第14話 眠れぬ夜のカモマイル
魔法大国シュトラ城。
夕方に宮廷魔導師たちの勤めが終わると、その王城の門は日没とともに閉ざされる。
ただし。
城に仕える者の中には、城内の寮ではなく城下に家を持つ者もいる――というよりも。
宮廷魔導師のなかでも、新しい魔導技術の研究開発を担う【玄武班】なんかは真夜中過ぎまで城内で論文を書いたり、実験場に籠ったりしていたりする。
事務処理を担う【青龍班】も、レミィの紅茶による強化で事務処理能力が格段に上がる前はやっぱり残業はあった……というか、班長の【鋼鉄の魔導師】ダムが「残業こそマジメさの証」という考えなので、それはもう。
王族とシュトラ城の警護にあたる【朱雀班】はそもそも3交代制の24時間勤務であるからして、深夜に人の出入りもある。
例外は――国境警備を担う【白虎班】くらいだろうか。
宮廷魔導師たち以外にも、住み込みではない下働きの女官たちや警備兵たちは多くいる。
けれども、その誰もかれもが自分の業務が終われば、彼らのスウィートホームへと一目散に帰っていく。
城内の寮に住み込みで働いているものも、消灯時間を超えれば城内へ立ち入ることは禁じられている。
つまりは。
王城の門が閉ざされてしまえば、シュトラ城からは住み込みの召使たち当直の宮廷魔導師と警備の兵士以外は姿を消すのだ。
城内には、夜勤の職員と警護の兵士――そしてシュトラ城に暮らす王族たちのみ、というわけだ。
――だから。
シュトラ王国第一王女、ステラ・ミラ・エスタシオは驚いた。
ほんとうに、ほんとうに驚いたのだ。
「や、どうもこんばんは」
「れ、レミィ⁉」
【紅茶の魔女】、レミィ・プルルスが彼女の寝室にいたことに。
大きなベッドの布団のなかに、カイロを入れてくれた侍女が下がってからはステラの部屋を訪れる者はいない。
次に人に会うのは、ステラ付きのメイドたちが朝の支度を手伝いに来てくれる時刻のはずだ。
「レミィ、どうしてここに?」
「ふっふっふー。毎日朝っぱらから突然の訪問を受けている私の気持ちがわかりましたか?」
「あ……わ……」
部屋の入り口でにっこりと微笑むレミィの手には、ティーポットとティーカップが握られていた。
いつも朝のお茶会のときに使っているティーセットよりもラフな……城下視察のときに使ったブリキのカップのような形状の大きなカップ。
たしか、マグという名前だっただろうか。
「いや、実は後輩が今日、はじめて宮廷魔導師として国王陛下に【子守唄】をお聞かせする日でしてね」
「……ああ、お父様の」
「昼間にはそうとはわからないように演じていらっしゃいますが……ずいぶんお加減が悪そうでしたね」
「お父様に、お会いしたのね」
「えぇ。ディル君……例の後輩君がひとりで行くのが不安だって言ってたんでね。夜に召しあがるのにピッタリの薬草茶がありましたので、そちらも召し上がっていただこうかと」
「そう……レミィの紅茶なら安心ね」
「ええ。ディル君の歌のおかげで、陛下はぐっすりお休みになっていますよ。ただ――」
レミィは先ほど献上した2杯の薬草茶のことを思い出す。
あれは――安眠効果のあるカモマイルをベースにした……城下視察の際にステラに飲ませた、毒見のお茶。
毒を摂取した者には甘く、そうでないものには渋くて仕方なく感じるレミィ特製の紅茶。
「陛下は、甘いお茶はお嫌いでしたね。【紅茶の魔女】としたことが、お口直しとスミレの花びらの砂糖漬けを差し上げてしまい、失礼をしてしまいました」
スミレには解毒作用がある。
花びらの砂糖漬けだけではなく、2杯目のお茶はスミレの根っこや葉っぱを煎じたものだ。
漢方薬の類である。
(しっかし、陛下の体調を脅かすことで、ステラ王女の縁談を急がせようとする人間……で、シュトラ城のなかで自由に動いて毒を仕込める存在かぁ)
犯人を考えるのは今じゃなくていい……ただ、その事実に思い当たった瞬間にステラの顔が浮かんだ。
今宵急に彼女に毒牙がかかるとも思わないけれど、それでもステラのことが心配だった。
そうして――きちんと自分のことを話しておこうと、思ったのだ。
「ここ、座っても?」
「もちろんよ! なんだか、こうして夜に会うのは新鮮ね……まるで、お友達みたい」
ころころ笑うステラの隣、レミィはベッドに腰かける。
マグに満たしたカモマイルのお茶にスミレの花びらの砂糖漬けをひとひら浮かして、そっとステラに差し出した。
「それで、よろしければステラ王女殿下にも安眠のお茶を、と思ったわけですが」
「ありがとう、いただくわ」
ぬるめに淹れたカモマイルのお茶をこくりと飲んで、ステラはほぅ……っと溜息をつく。
レミィはその様子を横目で見ながら、自分のマグにも口をつける。
「……ステラ姫。あなた、私のことをずいぶん慕ってくださってますけどね」
「……ん?」
気に入ったのか、ステラがほとんど飲み干してしまったマグを受け取って、そっと小さな王女殿下をベッドに横たわらせる。
自分も半身を倒して、まるでおとぎ話を語り聞かせる姉のようにレミィはステラに囁いた。
「陛下の……お父上のご体調のこともあって、王女殿下はご婚約のお話に抗わないんですね」
事情は、わかりました。
ゆっくりと、レミィは語る。
ならば、父王の毒は解きましょう。病ならば散らしましょう。
そうして――ステラの身を狙った者も、望まぬ結婚を企てる者も、みんな自分が倒しましょう。
けれど。
「慕ってくれるのは、実は悪い気はしませんよ。……でもね、私は、あなたが思っているほどちゃんとした人間じゃあないんですよ。この手も、それなりに汚れてる。このシュトラ城に来たのも、まあ……そんな私でもまともに平和に生きられるんじゃないかって、そう思ったんです。戦乱の世が終わったんだとしたら、ね」
窓から差し込む月の光に、枕に散ったステラの銀色の髪が照らされる。
すぅすぅと安らかな寝息をたてるステラは、おそらくレミィの言葉は聞いていなかっただろう。
彼女の年頃のときの自分は、戦場の岩に枕して、血で固まった軍服を貴重な飲み水で洗いながら過ごしていた。
ステラのような平和の申し子に、自分の過去が知られたならば――きっと、自分はここにはいられない。
「おやすみなさい、ステラ」
レミィはそっと、ステラのやわらかい頬にキスを落とす。
今だけは国家を背負う王女殿下ではなく、ひとりの少女として――どうか彼女の子供時代が終わりませんように。
そんな願いを込めたキス。
――さて。
決戦の日は近い。
レミィはマグを2つ持って、王女の部屋をあとにした。
もちろん、きちんと鍵を――紅茶を鍵穴に流し込んで凍らせてかけることも忘れずに。




