参拾伍
「敵意を向けちゃダメだ!」
「みんな!奴に剣を向けるな!」
先のダンジョン攻略戦の生き残りたちと、テオの必死な呼びかけによって、次第に兵士たちは状況を飲み込んでいった。
「ひい…く…来るなら来なさい!あたしは最後まで、戦って…」
敵意の連鎖は、広間の中心に堂々立つ女騎士で、終止符が打たれようとしていた。
彼女を守ろうとする様な事は、誰もしなかった。つまりは、自分が代わりに死ぬことになるのだから。
獣のターゲットは、ある一定の条件下で変更される。
元の対象の敵意が消失するのと、新たに敵意を持つ別の物が邪魔をしに来る。この二つがそろえば、獣は新たな敵の捕捉を開始する。
“……”
獣はその鋭い爪で、女騎士をあちこちから一本づつで攻撃していく。
まるで弄ぶように、まるで急所を探っているかのように。
「はあ…はあ……お父様…」
気高い女騎士の物とは思えないほどの、か細く弱々しいつぶやきをぽつりと吐いた。
(これで良いんだ。もう、誰も死なずに済む。最後の一人で、全部終わる…これでいい、筈なんだ…)
「はあ…うぐ…きゃあ!?」
女騎士は戦うが、獣の片腕が振り上げられていた。
引き裂くつもりだ。
(…事前に周知していれば…いや、そもそも得体のしれない魔物を捕まえてきた派兵隊の落ち度だ。何故僕が…心を…)
テオは無意識のうちに、近くに落ちていた瓦礫のかけらを拾い上げ、獣に向けてぶつけていた。
“……”
「お前の相手はこっちだ!とっととこっち…」
次の瞬間、獣の爪が三本、それぞれテオの胸、胴、そして両足を串刺しにするように貫いた。
その、瞬間移動さながらの速度は、その様子を見ていた全ての者達に、目の前の存在の本当の脅威を知らしめられた。
「がはっ!?」
獣はテオが倒れるのを見ると、その場でそっと動きを止めた。
「はあ…はあ…全く、また書き加えなきゃいけないな…」
テオは、失血によるめまいを抑えながら、手帳に再びペンを走らせた。
もはや書いている文字は自分では良く見えないが、その文字はまるで新聞の様な整ったものだった。
[獣の爪は非常に鋭利で、匠の打ちあげた刀を連想させるが、どうやら主な使い道は刺突のようだ。今の私の状態が、それを物語っている。色は黒色の物と白色の物が互い違いに生えており、エナメルの様な光沢を持っていた。獣の舌が見える。細長くべたついた、典型的な肉食魔獣系モンスターの物だ。獣の目が見える。]
数は減ったものの、周囲にはまだ人が居た。が、誰もテオの元に駆け寄ろうとはしなかった。
一つは獣への恐怖。もう一つは、遠目からでも彼が助からないと分かるほど、彼はひどい状態だったのだ。
[獣の瞳が、仮面の奥に見える。それを見てようやく分かった。彼女は女性だ。ルビーの様に赤く、どこか優しげだ。君を連想するよ。]
最早力も入らなくなった手で、テオは最後の一節を書き残す。
容易に判読はできるが、殴り書きの様に乱雑な文字だ。人の温かさのある、不揃いな文字だ。
[ルビーの様な優しい瞳をしたカリータへ。僕の愛しい人へ。どうか、泣かないでほしい。君の中で、僕はあの日のままの姿で、君が立派なお医者様になるのを楽しみに待っているよ。]
既に彼の顔は完全に地面に伏しつぶれていたが、そのペンは走り続けた。
[僕のせいで、君を不幸にさせてしまうかもしれないのが、僕は一番辛いよ。もし寂しくなったら、僕の事なんて忘れて、もっと素敵な人を見つけておくれ。そして、幸せなお医者様になっておくれ。
