真説 にっちもさっちも
「ちんぷんかんぷん」とか、
「のっぴきならない」とか、
慣用句の語源が気になったことありませんか?
気になった言葉の語源を、勝手に考えてみたこの作品、
事実とは全く異なりますので、どうかご注意のほど。
とある山奥に、ニッチとサッチという兄弟が住んでいた。
とても仲のよい兄弟で、どこへ行くにも一緒だった。
ニッチとサッチには年老いた母親がいたが、
ある日のこと、その母親が悪い鬼にさらわれてしまった。
「兄さん、一大事だ。すぐに助けに行こう」
「まあ待て。おれたちは鬼の居場所を知らない。まずそれをつきとめるのだ」
そこで二人は森の中に入り、鬼の噂を訊いてまわった。
ふくろうが居場所を知っていた。
「その鬼なら、ここからずうっとずうっとずうっとどこまでもどこまでも南へ行った所の、
いんでいあという国に住んでいるということだ」
いんでいあという国は、とてつもなく遠いところにあった。
「兄さん、いんでいあは遠すぎる。
おれたちが鬼を見つける前に、おっ母あは食べられてしまうよ」
サッチがそういうと、ニッチはにっこりと笑った。
「大丈夫だ。おれたちにはこの腕と、この長い髪の毛がある」
そう言い終わらないうちに、ニッチは、サッチの腰まで伸びた髪の毛をムンズとつかみ、
サッチを空中高く投げ飛ばした。
投げる時に手を離さなかったので、ニッチはサッチと一緒に空に舞い上がった。
ニッチとサッチはどこまでも飛んでいった。
あっというまに海が見え、その向こうの陸が見えてきた。
ひろいひろい草原に降り立つと、二人は、そこにいたツノジカの群れに尋ねた。
「ここは、いんでいあか」
するとツノジカたちは口々に答えた。
「ちがう、ちがう」
「ここは、いんでいあじゃない」
「いんでいあに行くのか」
「いんでいあは遠いぞ」
「ここは、チャイという国だ」
「いんでいあは、ここからもっともっと
ずうっとずうっと南へ行ったところにある」
「遠い国だ」
「おれたちの足で、七日七晩かかる」
「いや、大丈夫だ」
ニッチは、ツノジカたちに笑いかけた。
「おれたちにはこの腕と、この長い髪の毛がある」
そう言い終わらないうちに、ニッチは、
またサッチの髪の毛をひっつかみ、力一杯ぶん投げた。
やはり手を離さなかったので、ニッチもつられて空に舞い上がった。
ニッチとサッチは、南に向かってぐんぐんと飛んでいった。
また海が見えた。
しばらくすると大きな陸地が見えてきた。
二人が着地すると、そこはジャングルだった。
「ここは、いんでいあか」
サッチが、木の上の鸚鵡に向かって怒鳴った。
「いんでいあなら私も行ったことがある。
非常に遠い国であった。
どれくらい遠いかというと、私の羽で十日間、
私の弟分であるセグロカナリヤの小さな羽だと
ひと月は優にかかるというほどの遠さであった」
鸚鵡は、早口でまくし立てた。
「いんでいあという国には太陽と川とミルクがある。
また数々の香料があり、四方に良い香りが漂っている。
なぜかというと死者をとむらうためだ。
死者はこの良い香りにのって、
かの地、ぱらいっそへと旅立ってゆくのである」
「いんでいあは、どっちだ」
サッチが尋ねると、鸚鵡は首を右にひょこりと傾けた。
「南だ。
どこまでもどこまでも南だ。
言っておくが遠いぞ。
並大抵の距離ではない。
なにしろこのわたしの羽で十日間もかかるのだからな。
お前たちは見たところ羽も持たぬ体をしているのに、
そんなに遠くまでどうやって行くつもりなのだ」
サッチはにっこりと笑った。
「大丈夫だ。おれたちにはこの腕と、この長い髪の毛がある」
そう言い終わらないうちに、
