参拾捌
娑雪の“不本意な長旅”からの帰還から数日。
彼女の一日の時間の大半は、月千の都の見回りや、どんちゃん騒ぎで倒壊した建物の修復に当てられていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。」
「輕陀よ、凪の様子はどうじゃ?」
「現在はほぼ回復し、今は安せ…」
廊下を歩く二人の目の前で壁が破壊され、塊の様なものが転げ出てきた。
「付きっ切りでお看病してあげたの誰だと思ってるのー凪ー!」
「だからって、クッキーの生地全部盗み食いして良い理由には…ならないー!」
取っ組み合いの喧嘩をしている凪と奴瞰だった。
「…止めますか?ご主人様…」
「いや、この程度では、そう簡単には壊れんじゃろ。」
凪の身体にも梵字の描かれたテープがそこかしこに巻き付けられており、図らずとも奴瞰とお揃いの格好になっていた。
本来ならその上から上着か何かを羽織っている筈だが、上着はどこかに行ってしまっていた。
「…行こうぞ。」
「かしこまりました。」
巻き込まれたく無い一心で、二人は凪と奴瞰の傍を通り過ぎて行った。
(色々と魔改造されてはいるが)仏教僧の身に付ける様な法衣を纏う娑雪と、それ専門の喫茶店にでも居そうな出で立ちの輕陀が並び歩く様は、何者から見ても不自然な物だった。
「あ、それとは別件で、ご主人様を攫った、ラクリマジカとやらに、貴女様の書状が到着した模様です。」
「うむ、ご苦労。」
「書状を送る際、道中巨大なタコのようなものが襲いかかり、已む無く討伐したと、詩泊から報告が。」
「タコ?…それ、喰えるかの?」
「さあ。智滇廻の要望で、死体は冷凍保存して回収済みとありましたが。」
「ふむ、ゲソの一本ほど貰って試してみるかの…」
比較的真面目くさった口調でそんな事を話す娑雪。
輕陀は喉まで出かかった、クスリと言う笑い声を嚙み潰し、彼女の傍を黙って着いていった。
そんな輕陀の様子を娑雪は、クスリと軽く笑った。
〜
「はあ…何だって言うんだよ…」
円卓の下でしきりに貧乏揺すりを繰り返す、一人の痩せ型の男。
髪はオイルか何かでセットされた長髪で、大きな丸眼鏡と、眼鏡越しに見える、大きくぎょろりと丸い目玉が、見る者に不気味と言う印象を植え付ける顔立ちをしていた。
彼の名前はエリノージ。
ラクリマジカ外交顧問にして、先のダンジョン攻略作戦を立案した張本人であった。
再び開かれた緊急会議。
彼は定まらない覚悟の中、会議の五分前にやっと到着したのだ。
「多数決で決めたじゃんか…どうせ俺が全責任押し付けられて除名じゃんか…これ…」
彼の頭は、高速貧乏揺すりに連動するかの様に目まぐるしく思考を回転させている。
退職後は何処に流れようかとか、損害賠償はどの程度になるだろうかとか。
(落ち着け…いいか、昨日徹夜で作ったこいつを使えば、逮捕だけは回避できる筈だ。ああ、この国が議会制で良かったよ本当…)
彼が震える手で握っていたのは、しわくちゃになったメモ用紙だった。
件の会議の記録などから、自分の正当性を主張する為の資料だ。
ラクリマジカの国家形態は独特であった。
れっきとした王族や国王が存在した。
がしかし、実際に政治を行うのは、顧問部と呼ばれる有力な議員達と、定期的に開かれる彼らによる議会だった。
「うむ、少し早いが全員揃ったようなので、少々前倒しして始めるとしよう。」
エリノージは、頭にすら響きそうな程の音を立てながら唾を呑む。
最高とは行かなくても、現状で再現できる完璧な戦力ををかき集めて、それでいてダンジョンに敗れた。
そこまでならばまだ、“伝説級ダンジョンをどうにかしなければ”だけで済む筈だった。
がしかし、実際は蜂の巣を突いた様に次々と問題が飛来しては、ラクリマジカを虐めて来たのだ。
戦力の大部分を攻略に当てたが為に、国家の守りが手薄となり、そこに運悪くドラゴンの襲来。
更に攻略隊が決死の覚悟で捕獲した魔物が脱走し、学者や役人などの多数の死傷者を出し、さらに王城の一部を損壊させた挙句の闘争。
おまけに、付近にグロリアスの物と思われる不審船がいくつも確認されており、近々大規模な衝突も予想される。
(…クソ、全部あのダンジョンが悪いんだ!俺は何にもしてねえよ!)
