相応の強度があるということか?
なるみ「さすがに魔力を込めたオリハルコンほど硬くはならないけどね」
一樹「そんなんでドラゴンを倒せるのか?」
なるみ「だいじょうぶ!ってか、やるしかないよ」
確かにやるしかないか。
女の子に武器を向けるのは正直かなり抵抗あったし調度いい。
いや、拳を向けるのもほんとは駄目なんだけどさ。
被疑者「どうした?降参か?ならば今日から我がこの群れの主だ」
一樹「いーや、武器ならまだ残ってるさ」
思えば相手も身体一つで戦っているのだ。
空手なんて習った事もないが、やるだけやってみよう。
竜の手足は魔力で作った紛い物だという話だったな。
なら、川原の一人バーベキューでやったあれを試してみるか。
被疑者「いいだろう。武器を取りに帰るのを一度だけ待ってやる」
一樹「その必要はない。このまま行くぞ」
被疑者「来い!」
横薙ぎの攻撃をぎりぎりのジャンプで避け、その腕を踏み蹴る。
上ではなく、前の方に跳んで間合いを詰めて行く。
振り下ろしの攻撃を今度もサイドステップで避ける。
体格差で前かがみになった相手はおそらく本来より動きが鈍い。
高くジャンプすればもっと鋭い攻撃を受けることになるだろう。
一樹「せいっ!」
被疑者「がはっ!」
俺の手刀で竜の左足がちぎれ飛んだ。
竜が傷口を押さえて苦悶の声を上げる。
あれ?ここまで威力が出るとは思わなかったな。
というか、痛みはほとんど無いんじゃなかったの?
一樹「おい、大丈夫か?」
被疑者「ぐっ・・・降参じゃ」
竜の身体がみるみる縮んでいく。
現れた全裸の少女は苦しそうに左足を押さえている。
しかし、その身体には確かに傷一つ見当たらない。
というか裸!俺は急いで自分のシャツを少女にかけた。
一樹「痛むのか?アウラエル!頼む」
被疑者「心配無用じゃ」
アウラエル「なるほど、それがあなたの強さの代償と言うわけですか」
一樹「どういうことだ?」
アウラエル「心配無用です。身体に異常はありません。痛みは安静にしていればすぐに治まります」
一樹「そうなのか?」
被疑者「うむ。我が名はグリシーヌと言う。よろしく頼むぞ、我が夫よ」
一樹「一樹だ。よろしく頼む。とりあえず、治療が不要なら俺の拠点で休ませよう。アウラエル、この場は任せる」
アウラエル「承知しました」
一樹「そうだった!店主は居るか?悪いが飯代は俺宛に請求書を送っといてくれ」
アウラエル「手配しておきます」
一樹「頼んだ」
俺は苦しげな表情のグリシーヌを抱きかかえて拠点に戻る。
勝利宣言とかその辺はアウラエルの方がうまくやってくれるだろう。
なんか手加減されて勝った印象は残るけどね。
周囲を気にせず戦うなら、高威力魔法の撃ち合いになってたのかな?
それなら魔力量の差で俺、というかなるみが?勝ってたんだろうけど。
街を守りながら戦うなら近距離での戦闘力ももっと上げないとな。
グリシーヌ「左足・・・我の左足は在るか?」
一樹「ああ、大丈夫。傷一つ無いよ」
グリシーヌ「左足の感覚が無い。触ってくれ」
一樹「こうか?」
グリシーヌ「なるほど、微かに感じるな。もっと触ってくれ。爪先から付け根まで全部」
一樹「いや、付け根はどうかな?」
グリシーヌ「この身はもはや一樹のものだ。遠慮は要らぬ。それに、本当に感覚が無いのだ。頼む」
一樹「分かった」
俺はグリシーヌの左足を付け根まで優しく揉み擦って行く。
炎と思い込めば、綿を押し付けられても火傷するなんて話もあったな。
魔法のきぐるみとはいえ、左足の切断を疑似体験してしまった訳か。
愛用の棍棒を砕かれたから皮膚はもっと硬いかと思っていた。
攻撃力強化魔法を強めにかけはしたが、加減を間違えたか。
一樹「竜の身体は手足を千切っても痛みは無いんじゃなかったのか?」
グリシーヌ「他の竜人族はそうらしいな。我はまだ未熟なのだろう」
一樹「竜人族最強じゃなかったのか?」
グリシーヌ「同世代ではな。上の世代は相手をしてくれぬ」
そういえば結婚相手を決めるための力比べだったか。
歳が離れていればやる意味もないと言う事だろう。