サッチはニッチの髪の毛をひっつかみ、空におもいきり放り投げた。
やはり手を離さなかったので、サッチもつられて空に舞い上がった。
それを見ていた鸚鵡が目を丸くしてつぶやいた。
「そんな無茶な」
二人はどんどんと飛んでいった。
それはものすごい速さだった。
三つの海を越え、四つの陸地を通り過ぎた。
二人が降り立ったところは、砂漠だった。
「ここは、いんでいあか」
二人は、地面から首を出した砂ネズミに問いかけた。
「いんでいあに行きたいの?」
砂ネズミは二人に問い返した。
「そうだ」
ニッチが答えると、砂ネズミはクックッと笑った。
「いんでいあなら、ここだよ」
砂ネズミは、二人を順番に見た。
「だけど、ミルクを探しに来たんなら、ここにはないよ。
ミルクは、鬼たちが全部持っていってしまったからね」
ニッチとサッチは、顔を見合わせた。
「おれたちは、その鬼を探しているのだ」
「鬼は、どこにいる」
二人が問うと、砂ネズミは指を下に向けた。
「砂の中さ。
鬼たちは、地面の下に住んでいるんだ。
地面の下の、そのまた下の、ずっとずうっと下だよ。
言っとくけど遠いよ。
おいらが掘っても、丸一年かかるくらいだ」
二人は、もう一度顔を見合わせ、それから砂ネズミに、にっこりと笑いかけた。
「大丈夫。おれたちにはこの腕と、この長い髪の毛がある」
そう言い終わらないうちに、ニッチとサッチはお互いの髪の毛を固く結びつけた。
ニッチがえいと首をふりまわすと、
サッチは空をくるくると回った。
ニッチが、サッチをそのまま地面にたたきつけると、
サッチは地面を思い切りなぐった。
地面が、音を立ててへこんだ。
ものすごい轟音とともに、二人は地の底に潜っていった。
砂ネズミは、驚いて砂の中に逃げようとしたが、
逃げる前に砂が逃げてゆくので、しかたなく一緒に落ちていった。
二人は、順番に地面をなぐった。
どんどんと地の底に潜っていった。
それはものすごい速さだった。
どれくらい来た頃か、ぼこり、という音がして、地面がなくなった。
二人が外に出ると、上と下が入れ替わっていた。
砂ネズミが、目を白黒させながら、地面から這い出してきた。
「ここはどこだ」
サッチの問いに、砂ネズミが答えた。
「ここは、はーですという国だよ」
「ここに、鬼がいるのか」
結んだ髪をほどきながら、ニッチが尋ねた。
「ここにいるよ。でも、どこにいるのかは知らない」
砂ネズミは、また、砂の中に潜りこんだ。
「仲間がいるはずだ。そいつらが知ってる。呼んでくるよ」
しばらくすると、砂ネズミは、仲間のネズミをつれて戻ってきた。
それは白いハツカネズミで、不思議なことに、金色の目をしていた。
ハツカネズミは、二人に向かって言った。
「わたしが、鬼のいるところまで御案内しましょう」
ニッチとサッチと砂ネズミは、ハツカネズミの後を歩いていった。
歩きながら、二人があたりを見渡すと、
そこいらじゅうに大きな木が生えていて、
桃の実のような果実がたくさんなっていた。
桃の実は、不思議な甘い香りがしていた。
「それは生命の実です。一つ食べれば千年生きられます」
ハツカネズミが説明した。
「ただし、その実を食べたものは、
長い寿命を得る代わりに、
持っていた知恵をすべて捨てなければなりません。
つまり、その実を食べると、白痴になってしまうのです」
二人のそばに、見知らぬ男が近寄ってきた。
男は、足元をふらつかせながら、瞳孔の開いた目で、二人を見つめた。
「これは、はーですの住民です。
生命の実を食べると、このようになります」
ハツカネズミがそのように説明すると、男が声を発した。
「私がはーですの住民だと?