自暴自棄になりながら、何かが吹っ切れたかの様にどっしりと構えたエリノージ。
しかし議長の第一声は、予想外の物であった。
「これより、山岳ダンジョンから送られた、書状を読み上げる。」
エリノージを含む、事情を知らぬ顧問官達の心が珍しく合致した。
(((はあ!?)))
モンスター。
魔力を持ち、なおかつ基本的に人間側種族に敵対的な生物の総称である。
基本的に意思疎通は出来ず、一部の獣系モンスターが飼い慣す事が出来る以外は、ただの打ち倒すべき敵である。
稀に人語を解する者は居るが、敵陣にわざわざ書状を送りつけるなんて事はしない。
「『我、異なる日に育まれ、違える月に抱かれし者。霞微な哀れな志違いに、我が都、再三侵されたり。我が子苦たもうと。二度と気液たらさぬ様、以て、貴方ら都、一度侵せたり。以て、根な断たり。』」
「....」
顧問官たちに、様々な疑念が生まれる。
何故人語どころか、モンスターが人文字すらも把握しているのか。
どう言う経緯で議会の手に渡ったのか。
「要するに、”今度はそっちを攻略するからよろしく“ってか....?」
明らかに、文色が既存の人の言葉からは逸脱している。
が、単語単語の意味を紐解けば、大まかな内容は理解可能であった。
その後、議会はかつて無いまでに紛糾した。
〜
陰陽世界の昼下がり、街の至る所に張り出された紙は、式神や妖怪の注目の的となっていた。
「んー?」
大正時代の趣が感じられる、背の高い屋敷の立ち並ぶ街道の一角。
そこにある、商店街の店先に貼られた紙にも人集り、否、式神と妖怪集りが生まれていた。
薬草や怪しげな色のキノコ類などが詰まった大きなバスケットを両手に持った、背の低い十才程の少女の式神。
上半身らピンク色の袴を身につけ、下半身同じ生地で出来たかなり短目のミニスカートだ。白く長い靴下に、高めの黒下駄を履いていた。
金色の髪留めがチャラチャラと揺れる、薄桃色の短髪で、同じく薄ピンク色の、星屑の散った様な大きな瞳も持っていた。
「ねーねー、何の騒ぎ?」
「おお愛衣凛か。こいつを見てくれ。娑雪様が、また何かを始めるらしい。」
眉を潜めながら、愛衣凛は自分よりかなり高い位置にあるその張り紙を読もうと、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「『異世界に...移住者募集...第二回...』」
簡単な文章を全て読み切った愛衣凛は、その場に立ち尽くす。
式神は、外的要因さえなければ不死である。
故に式神と言うのは、長い間同じ場所に暮らしていれば居るだけ、自らの生活に変化を求める物だ。
「お...おおお!」
彼女はバスケットから薬草が溢れ落ちる事も厭わずに、街道を全速力で抜け、山道を駆け、我が家に辿り着いた。
山の中にひっそりと佇む、小綺麗な屋敷が、彼女達の住処だ。
「ねーちゃん!ねーちゃん!」
愛衣凛は家に着くなり、バスケットを中身ごと廊下に放り投げ、真っ直ぐ二階の一室に向かった。
木扉を跳ね上げ、障子越しの薄明かりに照らされた、若干盛り上がる布団にダイブする。
「うーん...もうちょっと....」
「ねーちゃん、おーきーてー!」
愛衣凛は、声がした場所から若干下にある、最も盛り上がった部分を豪快に揉み始めた。