ーーー未来の名医、カリータへ送る。一介の本の虫 テオ=アルベルより]
テオの手は、そこでペンをぱたりと落とす。
その手が若干痙攣したのを最後に、彼は動かなくなった。
~
清らかなたった一つの愛と共に死ぬ者もあれば、どこまでも穢れと共に生き続ける者も居る。
「お、まーた一人くたばったな?」
本来、悪魔の契約のポリシーを破る者には、悪魔の機嫌を損ねる者には、必ずその命によって報いを受ける。
しかし彼は違った。
9000羽の鶏だけで不死を手に入れた人間の話は、瞬く間に魔界中に広がった。が、魔族達は案外、彼に対して好意的だったのだ。
別に規約に抵触しているわけでも無ければ、不当な楽をしたわけでも無い。この方法では、膨大な手間と時間が掛かる事ぐらいは皆が理解していたのだ。
一部の悪魔には、自身の契約の代償を見直すきっかけにもなったが、世論は一律“暇な奴も居るものだな”、だった。
不死を手に入れた通常の人間ならば、いつしか自分の生に飽きる物。
しかし、道楽と金に生きる彼にとっては、まさに最高の力だったのだ。
「さーてと、こっからマルスサイファーは、…あー、ちと遠いなー。おいバゼル!なんか空飛べるの貸してくれ!」
しかし、ジッドの周囲にそれらしい物は現れない。
「…っち、わあったよ。これだろ!」
バックパックから、未開のワインボトルを二本取り出して、それを放り投げる。
突如地面に地割れが出現し、真っ赤な手がそのワインを受け取る。
「うっわ冷た!…って、ブリザードフェニックス!?バゼル!お前いつからそんな気前良くなったんだ!?」
『黙りやがれ。こっちにも色々事情があるんだよ。』
「ほー事情ねー。どうせまた、カミさんに酒癖でこってり絞られたんだろ?おー酒屋にすら行けねーんだろ?」
『っ!…はあ、凍傷になっても、文句言うなよ!』
持て余すほどの時間を、欲のままに使い生きる。
その点で言えば、彼は悪魔よりも悪魔らしい生き方をしているのかも知れない。
〜
(はあ…これで良いのか…?む?通信か?)
骸と、怯える視線に包まれながら、娑雪は神妙な面持ちで、億魂式神としてそこに立っていた。
生と死の理屈を理解している彼女は、いざ命を奪うとなれば躊躇はしない。話合わせ、程度であれば問題は無い。
しかし、彼女は不必要な生奪も極端に嫌っていた。
「…ああ、彼は…勇敢以外の何者でも…」
「まだだ。先ずは奴をどうにかしなければ…」
最早誰も、億魂式神に敵意を抱こうとはしなかった。
抱こうとも思っても出来ないだろう。
「取り敢えず黒鉄を…」
「バカ言え!アダマンタイト合金ですら太刀打ち出来なかったんだぞ!?いいか、一先ずこの建物を封鎖するんだよ!人を近づけちゃ駄目だ!特に血気盛んな奴だ!」
パニックの中、思慮深い魔道士達がいち早く判断に乗り出し、ゆっくりと全体を落ち着かせて行く。
『どこ行ってたんですか!心配したんですよ!』
『御主人様、久方振りでございます。今後の…』
『たたた大変なんすよ!なななな凪が…』
『娑雪様!やっと繋がりましたの…今日こそは…!』
娑雪の周囲の紙人形が、一斉に騒ぎ出す。
一足遅れて彼女の場所を再び察知した式神達が、次々と彼女への通信を図り始めたのだ。
『娑雪様!』『マスター!』『ご主人様。』『ボス!』『大親分!』『主神様。』『うさ耳ぃ!』
「………」
次の瞬間、娑雪の視界が明るくなった。
彼女は、自身が纏っていた紙人形を全て散らしたのだ。
「!?」
「何だ!?」
「け…獣が!」
舞い落ちる式神の中から、彼女は一枚を手に取る。