そんなこと誰が決めたんだ」
男は怒っているようだった。
ニッチとサッチを交互に睨みつけながら、早口で喋り始めた。
「そもそも私がはーですに住んでいるという証拠でもあるのか。
お前たちは私が誰なのか知っているのか。
生命の実だと。
私がそれを食ったという証拠がどこにある。
私が白痴だと。
私のどこが白痴だ。
私はこんなにくっきりと喋っているではないか。
お前たちの言う事は油断だらけだ。
大体はーですとは何だ。
それは国の名か。
誰が決めたのだ。
誰でもよい。
その名を決めたのは人間であろう。
人間であればいつかは死ぬ。
人間が死ぬのだから名前だっていつかは死ぬのだ。
そうとも。
百年後にはこの国には別の名前がついているかもしれないではないか。
だからはーですなどという名は無意味なのだ。
お前たちは、すぐにそうやって何にでも名前をつけて区別したがるが、
これほど愚かで無意味なことは他にない。
名前か。
名前があるから国と国が分かれ、色の区別ができ、貧富の差が生まれ、
階級が生まれ、不満が生まれ、憎しみが生まれ、殺しあいが生まれ、
戦争が起きる。
名前があるから賢いものと愚かなものが生まれる。
名前があるから鳥は鳥でしかなく、樹木は樹木でしかない。
『石』と呼ばれれば、
石はそれ以上にでしゃばったことはできなくなってしまう。
どうだ、可哀相ではないか」
ニッチは、男のいっていることが、何がなんだかさっぱり分からなかった。
それで、相手にするのをやめることにした。
サッチは、砂ネズミに尋ねた。
「この男は、一体なにを言っているのだ」
砂ネズミは大きくかぶりを振った。
「おいらにだって分かんないよ。そんなこと」
ハツカネズミが説明した。
「この男はなにも言っていません。
なにか言葉を発しているようで、
その言葉は実は意味をなしていません。
一つ一つが空虚で、実体がないのです。
すなわち、この男は知恵を持たない白痴に他ならないのです」
すると男は、大きく目を見開いた。
「き、貴様たちのような馬鹿に、
私の言っていることが分かってたまるものか」
サッチは、男を無視して、ハツカネズミに話しかけた。
「おれはなんだか腹が立ってきた。この男を殺していいか」
「ええ、構いません」
ハツカネズミが答えると、男は悲鳴をあげた。
「ひい」
男は後ろを向き、すごい勢いで走り去った。
何か叫んでいるようだったが、意味の分からないことばかりだった。
「さあ、先を急ぎましょう」
ニッチとサッチと砂ネズミは、ハツカネズミの後を歩いていった。
しばらく歩くうちに、川にたどり着いた。
海のように大きな川で、向こう岸が見えなかった。
水は薄い琥珀色をしていた。
ゆったりとした流れとともに、小さな波が絶え間なく河岸に打ち寄せている。
河岸には、まがまがしい形をした石が無数に転がっている。
「ここは、ステュクスの河原です」
ハツカネズミが説明した。
「この川を越えたところに、鬼の一族が住んでいます。
非常に凶暴なやつらで、私の母もこれの犠牲になりました」
ハツカネズミは、一度下を向くと、屹と顔をあげ、サッチの顔をにらみつけた。
「兄さん、急ごう」
サッチはたまらずに言った。
「まあ待て、まず、この川を渡らなければならない」
ニッチは辺りを見回した。
川沿いの彼方に渡し舟があり、渡し守が座っていた。
二人は渡し守に近寄った。
「川を渡りたいのだが」
渡し守は、二人の顔を交互に、じろじろと眺めまわした。
「川を渡ったものは、すべて鬼に殺された。
鬼たちは、いんでいあという国から、この、はーですにやってきた。
鬼たちは、悪虐の限りを尽くし、
この国から、大切な物をすべて奪って、
あの川の向こうに、住むようになったのだ」
渡し守は、生気のない顔を二人に向け、淡々と話した。
「おれたちは、その鬼を捕まえにきたのだ」
「おれたちの母親も、鬼に囚われているのだ」
「おれたちは、母親を取り戻しに行くのだ」
ニッチとサッチは、口々にいった。
「無茶なことだ。この川を渡るだけ、無駄なことだ」