「わきゃ!分かった分かったから!降参するから!堪忍してな〜...く....くすぐった...きゃ!?」
布団の中に潜む者は起き上がり、愛衣凛を打ち上げ放り投げた。
布団から現れたのは、愛衣凛と同じ様な薄桃色の、長髪と瞳を持った女性の式神だ。
二十歳中盤の、少しませた様な雰囲気と、締まるべき所が締まり、張り出すべき所が張り出した、高スタイルな身体が特徴的だ。
白い寝巻きに身を包んでいたが、胸の辺りの布が、くしゃくしゃに見出されていた。
「ちょっと〜何事なん〜?」
彼女の名前は、廻恵理。
愛衣凛と共に、普段はこの屋敷で妖怪相手に薬などを売りながら、面白おかしく暮らしていた。
「ねーちゃん!またあれやるってさ!」
「あれ?あれって〜...」
布団の隅に置いてあった片渕眼鏡を掛け、愛衣凛の突きつけた張り紙を読む。
「別荘が当たるんけ〜?」
「そうだよそうだよ!しかも、前より定員が増えてるよ!今度こそは、異世界行けるかもよ!」
「んー、土地を手に入れるのに、向こうに出向かんと如何の〜?お店、どないしよか〜」
「この間入ったバイトちゃん居るでしょ?あの子、異世界に興味無さそうだし、ねーちゃんより百倍は働き者だから多分大丈夫!」
「し...心外や〜」
「ほらほら、早く行こうよ!また先越されちゃ元も子も無いからさ!」
彼女達は、以前にも一度、後の月千の都に別荘を構えようとした事がある。
しかし、その倍率は異常な程高く、特段地位も無かった二人は、逢えなく落選してしまっていた。
「分かったから分かったから〜引っ張らんといて〜」
〜
「何?ラクリマジカへの戦力支援?」
その日バドリアギルドに、一つの特別クエストが舞い込んだ。
近々進行するであろうグロリアス騎士団から、ラクリマジカを防衛する為の戦力を募集しているらしかった。
これはバドリアの冒険者にとっては、実に不自然な事だった。
まずラクリマジカには、グロリアス騎士団を退けるのに充分な軍事力も冒険者も抱えているはず。
仮に何らかの事情で最高戦力が出せなくとも、こんな形で他国に仮を作るよりは、神話級冒険者の一人や二人を雇うだけで良かったはずだ。
ダリアも神妙な面持ちで、高くも安くも無い報奨金の刻まれた羊皮紙に目を通していた。
(ラクリマジカの顧問官共は、一体何考えてるんだ?)
ラクリマジカ国王直々の、山岳ダンジョン攻略要請は、国王含めたごく限られた人物しか知らないトップシークレットだった。
「成る程。恩を返せと言う訳か。」
バドリア国王は、速達で届いた救援要請を片手にポツリと呟いた。
国王自身は、山岳ダンジョンがラクリマジカによって攻略済みの物だと思っている。
(はあ...我々を本格的に従国にするつもりか。)
バドリア国王は、半ばこの国の事は色々と諦めてしまっていた。
国の立場と引き換えに、伝説級ダンジョンと言う国土そのものに対する脅威を排除出来たので有れば安い物だ。
「どれだけの冒険者が受注しそうた?」
「は、主に中級冒険者が目を付け、二百人程だと思われます。更に遠征隊長に、ダリアが立候補しております。」
「ふむ、やはり彼奴は頼りになるな。奴を隊長とし、追加報酬も用意しておけ。」
「は。」