「…凪が、どうしたと?」
『ににに人間にやられたんすよ!がい…が…外皮は何とか直したんすが、内側までは、じじじ自分らでは…』
「……そうか。私の自室に、松の紋様の描かれた巻物がある。それを使えば身体の崩壊は一時的に止まるはずじゃ。…私の気を持つ使いを向かわせる。それまでは凌いでいておくれ。」
『りょりょ、了解っす!…凪ちゃん、ししししっかりっす!』
娑雪は、その式神から手を離す。
と今度は、その式神は色々な物を次から次へと吐き出した。
彼女のいつも愛用する僧衣の上下。先の方にジャラジャラと鉄輪のぶら下がった、2メートル程の杖。大きな被り傘に、左の太ももには木箱や木筒が、包帯によって巻きつけられる。笛に刀、30センチ程の短杖は、それぞれ右の腰にガチャガチャと金具で取り付く。
最後に白いリボンの様なものが、彼女の前髪の二ヶ所を纏め上げる。
物の数秒で、彼女の“普段着”が完成した。
「…主らに、畏敬はあるのか…?」
「!?」
娑雪の奥歯が、カタカタと音を立てる。
今まで、人間の襲撃に対しては、彼女は何度も黙認してきたが、それはただ単に、特段実害が無かったというだけの話だ。
実害がないのなら、特に何か手を打つ必要も無いだろうという。
しかし今日、彼女はその判断を後悔した。
「…予定変更じゃ。」
最早、捕虜を装って人間の内情を詳しく調べるなどと言う、呑気な事を言っている場合では無い。
「…顕現…畏怖…そして、信仰…」
彼女は、地下室に連行されてからこの数刻までに、様々な事を学んだ。
建物の様式や、鉄鋼などの技術がどれだけの物か、どんな人々が暮らすのか。
(…結局、人の心と言うのはどこに居ようと変わらぬな。)
元の世界以上の頻度で化け物が出現するこの世界も、未知に対して、人が畏怖を抱く事に変わりは無かった。
未知こそが、崇拝の始まりだ。
〜
「うううう…ウがあああ!?”
まるで身体の中で何かが暴れているかの様に、布団の上に縛られた状態で跳ね苦しむ凪。
周囲には、次々と作りかけか出来損ないの狛犬の様な妖が出現し、そこに居合わせた水叉、奴瞰、駆け付けた輕陀が、それらの撃退に当たっていた。
「はあ…はあ…一体どうしてこんな事に…」
輕陀は首無しの狛犬を式神で叩き潰しながら、噛み潰す様に呟いた。
「ににに人間っすよ!凪の内部損傷が割と酷くって、ここここここここ…げっふ!?」
水叉は、その蒸気で思わず咳き込んでしまう。
見ると、部屋中に凪や出現した狛犬から発生したと思しき水蒸気が立ち込め、視界を悪くして行く。
窓は開いているが、視界改善の気配も見えない。
既に奴瞰以外の式神は視覚に頼るのをやめ、目を瞑った状態で戦闘を繰り広げていた。
室内の温度は尋常じゃない程上昇し、すでに100℃を優に超えている。通常の生物はおろか、低級妖怪すらも生きられない。
「一匹逃げそうっす!なななな奴瞰!」
「えっと…この辺!」
奴瞰の両手首の辺りから、半透明の細い鎖が一本ずつ放たれる。
鎖は見事に命中し、逃げようとしていた妖怪を部屋の中に引き戻す事に成功した。
それだけだ。
「わわわわわ!たーすけてー!」
奴瞰めがけて、瞳の堀抜かれていない狛犬が飛びかかってくるが、いち早く察知した剛鬼式神がそれを叩く。
「落ち着いてください。数は多いですが強力ではありません。」
「ふ…ふう…ありがと…」
娑雪の使いが到着するまで、どれだけかかるかは分からない。
しかし、誰もその事を話す者は居なかった。
皆が、彼女の事を信じていたのだ。