渡し守はゆっくりと首を横に振った。
「鬼に見つからないうちに、はやいとこ立ち去るがよい」
渡し守はそういって、うつむいてしまった。
「それでも、おれたちは行くのだ」
ニッチとサッチは、二人で顔を見合わせ、うなずきあった。
渡し守が見守る中、ニッチとサッチは、また、お互いの髪の毛を結びつけた。
えいという気合いとともに、ニッチが首を振り回した。
それにつられてサッチが空に舞い上がった。
ニッチもつられて空に舞い上がった。
二人は、くるくるとまわりながら、川を渡って行った。
渡し守と、ハツカネズミと、砂ネズミが、
その様子を茫然と眺めてつぶやいた。
「そんな無茶な」
二人は、くるくるとまわりながら、川の上空を飛び続けた。
非常に大きな川で、なかなか向こう岸が見えなかった。
ずいぶん長い時間、まわり続けたと思える頃、ようやく向こう岸が見えてきた。
ニッチとサッチは、河岸に着地した。
二人が見上げると、はるか彼方に、ぽつんと城のようなものが見える。
あれが、鬼の住処にちがいない。
そう確信した二人は、急いで髪の結び目を解き、全速力で走り始めた。
その城は、砂漠の真ん中に立っていた。
二人は、砂を蹴飛ばしながら、すごい勢いで走っていった。
城の中では、何者かが、巨大な砂埃をあげながら、
こちらに向かってくるので、鬼たちが大騒ぎをしていた。
「あれはなんだ」
「あれはなんだ」
「ものすごいものが近づいてくる」
「きっと、おれたちを、やっつけにきたにちがいない」
「どうする」
「むかえうつか」
「返り討ちにしてやる」
「だが、ものすごく強い奴だったらどうするのだ」
鬼たちはざわめいた。
「逃げよう」
「いや、待て」
ある鬼がいった。
「人間に化ければいいのだ」
「人間にか」
「そうだ、綺麗な女たちに化けて、だましてやるのだ」
「そうか、酒を飲まし、油断したところを、やっつけてやるのだ」
「それはいい」
「そうしよう」
鬼たちはそのような策略を巡らし、たちまち女の姿に変身した。
それとも知らぬ二人は、すごい勢いで城に到着し、
城門を、力を込めてがんがんと叩いた。
城門がゆっくりと開き、綺麗な女が、
しずしずと出てきたので、二人は戸惑った。
「なにか、ご用でございましょうか」
しおらしく、女がそう尋ねたので、
ニッチとサッチは、耳の先まで真っ赤になって、必死に言葉を探した。
「あの」
「あの鬼が」
「いえ鬼を」
「あの探して」
「いるのですが」
「母が」
「鬼に」
「連れさられ」
「誘拐されて」
「今にも食われ」
「いやその」
女がくすくすと笑ったので、二人はまた、顔を赤くした。
「鬼、などというものは、この城の中にはおりませんが、
さぞお疲れでございましょう。
どうぞ中にお入りになって、ごゆっくりおくつろぎください」
ニッチとサッチは顔を見合わせた。
「どうする」
「鬼が、いないのだから、ここにはもう用はないな」
「ゆっくりしているひまもないし」
「早々に、引き上げるか」
二人は、女に向きなおった。
「せっかくのお誘いなのですが」
「あいにく、先を急いでおりますので」
「そうですか、それは残念ですわ」
「では」といって立ち去ろうとしたニッチが、もう一度、女のほうに目をやった。
その時、ニッチの鼻に、かすかに不思議な香りが匂った。
それは、ミルクの香りだった。
次の瞬間、ニッチは、女の顔を、思い切り殴りつけていた。
ぐしゃ、という音がして、女が城門に激突し、くずおれた。
「兄さん、なんてことするんだ」
サッチがあわてて、女に駆け寄ろうとした。
「待て、その女をよく見てみろ」
サッチが、その女に目をやると、
顔を伏せた女が、ゆっくりと起き上がってきた。
サッチは、おもわず呻き声をあげた。
ニッチの殴りつけた女の顔面が、まぎれもない、
鬼のそれに変わっていたからである。
「だましたな」
サッチが、怒り狂って、鬼に殴りかかろうとすると、
鬼はすばやく、城門の中に逃げ込んだ。
二人がその後を追うと、数百匹の鬼が、中に待ちかまえていた。
二人は、大声で叫んだ。
「おれたちの母親はどこにいる」
