肆拾伍
楽間の都の朝。
「ねえねえ凪!」
「ぐー…すー…」
「なーぎー!」
布団の中でうずくまる凪を、奴瞰はしきりに揺すっている。
「なー」
「んー…」
凪の手が、奴瞰の頭を割と強めに叩く。
「あ…あたしは目覚まし時計じゃ無いよ!ー?
「ん…あと五分だけ…」
「それ五分前にも聞いた!」
凪の被っている布団を引き剥がし投げ飛ばす。
「うわ…」
「おはようございまーす!」
◇
「あら〜?お二人さん、朝早くからお出掛け〜?」
寝巻き姿のまま店先の掃除をしている廻恵理に、奴瞰と凪は呼び止められる。
先に答えたのは奴瞰だ。
「うん!海外旅行に行くの!」
「海外旅行〜?」
廻恵凛は少し斜め上を剥き何かを考えると、廻恵凛にしては実に素早い動きで店の中に入って行き、少しして、普段着の桃色の浴衣を着た廻恵理が出て来る。
「私も〜付いてって良いかな?」
「うん!」
凪はまだ眠気が覚めず、終始ぼんやりと宙を眺めているだけだった。
◇
「がー…ぐがー…」
奴瞰一行は、道端で泥酔している水叉を見付ける。
二十四徹二十五連勤明けで、昨晩はかなり呑んだたしい。
「あらあら〜こんなとこで寝てちゃ〜危ないね〜」
「うーん…」
奴瞰は無い頭で考えると、唐突に廻恵理を物理的に持ち上げる。
「ん〜!?」
「よい…しょ!」
泥酔する水叉に、廻恵理を物理的にぶつける。
「うわあ!?」
当然水叉は飛び起きるが、廻恵理の下敷きになって動けない。
「奴瞰…何やってんの…?」
「えっと、自分でのし掛かるよりはおねーさんの方が良いかなーって。」
「…ちょっとこっち来なさい。」
しばらくもがき続け、水叉はやっとの思いで廻恵理の下から脱出する。
「な…なな何…な…な何事ですか!?」
「水叉はん。道端で寝てとうたら〜危ないよ〜?」
「は…はあ…」
◇
楽真の都を出た一行は、とある場所を目指して平原を歩いている。
「あああ…ああの、何で自分まで?」
「お出掛けするのは〜奴瞰ちゃんと凪ちゃんの二人だから〜保護者も二人居た方が良いかな〜って。」
凪と奴瞰は昨日、バドリアなる国に行ってみようと言う計画を、眠り際にぼんやりざっくりと立てた。
凪は、奴瞰がただ寝ぼけているだけだと思って軽く付き合っていたが、奴瞰は割と本気だった。
「ん〜、それで奴瞰ちゃん。その…ばどりあ〜ゆうのはどんくらい先なんかな?」
「えっと、月千の都のすぐ近くだど!」
「?それなら〜陰陽世界を経由すればすぐな気が〜」
「雰囲気って大事でしょ!」
「ま〜散歩にしては少し遠いと思うけどね〜海渡らんといけんし〜」
水叉はその会話を聞き、ふと不穏な物を感じ取る。
◇
「方角からして〜ここを直進やね〜」
廻恵理は、少々シケ気味の海の向こうを指差してそう言う。
一行は、元々ラクリマジカの物、今は使われていない港に辿り着いていた。
「けけ結構遠そうっすね。ただ、たまには運動も…」
と、水叉の前に奴瞰と廻恵理が立ちふさがる。
「水叉はん。」
「水叉さん!」
「……」
水叉は靴を脱いで裸足になり、廻恵理はおぶり奴瞰は抱えて、海の上に足をつける。
「な…凪さん…ああ…貴女は…?」
「大丈夫です。」
凪も裸足になり、海の上をピチャリピチャリと小走りで駆ける。
「私も出来ます。」
「そ…それは有難い…」
「疲れたら言ってください。奴瞰だったら持てます。」
◇
「ひい…ひい…骨が…悲鳴を上げてる気が…そろそろ…限界が…」
「水叉さんってどれくらい生きているんですか?」
「…彼氏居ない歴と同じ…十一世紀です…」
「ならきっと大丈夫です。」
水叉の腕の中で、奴瞰が手足をパタパタと軽く動かす。
「もっと早く速くー!」
〜
「んく…ふわあああ…おはようねーちゃん。…ねーちゃん?」
寝ぼけ眼を擦りながら、愛衣凛が寝室から降りてくるが、そこに姉の姿は無かった。
