肆拾肆
「そうだ、身体…特に、腕の調子はどう?永瑠畀。」
百年の時を経ても、エルピと富季は共に居た。
「うん。昔からあったみたいに、自由に動くよ。」
赤い長髪に赤い猫耳。あどけなさの残るも何処か大人びた顔立ち。エルピのかつての冒険者服を意識した、長袖ミニスカートの、鯉のあしらわれた薄赤色の着物。その体は、本人の希望で十七歳程の容姿を持っていた。
数日前に天寿を全うしようとしていたエルピだったが、彼女は自ら式神の体を望んだ。
朽ちる事も老いる事も無き、半永久の体を。
「そう。なら、良かった。」
「娑雪さんって、本当に凄い方なんだね。」
紙切れすらも式神に…“神”に仕立て上げる程の力。この世界では、決してあり得ない程の力。
永瑠畀はその力を、自らの身で体感したのだ。
富季と永瑠畀は、しばしの間楽真の都に建てられた展望台の上で街並みを眺めながら、その尻尾を互いに絡め合っていた。
〜
「ええ!?コミケ無くなっちゃったの!?」
奴瞰は水の貼る地面をパシャパシャと手のひらで叩きながら、あろうことか家神である京我に向かって駄々を捏ねていた。
「分かったらもう出てけ。そして百年待って来年開催されるのを祈るんだな。…貴様の熱で気分が悪くなる…」
「やーだーやーだーやーだー!うーすーいーほーんー欲ーしーいーいーいー!」
「駄々を捏ねるな!本なんてお前の家にいくらでもあるだろう!」
「全部最低でも四回は読み返しちゃったー!」
「はあ…文句なら疫病に言え。わしは知らん。」
「うわーん!」
〜
「そりゃ奴瞰はいい奴だけど、でももう少し落ち着いて欲しいって言うか…なんて言うか…」
百年に一度奴瞰が京我にコミケのラノベをせびる為に、奴瞰と凪が離れ離れになる日。
「ふうん。貴方達双子は、いつも仲よさそうですけど…」
凪と阨無は楽真の都にあるとある洋食屋で話し込んでいた。
「双子?…ああ、よく間違えられるんですけど、私と奴瞰は双子じゃありません。」
「え?」
「私達は、元々は一対の狛犬でした。そっくりに作られたと言うだけで、岩も違えば年代も少し違います。」
「ええ!?」
「まあ、別に双子って言われても何の差し支えもありませんけどね。」
阨無はコーヒーカップを手に持ったまま、不思議そうに開け凪を見つめている。
「不思議な関係なんですのね、貴女たち。」
〜
「………」
崩壊を始める大悪魔城の中で、娑雪は大悪魔の玉座の上でくつろいでいた。
娑雪は、ラクリマジカに次いで魔界も掌握してしまったのだ。
眠たそうに瞼で半目を隠し、玉座の間を飛び回る一枚の式神を目で追っていた。
何かを騒いでいるようにも見えるが、あいにく紙の式神の発声器官は無い。
『さ…娑雪か!頼む…このうるさ…うわああ!?』
『らーのーべーらーのーべー!』
「ふ…すまぬ。私も今手が離せぬ。」
娑婆は一つ微笑むと、通信用の式神をそっと空に解き放つ。
(引きこもりの京我には、たまには良い刺激じゃろう。)
魔界への移住希望者は、ラクリマジカに比べれば少なかったが、開拓が進めばそのうちまた騒がしくなるだろう。
「チーフ。今よろしいでしょうか。」
「む、九硝か。」
魔王の間跡地に入ってきた九硝。
その姿はぴたりとした戦闘服では無く、紫蘇色の袴を見に纏っていた。
「………」
「?」
九硝は何も言わずにツカツカと娑雪の元に早足で歩いていき、唐突に娑雪の太腿に頭を乗せ、だらりと寝転がってしまった。
「…ふう…」
娑雪は何も言わずに、九硝の頭をポンポンと撫でる。
九硝が式神として生まれてから始まった、娑雪と九硝だけの秘密の時間だ。
「…母上様…」
「ふ、主は私を母と呼ぶか。何だかくすぐったいのう。」
〜
「え〜と〜、その〜トルピスシア・ルーゴエンプティスジー…」