鬼たちはいった。
「知っていても教えるものか」
「それならば、力ずくで聞き出すが、よいか」
ニッチとサッチがそういうと、鬼たちは笑いながら、
「面白い。やれるものならやってみろ」
といい、二人に、一斉に襲いかかってきた。
「兄さん、どうする」
サッチが尋ねると、ニッチは、にやりと笑った。
「大丈夫だ。おれたちにはこの腕と、この長い髪の毛がある」
そういうと、ニッチは、サッチの長い髪の毛をしっかりとつかみ、
サッチをぐるぐると振り回して、
鬼の方に向かって、おもいきり放り投げていた。
投げる時に手を離したので、サッチは一人で、すごい勢いで飛んでいった。
サッチは、飛んでいった勢いで、鬼たちに体当たりをした。
数十匹の鬼が巻き添えをくって、一斉にぶったおれた。
ニッチは鬼たちに駆け寄り、襲いかかってきた鬼の一匹を、
その腕で、思い切り殴った。
その鬼がふっ飛び、後ろにいた鬼にぶつかると、
その二匹が一緒にふっ飛び、その後ろの鬼にぶつかった。
すると、その三匹が一緒にふっ飛び、さらにその後ろの鬼にぶつかった。
そのようにして、最後には、数十匹の鬼が一緒にふっ飛んだ。
こうして、あっというまに、ニッチとサッチは、鬼たちを退治してしまった。
ニッチは、まだ、呻き声をあげている鬼に近寄り、
首根っこをひっ捕まえて、無理やり立たせた。
「いたい痛い、乱暴をするな」
「おれたちの母親はどこにいる」
二人が訊くと、鬼は激しく首を横に振った。
「そんなものは、ここにはいない」
「うそをつけ」
ニッチが、腕に力を込めると、鬼の首がメリメリと音を立てた。
鬼がたまらずに泣き出した。
「いたい痛い。分かった、分かった、教えるから、離してくれ。死んでしまう」
ニッチが手を離すと、鬼はどさりと、地面にうずくまった。
「おまえたちの母親は、生命の実を食った。
生命の実を食って、白痴になってしまったので、
おれたちは彼女を、ぱらいっそへ送り込むことにしたのだ」
「その、ぱらいっそという国はどこにある」
ニッチがいうと、鬼は地面を見下ろした。
「上の方だ。
どこまでもどこまでも上の方だ。
おまえたちの住んでいる世界よりも、
もっともっとずうっと上の方だ」
鬼は顔を上げ、二人をにらみつけた。
「だからおまえたちは地面を掘れ。
地面を掘っていんでいあに戻り、
そこからさらに空へ、上の方へと、果てしなく昇っていくのだ。
そうすれば、いつかはぱらいっそが見える」
鬼はそういうと、不意に、にやりと笑った。
「ただし、いっておくが遠いぞ。
おれたちが、彼女をぱらいっそへやったのは三日ほど前だが、
それは、ぱらいっそから来る不思議な雲に乗せてやったのだ。
それに乗ると、
どんなに遠い所でも一瞬のうちにつれていってくれるという伝説の雲だ。
その雲に乗らなければ、
とてもではないがぱらいっそにはたどり着けないだろう。
普通の人間であれば、まず、
行くのに十年はかかるほどの遠さなのだからな」
「いや、大丈夫だ」
二人はそういって、にっこりと笑った。
「おれたちにはこの腕と、この長い髪の毛がある」
そう言い終わらないうちに、
ニッチとサッチは、お互いの髪の毛を強く結びつけた。
ニッチが、城の床をおもいきり殴った。
ものすごい音をたてて、城が、まっぷたつに割れてしまった。
続いてサッチが地面を殴ると、地面には大きなおおきな穴が開いた。
鬼はあわてて、その場から逃げようとしたが、
地面がどんどんと落ちてゆくので、仕方なく、一緒に落ちていった。
ニッチとサッチは、交互に地面を殴った。
大きな穴がどんどんと、地面の下に潜っていった。
鬼の城と一緒に、二人は落ちていった。
それはすごい速さだった。
二人は、満身の力を込めて、地面を殴り続けたので、
少しも経たないうちに、地面を突き抜けてしまい、
そのまま、いんでいあに飛び出した。
いんでいあの動物たちは、砂漠の真ん中から、
急に大きな城が、二つに割れて飛び出してきたので、たいそう驚いた。
ニッチとサッチは空中に飛び出すと、