代わりに、机の上に一枚の紙切れが置いてある。
「“ちょっと買い出しに行ってくる。多分今夜までには戻るから、うちがお土産買い忘れない様に祈ってて。”…はぁ?また?」
廻恵理はいつも朝が早い故に、愛衣凛が起きる頃にはどこかに消えていると言う事が多々ある。
「はー…店番また一人かー…」
本店は紙の式神達に任せきりで、アルバイトである亜亥が出勤して来るのは昼前になってからだ。
愛衣凛はニスも塗られていない木製のデスクにつき、古びたレジの置いてある机に足をかけ、手で頭を支えるようにしてもたれかかる。
相当な事が無い限り、どうせ客など一週間に一人も来ない。
妖怪向けの薬局など、そんなものだ。
(…ふわぁ…二度寝でもしよっかな…)
“カランコロン”
「?」
店の入り口のドアに取り付けられたベルが、素朴な音色を奏でる。
愛衣凛は慌てて体制を整え、営業スマイルの方法を朧げな記憶から思い出す。
「い…いらっしゃいま…」
愛衣凛の鼻を、独特な近代薬品臭が漂う。
こんな臭気を漂わせる存在は、少なくとも愛衣凛は一人しか知らない。
「いらっしゃいませ!京我様!」
「…店にはお前だけか…」
身体中に包帯を巻き、体のあちこちに接続されている点滴10つを周囲に浮遊させた京我が、よろよろと入店して来た。
幼女の姿をしており、指でそっと触れただけで死んでしまいそうな雰囲気だ。
「今日はどう行ったものをお探しで…」
「…抗鬱剤…睡眠剤…鎮痛剤…それと薬液の予備だ…」
「た、只今ご用意致します!」
愛衣凛は反射的に敬礼をすると、大慌てで店の奥にすっ飛んで行った。
(えっと、確か京我様関連のお薬は…あ。)
京我関連の医療器具は全て廻恵理が管理しており、愛衣凛はよく知らない。
「…あのバカ巨乳…!」
家神の中でも、京我は気難しい事で評判だ。
彼女を怒らせた場合、最悪愛衣凛自身が溶かされて薬液にされかねない。
(嫌だー!そんな変な死に方やだー!)
肝心な時に限って居ない姉を恨みつつ、愛衣凛は店の倉庫中を必死に漁る。
お世辞にも整頓されているとは言えない状態故に、捜索は困難を極めた。
「うーんと…確かねーちゃんが京我様に会った時は…」
廊下に行って、二つ目の扉から別な廊下に進んで、そこから裏庭に降りる階段に来て、そして、
「まさか…此処!?」
裏庭へと出る建てつけの悪いドアの横、他の荷物と一緒になって無造作に置いていた。
“京我様用”とマジックで書かれた、鍵の壊れた金庫を開け、注文の品を小脇に抱える。
「大変お待たせ致しました!」
「…ああ…待ったよ…」
京我の体は、少し痙攣を始めて居た。
外の空気を長く浴び過ぎた上に、熱を持ち過ぎたのだ。
「こちら、ご注文の品でございます!」
「…ああ。」
京我は、アルコールの匂いがする貨幣と紙幣を適当に床にばら撒くと、弱々しい足取りで店を後にしようとする。
「ぐっふ…」
扉を開けようと力を込めた京我は、その反動で内臓を痛め倒れこむ。
「京我様!」
「…おい…頼みがある…大至急転移術を組んでくれないか…」
「かしこまりました!」
家神の中で、唯一生きた体を持つ京我。
少女の体のままで既に二千年近く生きており、その肉体は既に限界を超えて居た。
「…京我様。そう言えば、どうして貴女は生きた体にこだわって…」
「無駄口を叩く暇があるのなら…急げ!」
「は…はい!」
式神の体に乗り換えて仕舞えば、恐らく京我は今抱えている全ての苦痛から解放される。
がしかし、それで京我は自身が母より受けた体を、手放そうとはしなかった。
本当にこの体が死んでしまうまでは、どんな手を使おうとも、生物として生き延びるつもりだった。
「…おい…まだか…」
「ねーちゃんがいればもっと早いのになぁ…もうちょっとです! 」