一樹「左足の感覚はどうだ?」
グリシーヌ「だいぶ戻ってきたが、きられた辺りがまだ覚束無い。付け根の辺りを入念に頼む」
一樹「わかった。こ、この辺か?」
グリシーヌ「そうだ。ん、ちょっと心地よくなってきた」
一樹「おい」
グリシーヌ「冗談だ。頼むからもう少し続けてくれ」
一樹「からかってるんじゃないだろうな?」
グリシーヌ「どっちも本当だ。感覚がちゃんと残っている所と覚束無い所の境目なんだ。残ってる方はちょっと敏感な所だからな。一樹に触れられると心地よい」
一樹「初対面の男に言う事か?」
グリシーヌ「もう番なのだから問題あるまい」
一樹「まあいい。続けるぞ」
グリシーヌ「頼む。んっ、いい」
悩ましげな声を上げるグリシーヌを他所に俺は黙々と揉み続ける。
やがて落ち着いたのか、左足を臍の辺りまで露出したまま寝息を立て始めた。
俺はそっと毛布をかけて部屋を出る。
安静にしていれば問題ないという話だったし、もう心配は要らないだろう。
アウラエル「終わりましたか」
一樹「ああ、面倒を押し付けて済まないな」
アウラエル「いいえ、こういう時こそ私を使ってください。制圧に時間がかかったのは街の者達を気遣った為と、少女への慈悲ゆえであるとしっかりと説明しておきました」
一樹「そうか、ありがとう」
アウラエル「食事代の清算も済ませておきました。なかなかの大食のようですが、彼女が魔物を狩って来る様になればすぐに元は取れるでしょう」
一樹「その事なんだが、彼女は竜の身体でも痛みを感じるようだぞ。大丈夫なのか?」
アウラエル「それこそが彼女の強さの所以なのでしょう。ですが、龍族や魔族を相手にでもしない限り、四肢を切断されるような事はないと思いますよ」
一樹「さっきもそんな事を言っていたな。強さの代償だったか?」
アウラエル「ええ。竜人族の竜の身体は人形のようなもの、操り人形です。それゆえに本物の龍族と比べると動きがぎこちなくなりがちです。しかし、彼女は仮初の竜の身体と自分の精神を強く同調させているようですね。強く素早く動けるようになる反面、自分の身体のように痛みも感じるのでしょう」
この世界の魔法は『想像』を魔力で具現化したものだったか。
彼女は竜に変身したと思い込むことでより強くなったのか。
アウラエル「魔獣を狩らせるなら傷や痛みを伴う可能性は誰にでもあります。彼女ほど強ければ痛みを感じる事は滅多にありませんし、本体が傷を負う事はほぼありません。他の者を行かせるより遥かに安全ですよ」
グリシーヌが竜の身体を人形と思えれば痛みは無くなる。
だが、それは強さとのトレードオフ、それで強さの代償か。
魔獣を狩るなら安全性を重視して強さを取るべきか。
一樹「そうだな。それはよしとしても、変身するたびに全裸になるのは問題だな」
アウラエル「通常ですと服の上から竜の人形を纏う『想像』になるので服が破けることは無いのですけどね。そこも強さの代償という事でしょうか」
一樹「狩りの帰りが毎回全裸では困るぞ。いや、魔獣の身体を抱えてくるなら帰りは竜の姿なのか?」
アウラエル「そうですね。先ほどの言動から受けた印象からすると、小さな獲物を狙うのが得意とも思えません」
一樹「ならグリシーヌ専用の出入り口を作るか。狩った魔物の解体作業場も必要だしな」
アウラエル「ええ、それがよろしいかと存じます」
当面はダンジョン地上部の屋上で変身を解いてもらうかな?
それなら素肌を余り人目に晒される事無くダンジョンに入り込める。
メインダンジョンなら60m四方程あるし、大抵の魔獣は乗るだろう。
解体はアネモネたちに頑張ってもらおう。
これでようやく魔獣狩りの素材収集要員が確保できたかな?
俺やガーディアンたちは基本的に『領域』内でしか活動できない。
『領域』内だけでは魔獣の数も種類も限りがあった。
痛みがあるのは気がかりではあるが、そのリスクは誰でも同じ事。
アウラエルの言う通り、傷を負うリスクがほぼ無い分安全と言える。
グリシーヌには『領域』外での素材収集を頑張ってもらうとしよう。