まずニッチが首を振り回し、サッチを上空へ投げ上げた。
その勢いで少し飛んだあと、今度はサッチが、ニッチを投げ上げた。
そのようにして、二人はどんどんと昇っていった。
速さを増しながら昇っていったので、
やがて二人のからだから煙が噴き出してきた。
空の上では、イヌワシが獲物をさがして優雅に飛んでいたが、
下の方から、なにかものすごい勢いで近づいてくるものがいるので、
こわくなって、死んだふりをした。
そのすぐ横を、ニッチとサッチが、弾丸のような速さで突き抜けた。
あおりをくらったイヌワシは、きりきり舞いをしながら、地面に落ちていった。
いんでいあでは、割れた城の中から、鬼が這い出してきた。
鬼は目を白黒させ、しきりに首を振りながら、
空の上のほうをじっと見つめ、次のように呟いた。
「そんな無茶な」
二人はどんどんと昇っていった。
雲を突き抜けた。
雲をいくつも突き抜けたので、たちまち地面が見えなくなった。
空が暗くなり、星がたくさん見えるようになった。
二人はまだ昇りつづけた。
二人は満身の力を込めて、お互いを投げ上げた。
二人のからだからは煙が噴き出していたが、やがてそれは炎に変わった。
二人はすごい速度で昇っていった。
空は、ますます暗くなっていったが、
だいぶ昇りつづけたと思われる頃、
やがて、徐々に空が明るくなってきた。
それと同時に、静かな音楽が流れてきた。
二人がさらに少し昇っていくと、
はるかな上空に、ぽつんと、なにかの建物のようなものが見えた。
あれが、ぱらいっそに違いない。
そう確信した二人は、さらに昇る速度を上げた。
あっというまに、ぱらいっその入り口にたどり着いた。
二人は、ぱらいっその門を、がんがんと力を込めて叩いた。
「だれかいるか」
すると、ぱらいっその門がしずしずと開き、
中から、白い服を着た子供が出てきた。
「なにか、ご用ですか」
「母親を探しているのだ」
「この、ぱらいっそにいると聞いて、やってきたのだが」
二人がそういうと、その子供は、少し考えたような素振りを見せ、
「どうぞ、お入りください」
といった。
「あなた方の探しておられる方というのは、
わたしには少し、心当たりがあります」
子供はそういって、二人に背を向けた。
「こちらです。どうぞいらしてください」
ぱらいっその門をくぐると、中は一面の花畑だった。
色とりどりの花々が咲き乱れていた。
美しさとかぐわしい匂いに陶然となりながら、
二人は子供の後についていった。
少し歩いたところに、花で埋めつくされた小高い丘があった。
丘の頂上に、白い円柱が何本か立っており、
その中心から、強い光が放たれていた。
子供は、その、丘の上の円柱に向かって歩いていた。
「あの光はなんだろう」
ニッチの問いに、サッチは首を振った。
「分からないが、なにかとても、なつかしいような感じがするな」
一行はすぐに、丘の上に到着した。
巨大な円柱の中心は、まばゆいばかりに光輝いており、
二人が目を凝らしても、中になにがあるのかは分からなかった。
子供が、光の中心に向かって話しかけた。
「お客様でございます」
すると、この世のものとも思われないような美しい声色が、
光の中心から聞こえた。
「そこにいるのは、ニッチに、サッチね」
「おっ母あ」
二人は叫んだ。
光の中心から、そのものが、ゆっくりと姿を現した。
確かに、その中にいるのは、ニッチとサッチの母親だった。
「探したぞ。おっ母あ」
「さあ、家に帰ろう」
二人は母親に駆け寄ろうとした。
しかしどうしたことか、自分たちの母親の、あまりの神々しさに、
二人の膝が、がくがくと震え出してしまった。
彼女の背から、目を開けていられないほどの強い光が、
絶え間なく放たれているので、
二人は目を伏せ、膝を曲げて、その場にへたりこんだ。
「私は、おまえたちの母親だった女ですが、
今はもう、おまえたちの母親に戻ることはできません」
彼女はおごそかにそういって、二人の顔を見た。
「わけを話しましょう」
ニッチとサッチは、その場にひざまずいた姿勢で、
ピクリとも動けなくなってしまっていた。