「ジッドで良いぜ。」
智滇廻の寺子屋で、二人の人物が会談を行なっている。
朽ちる事なき永劫の肉体を持つ青年ジッドと、そんな理想的な助手を見つけた智滇廻による契約商談だ。
「では〜ジッドさん〜あなたは〜お金さえあればどんな危険なお仕事でもこなしてくれるんですね〜」
「おう。俺の居る世界が終わるその日まで、俺は死なねえ。何処で体が滅びようが、絶対安全な場所で再生する。必ずな。」
「便利ですね〜。では〜今日からわたしのパートナーになってくれても宜しいでしょうか〜」
「パートナー?不死じゃなきゃ駄目って、お前見た目に似合わずどんだけ激しいプレイすんだよ…」
「ち…違いますよ〜!仕事仲間ですよ〜!主に外回りをして欲しいのです〜!」
「外回りだ?」
「はい〜。先ずは〜私の研究をお伝えしますね〜」
智滇廻の研究。それは、娑雪の身に起こった特異現象“異世界転移”の原理の解明だ。
何らかのきっかけがトリガーとなり、魂の潜在能力の解放か、はたまた何者かによる外部干渉によって、意識や記憶、又は肉体そのものが別世界へと移動するという、奇跡。
彼女はその全容を解明し、自由自在に異世界を移動できる手段を開発しようとして居た。
「ほお。で、俺が異世界回ってその転生者って奴を探せば良いんだな?」
「はい〜。報酬は〜言い値で結構ですので〜。」
「おう。天界探索よりゃずっと面白そう…ん?」
ふと、ジッドは悪魔との契約内容を思い返す。
自らが居る世界が終わった場合に失効する、不死不滅と言う契約。
「……」
異世界への自在移動が可能になった場合はどうなるのだろうか。
あくまでも契約は、ジッドが存在する世界。生まれた世界とは言って居ない。
「ジットさ〜ん?どうかしました〜?」
「あ?ああ、何でもねえ。」
智滇廻の研究と、自らの契約が足し合わさった瞬間、ジッドは真の不滅を得る。
彼女の研究は、ジッドにとっても、多大な利益を齎す物であった。
〜
「痛…いたたたたた!」
「我慢してね〜。あなたの体は、まだ“本当に生きて”いるんだから〜ね〜。」
腫れ上がった翼に、姉に軟膏を塗られながら、愛衣凛は布団の上でのたうちまわって居た。
「うぎゃああああ!」
「ああごめんね〜。バイトちゃん、痛み止め無い〜?」
「ええっと、ある事にはあるんですが…妖怪用です…」
「ん〜行っちゃおっか〜。」
廻恵理は亜亥から、グロテスクな色をしたキノコが浸された薬瓶を受け取ると、瓶を開け、若干紫がかった液体をスプーンですくい、愛衣凛の口元に運ぶ。
「ほ〜ら愛衣凛〜、あーんして〜」
「な…それって、確かしゅ…」
愛衣凛が口を開けたタイミングを見計らい、廻恵理はスプーンをその妹の口に突っ込んだ。
「…あの、店長さん、それ、水で薄めて使うんじゃ…」
「へぇ?」
愛衣凛はピタリと大人しくなり、心肺停止した。
「あれ〜、大変だぁね〜」
「愛衣凛さーーーーん!」
「ほぁ、どうしようかね〜、取り敢えずしんぞーまっさーじゆうの試しましょうか〜」
「店長さん!そこ心臓じゃなくてお腹です!あーもう…」
亜亥の背後に五芒星の陣と、墨汁で書かれたような『雷』の字が浮かび上がる。
と、亜亥の指先から、ピシャリピシャリと稲光が迸り始める。
「とりゃー!」
亜亥は、10本全ての指を愛衣凛の心臓の辺りにあてる。
羽虫の様な、高圧電流の音が鳴り響き、パシャッと言う音と共に亜亥の指は閃光を放つ。
「…ブッハ!?」
愛衣凛は、先程飲んだ紫色の液体を吐き出すと、そのまますうすうと寝息を立て始めた。
「ぜえ…ぜえ…て…店長さん…」
「ほんまにありがとうね〜。ん〜、やっぱり、お薬の使い方くらい付属しておこうか〜ね〜。」
「貴女…それでも医者ですか…?」
「医者と薬師は別物〜よ〜」