二人は、呆然と彼女を眺めた。
「私は、鬼たちに連れ去られた後、
おまえたちも行った、あのはーですに行き、
そこで、生命の木の実を食べて、白痴になったのです。
そしてその後、鬼たちの手によって、ぱらいっそへと連れてこられました。
白痴になった私は、花畑の中をさまよい歩いていました。
そして偶然、そこになっていた、知恵の木の実を食べました。
それは、五千年に一度だけ実をつけるという、伝説の木の実だったのです」
彼女は言葉を切り、二人から目を逸らした。
「生命の実と、知恵の実を、両方食べたものは、
永久の命と、賢者の知恵を持つ、
すなわち『神』に生まれ変わるのです」
彼女は再び、二人に目をやった。
「私は、神になりました。
そういうわけで私は、おまえたちの元に帰ることはできないのです」
ニッチとサッチは、たいそう驚いた。
ニッチが、彼女におそるおそる尋ねた。
「元に戻る方法は、もう、ないのですか」
彼女は、ゆっくりと首を横に振り、
「元に戻るには、もう一度、知恵の実を食べるしかありません」
「それならば、私がその知恵の実を探してきましょう」
ニッチがそういうと、彼女はまた、首を横に振った。
「知恵の実はもう、どこにもないのです」
「しかし、私たちには、この腕と、この長い髪の毛が」
「ニッチや」
彼女は、ニッチの言葉をさえぎった。
「いくら、おまえたちが頑張ってみたところで、
こればかりはどうしようもありません。
知恵の実はもう、どこにもないのです。
おそらくは、私の命が尽きて、この世からなくなるまで、
知恵の実は一つも育たないでしょう。
そして、私の命が尽きる頃には、
おまえたちはとうに、この世を去っているでしょう」
ニッチとサッチは、信じられない、という顔つきで、
母親の話を聴いていた。
そして、本当にもう打つ手がない、と悟ると、
おいおいと声を上げて泣き出した。
「私は神になったのですから、
たとえ、おまえたちと共に帰ることはできなくても、
おまえたちのことは、いつでも見守っていることができます。
だから、おまえたちには、何の心配もいらないのです。
さあ、安心して、自分たちの家へお帰りなさい」
ニッチとサッチの母親である『神』が、二人にそのようにいうと、
二人は膝立ちのまま抱きあった。
そしてさらに激しく、わんわんと泣きわめいた。
「なんと情けないことだ」
「どうしようもないとはね」
「どうしようもないとはな」
「打つ手がないとはね」
「方法がないということは、とても哀しいことだ」
「どうにかならないかい」
「どうにもならないな」
「切ないね、兄さん」
「ああ、切ないことだ」
「この気持ちを、どうやって言い表せばいいんだろう」
唐突に、二人の足元に犬が一匹やってきた。
ずんぐりとした小型の犬で、とげのついた首輪をしており、
つぶれたような顔をしていた。
それはブルドッグだった。
ブルドッグは、泣きそうな顔をして、二人を見上げた。
次の瞬間、二人のまわりを、不思議な空気が包んだ。
二人はなにかを期待されているらしかった。
だれによって期待されているのかは、よく分からなかった。
だが、ニッチとサッチはその期待の意味を、すべて理解した。
それは、往年の、あるキャッチ・フレーズだった。
二人は、顔を、みるみる朱に染めていった。怒っていた。
二人は、決然として立ち上がり、こちらを向いた。
「おれたちは、
そのようないやらしい期待に応えるほど馬鹿ではないし、
低俗でもないのだ」
二人は、涙をふきながら、そう叫んだ。
そして、彼らの母親に向きなおり、にっこりと笑った。
「おっ母あ、では、達者でな」
ニッチとサッチは、こうして、ぱらいっそを後にした。
彼女は、去って行く二人の様子を、目を細めて眺めていた。
その足元では、ブルドッグが悲しそうに、欠伸を繰り返していた。
くだらなくて本当にすみませんでした(陳謝)
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=mkRve4QM81s